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天下の大悪法・裁判員制度徹底糾弾!!

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2008年5月30日(金)

6月8日プレオフ会開催告知他

 突然ですが、本ブログ読者の方にお知らせです。

 ◇「裁判員制度はいらない6・13集会」プレオフ会計画
 6月13日(金)、東京日比谷公会堂にて「裁判員制度はいらない!6・13全国集会」が行われますが、それに先立って6月8日(日)夕方に「プレ集会」として高野善通主催によるプレ集会を開きたいと思います。原則として6・13集会に参加される方を対象としますが、それ以外の方も、私の考え方を聞きたい方の参加も大歓迎いたします。
 裁判員制度反対運動、そして、制度廃止を実現するための課題について、皆様で語り合いたいと思います。
 なお、人数把握の関係上、6月2日(月)までに私( koyamain@power.interq.or.jp 携帯08034429002)に参加希望メールをお願い申し上げます(メーリングリストではなく、上記メールアドレスでお願いいたします)。参加希望メールには連絡先(メールアドレス、携帯番号)を必ず記載お願い申し上げます。詳細決定後、参加希望者には場所などメールを送ります。

 日時 6月8日(日)18時頃、
 場所 東京都区内(詳細は未定ですが)
 費用 飲み代、資料代、6・13チケット込み5000円(予定、うち6・13チケットは1000円分)


 さて、板橋での卒業式威力業務妨害事件で二審でも有罪判決が言い渡されました。このような極めて軽微なケースでも「犯罪」と認定されることには大変な恐ろしさを感じます。なぜならば、裁判員制度が始まったときに、裁判員任務逃れのテクニックを裁判所前でビラ配りすると同様の犯罪摘発を受ける危険性があるからです。それに加えて、ヤメ蚊先生のブログ記事で指摘されているように、権力、日弁連、メディアオール与党化の裁判員制度に反対するネット情報についてはすべて「デマ率99%」となされる危険性も指摘しなければなりません。来年5月スタートという緊急性もある裁判員制度への反対運動はそれほどの危険性があるのです。
Posted at 11:31 | εURL | (2) | Trackback(3)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月29日(木)

最悪のフルコース

 船場吉兆がついに再建断念、破産に追い込まれました。客をダマし続けた経営姿勢からしても当然といえば当然の帰結というべきところでしょう。
 この件について、産経記事で「最悪のフルコース」という表現がなされており、危機管理のあり方として他山の石とすべきケースといえます。産地偽装、期限偽装、使いまわしなどのインチキの中身は無論のこと、経営陣が不祥事発覚時に「これ以外にはない」と言った矢先に別の不祥事が次々に出る、そして民事再生法申請に追い込まれ、背水の陣で臨むべく「ウミは出し切った」つもりでの営業再開直後に「使いまわし問題」が発覚する、それも、少しずつ小出しにするような「隠蔽体質」に客の信頼は地に堕ちるという末路をたどったのです。まさしく、産経記事にもあるように、「隠蔽−責任転嫁−不祥事」の"小出し"という稚拙な対応に終始する姿勢は、「企業が不祥事で失敗するときの、すべてのパターンに当てはまる」となるわけです。廃業に追い込まれた船場吉兆のみならず、このJ−CAST記事からはNHKインサイダー問題にも当てはまる問題です。
 さて、これを踏まえて裁判員制度。やらせタウンミーティングや最高裁の違法契約の発覚など、インチキのオンパレードで宣伝されています。国民をダマし続けるような姿勢の徹底は、まさに船場吉兆と同等の態度です。しかし、これらの不公正な姿勢について推進側からの説明はまるでありません。そればかりか、メディアはこれらの不公正さを分かっていながら十分な批判もしていません。せいぜいベタ記事くらいで不祥事を報道するが、はるかにそれ以上の推進広告をデカデカと宣伝する姿勢です。現段階でも十分に「隠蔽−責任転嫁−不祥事」の”小出し”そのものが行われている構図です。
 船場吉兆の廃業は関係者だけ(かせいぜい周辺企業や大阪食文化レベル)の問題です。しかし、裁判員制度は、国家権力、日弁連、メディアぐるみオール与党化による国民へのインチキ広報です。将来的に船場吉兆と同様に「最悪のフルコース」を辿ることが目に見えてきますが、「企業が不祥事で失敗するときの、すべてのパターン」どころか、「国家全体が不祥事で失敗するパターン」になるのだから極めて深刻な事態です(本日の産経記事でも指摘されています)。
Posted at 01:40 | εURL | (0) | Trackback(2)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月28日(水)

巧妙かつ悪質なマインドコントロール

 そういえば、東京渋谷の妹バラバラ殺害事件、懲役17年求刑に対して懲役7年の判決でした。同じ渋谷の夫バラバラ殺害事件では懲役15年の判決だったことと比較してもかなり軽い印象を受けると思います。精神鑑定のあり方を考える上で、裁判員制度がこれほど刑事裁判のあり方を揺るがしていることが見て取れます。

 前長崎市長殺害事件において昨日から本日にかけて各新聞社が社説を掲載しています。その中身を見て比較すると、全国紙と地方紙で傾向の違いがはっきり見て取れます。それは何か?全国紙朝日讀賣日経産経、毎日と中日は本日現在市長殺害事件社説なし)社説は「裁判員制度」の語が一度も出てこないのに対して、地方紙社説は裁判員制度絡みで論じられているのが多いことです。
 まさに、市民に対する大手メディアによる巧妙なマインドコントロール姿勢があります。上記のうち朝日社説などは典型的で、「裁判官はテロの社会的な影響の深刻さを重く見て、いまある刑罰の中で最も重い死刑を選んだということだろう。厳罰化の流れが背景にあるとはいえ、そうしたテロに対する厳しい姿勢は十分うなずけるものだ」「民主主義に対するテロや暴力をいっそうはびこらせるのか。それともここで踏みとどまって、言論や政治活動の自由を広げていけるのか。そうした流れに影響を与えるという点でも、今回の判決は意味がある」と今回の判決の意義を強調していますし、他の社説も大きくは同じ論調です。国民全体でこの手のテロを許さないという姿勢は私も共感するし、2日前にもこの件について述べました。
 しかし、その一方で、多くの大手メディアが「裁判員制度において市民が死刑判断を迫られるのは極めて精神的負担が大きいから終身刑について考えよう」という議論を持ち出しています。あるいは、社説と別の場所で「これが裁判員制度で裁かれていたら」という記事も多くの新聞で書かれています。まさに、この両者がメディアにとって都合の良いところだけを取り出した「ダブルスタンダード」です。すなわち、前長崎市長への民主主義破壊テロは絶対に許さないという姿勢を打ち出すべく「死刑」というメッセージを社会全体で発しようと言っておきながら、その中に「裁判員制度」は出さないことによって、この事件が裁判員制度と絡まないようなイメージを植えつける巧妙なマインドコントロールです。
 その一方で、「裁判員制度において死刑判断は精神的に多大な負担を市民に強いるので終身刑を考えよう」という言い方も極めて巧妙かつ悪質なマインドコントロールです。すなわち、市民に終身刑論議は考えさせるけど、裁判員制度の是非については一切考えさせない姿勢だからです。大手メディアは何としても批判の矛先が「裁判員制度」に向かわないように必死の報道姿勢を取っているようですが、その目論見が失敗して、今年末から裁判員制度への市民からの「NO」の姿勢が爆発したとき、彼らはどう説明つけてくれるのでしょうか?
Posted at 16:28 | εURL | (0) | Trackback(1)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月27日(火)

国家権力は国民を救わない

 先日の憲法フェスティバルへの多数のご来場、誠に感謝申し上げます。今回の特徴は、憲法についてもっと知ってほしい若い年代の来場者が多かったことです。これから憲法の理念を広げていく上で重要な大会になったと思います。
 さて、今年の憲法フェスティバルの講演の中で、裁判員制度批判の立場から考えたいことがありました。それは、「戦争になったら自衛隊(など軍隊)は国民を救わない」という件です。なぜならば、「自衛隊も国民の一員だから自分が死んだら国民が救われていない」からです。そのため、「有事になれば、まずは自ら、あるいは自らが関する組織をまず守るに決まっている」ということになるのです。実際、太平洋戦争時に命を落とした軍人たちは、自ら、あるいは東京(のど真ん中にいる誰か)を守りきるために、沖縄戦を長引かせ、あるいは東京大空襲に際してウソの情報を流して被害を拡大させたといわれています。
 そして、それと同じことが現在裁判員制度の広報で行われていると言って言いすぎではありません。最高裁は死刑対象模擬裁判を行わない方針だそうで、「心理的な負担などについて検証をするのは難しく模擬裁判の題材には適さない」といかにももっともらしく最高裁が説明していますが、彼らが実際にこの手の現実裁判を行っていることを考えれば検証ができないなどという説明が信用できるはずはありません。死刑の模擬裁判を行ったら裁判員が精神的に潰れるのが容易に想定でき、これで裁判員制度廃止論が噴出するのが目に見えているからです。
 裁判員制度は国家統治の根幹を成す重罪事件を対象にしていますから、いわば「国体」そのものです。最高裁の「死刑対象模擬裁判を行わずにいきなり本番に突入させる」方針は、言ってしまえば、死刑裁判、最悪の場合はオウム・和歌山カレーなどのスーパーヘビー級裁判に強制徴用させられた挙句人生が狂ってしまっても「知ったこっちゃないよ、国のためには仕方ない」の態度です。人間一人の人権がとんでもなく侵害されようが、裁判員制度(=国体)の方が大事だというわけです。
 権力が人間一人の人権よりも「国体」の方が大切と考える時代、これはまさに戦争時代の思想です。まだしも、そんな思想を諌める勢力があれば国全体が極めて危険な方向には向かいません。ところが、裁判員制度は司法の最高府であるはずの最高裁が上記のような態度、しかも、権力はもとより、メディア、日弁連といった権力を批判すべき立場が翼賛しているというとんでもない危険な構造です。だからこそ、我々国民が徹底的に民主的に断固拒否する態度を取ることが、裁判員制度を崩壊させるためにも、そして、国全体を危険な方向に向かわせないためにも極めて重要です。
Posted at 14:31 | εURL | (0) | Trackback(2)
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2008年5月26日(月)

前長崎市長射殺事件判決から

 前長崎市長射殺事件、死刑判決が言い渡されました。確かに殺人前科なし・被害者1人のケースで死刑判決が出るのは身代金目的殺人など例は少ないですが、私はこの事件に関しては以前にも「死刑あり」とコメントしたことがあります。ただ、あくまで論拠は「前代未聞の選挙期間中候補者への殺害行為が国家統治の根幹である民主主義を根底から揺るがす行為である」ことです。
 ですから、裁判員制度を考えるにあたっては、「民主主義への挑戦」以外の情状、例えば暴力団犯罪であること、至近距離から銃で殺害した残虐性、被害者感情の重さといった点が必要以上に重視されることがあってはなりません。これらの情状が過剰に重視されることがあれば、市民の常識が「銃で殺害したら死刑」「暴力団犯罪の殺人は死刑」「被害者感情が痛烈ならば死刑」というムードになりかねない恐ろしさがあるからです。逆に言えば、選挙期間中の候補者への殺害行為ならばあくまで動機が選挙に絡むことが条件ですが、至近距離から銃で射殺するほど残虐性が際立ってない方法でも死刑を考えるべき事案になるのです。
 本日は河北新報でこんな社説もありました。「裁判員制度は本来なら、法教育の浸透を見定めてからの導入でなければならなかったはずだ」とありますが、恐らく制度を決めた勢力にとっては、「今決めておかないと(当時は光市事件やオウム事件などで裁判への不満が世論として湧き上がっていた)後からではこんな制度は絶対に通らない」という考えがあったのでしょう。しかし、市民の法に対する意識が浸透しない中で裁判員制度など行ったら、判断基準が認定された事実や法に基づくものではなく、感情に左右されかねない恐ろしさがあります。今回挙げた長崎市長銃殺事件についても、「民主主義の根幹を揺るがすから死刑」というのではなく、銃殺の残虐性や暴力団絡みだからといった事件の本質から離れた判断基準に基づく議論になることも考えられるのです。
 裁判員制度に直接絡む問題のみならず、選挙のあり方など、民主主義の根幹に関わる重要な問題についても法教育の一環としてもっと教育現場に持ち込むべきです。裁判員制度を行うにあたっては、少なくとも担当する市民に政治的責任の意識がなければなりません。国政選挙での投票率の低さなど、裁判よりもよほど重要な選挙に対する意識が薄い中で、市民にとって極めて精神的負担の重い重罪事件対象の裁判員制度をいきなり罰則付きで義務付けるなどは、公正な裁判を担保する観点からも、無謀極まりないものといわざるを得ません。
Posted at 15:47 | εURL | (0) | Trackback(1)
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2008年5月25日(日)

法曹激増の真の狙い

 本日ナゴヤドームでの始球式・名古屋高検検事長とドアラによる裁判員制度PR企画。私は遠隔地なので生で見ることができませんでしたが、あまり盛り上がっていなかったようです。本ブログの愛読者で、詳しい中身をご覧になった方はいらっしゃいませんでしょうか?お願い申し上げます。

 さて、本日はこの毎日コラムから。法曹激増問題に対する批判ですが、私は何度も過去に批判しましたが、「裁判員制度の絶対的維持のために必要な法曹激増政策」なのです。すなわち、裁判員制度の絶対的維持のためには国家の都合による弁護方針統制が必要なので法テラスが必要、しかし、弁護士内では法テラスで弁護方針が統制されるのを嫌う人が多いため国としては法テラスに流れ込む人材数を確保する必要がある、そのための法曹大激増なのです。ですから、裁判員制度・法テラス・法曹激増は3点セットの司法改悪であり中心にあるのがまさしく裁判員制度である、というわけです。毎日コラムの「司法制度改革は、裁判員制度と法曹人口増員計画が二本柱」という見方は、法テラスが入ってない段階で誤りですし、すべての問題で大変な不安を抱えているのが現状です。
 一つ考えたいのが、ある一つの業界に、サービス向上をうたって規制緩和・競争原理の名のもとに、適正を上回る数の有資格者を新規参入させたらどうなるか?その業界にとって個々の有資格者の生活レベルがダウンするのは当然のこと、それが適正規模をはるかに上回る数となれば、レベルダウンの度合も大変なものになります。で、冒頭の法務省高官の言葉「このままでは、医療過誤と同じように弁護過誤がどんどん増えてくる」。
 法治国家としての根幹に関わる法律専門家の業界にこのような原理を持ち込むのだから大変な事態となります。本来資格を持つには力量不足のプロも出てくるでしょう。そうすると、競争に敗れて下層部に陥った「プロ」たちは本来超えてはならない一線を超えることも考えられます。耐震偽装問題でも、競争原理のもと、徹底したコストダウンの要求に負けて一線を超えてしまいました。弁護士も悪徳業務に手を染めることも十分考えられますし、現にそのような事態が起きているといわれています。
 しかし、コラムでの終盤での言葉「役人は一度決めたことは、まずいと思っても絶対に変えようとしない。この習性はなんとかならないものか」。まさしく、裁判員制度にこそこの言葉を突きつけなければなりません。まして裁判員制度は官僚のみならず、議員や司法のプロ、メディアまでもほとんど全員賛成といえる事態。彼らが「一度決めたことは、まずいと思っても絶対に変えようとしない」のだから、国民をダマしてまでシステムの一翼に無理やりでも誘導する、ということが行われているのです。だからこそ、裁判員制度が潰れれば、彼らが行おうとした「司法制度改革」が一体何だったのか?が暴露されることにもつながるのです。
Posted at 23:38 | εURL | (0) | Trackback(0)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月24日(土)

明日のナゴヤドーム&新潟日報コラム

 まずは中京圏ご在住の皆様へ。25日の日曜日・18時からナゴヤドームで行われるプロ野球交流戦中日ドラゴンズvs福岡ソフトバンクホークスの始球式で、名古屋高検中尾巧検事長が裁判員制度をPRします。観客の皆様は盛大なブーイング、カエレコール、抗議横断幕、「絶対潰せ裁判員」のヤジなど盛大に歓迎しましょう!!。また、本日の憲法フェスティバルは若い年代の観客が多く盛り上がったことを報告いたします。皆様のご来場ありがとうございました。
 
 さて、鳩山法務大臣がサイバンインコの着ぐるみで裁判員制度をPRしたとか・・・さしづめ、この「サイバンインコ」はシケー、シケーと鳴く習性があり、そのときにベルトコンベアによる死刑執行装置が作動するシステムになっているのでしょうね。
 先日掲載された新潟日報コラムでは、"こんなうがった見方もある。裁判員となることに不安だった国民も「本職の裁判官でもあんなんだから」と気楽になったというのだ"という件がありました。「ゆるキャラ」系のサイバンインコでPRされ、いかにも市民が気軽で参加すればよいというイメージを植えつけるような裁判員制度。しかし、そんな気軽さで参加した裁判員の「シケー、シケー」によってベルトコンベア執行装置に載せられたら被告人はたまったものではありません。新潟日報コラムの結びでこの件が批判されました。
 新潟日報コラムの結びはまさに正論なのですが、問題なのは制度成立時から大手メディアはこのような観点からの批判方法をほとんどしていないことです。これは日弁連が中心になって「裁判員制度は一般国民にとって重要なのであって被告人のためにあるものではない」と盛んに宣伝しているためです。被告人の公正な裁判を受ける権利(憲法37条を中心にした問題)についてほとんど考えられていないためであるのと同時に、法曹関係者内では、被告人に裁判員裁判回避権を認めたらほとんど回避されて制度が空文化すると考えられたからです。いわば、戦前陪審制度が被告人の大量回避で空文化したことに対する悪しき反省が、今回の裁判員制度のシステムに反映されたわけです。
 制度設計時からもう少し被告人の立場を考えていたならばこんな事態になるはずはなかった、というのではなく、推進派である彼らの都合の良いところばかり組み合わせたからこそこんな恐ろしい裁判員制度が出来上がったのです。ほとんどのメディアも被告人の立場を知らなかったとは言う権利はありません。彼らも裁判員推進のためには被告人の公正手続きを受ける権利を考えることなどできない立場だからです。
 そして速報。新潟県弁護士会に続き、栃木県弁護士会も!!
Posted at 23:37 | εURL | (0) | Trackback(0)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月23日(金)

活動に当たって注意すること

憲法フェスティバル2008
 いよいよ明日5月24日(土)、「憲法フェスティバル2008」が九段会館にて開催されます。これから一年はまさしく裁判員制度反対派のみならず、護憲勢力にとっての大変な正念場でもあります。皆様よろしくお願い申し上げます。

 あと1年、推進派と反対派の一大対決が繰り広げられます。例えば、今年の日弁連会長選挙では高山俊吉候補が7人に3人の支持を集める結果になりましたが、この選挙にかけられた費用対効果を考えると高山候補の圧勝ともいえる結果でした。何しろ、相手は裁判員制度維持のためには権力側からのかなりの選挙資金も流れていたからです。当然のように、裁判員制度宣伝にはバックの巨大権力、潤沢な宣伝資金がかけられます。
 逆に、裁判員制度反対派としてのこちらの頼りは市民一人ひとりの「民意」で運動を広げていくのが主要方針となります。大手メディアがオール与党化している以上、私のようにインターネットを使った宣伝運動を行うのは重要ですが、ここで注意すべきなのは、反対運動を先頭に立って行う実人数は少ないことです。敵も「反対運動の核」は必ず狙ってくるでしょう。
 その意味では、私も敵の狙いにはまらないことが極めて重要です。私もどんな形で狙われるか分からないですし、どんな形で権力側が取り込もうと狙ってくるかも分からないのです。逆に、権力側の「刺客」をこちらに取り込むくらいの意気込みをもって活動する所存でございます。
Posted at 09:56 | εURL | (0) | Trackback(3)
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2008年5月22日(木)

死刑対象模擬裁判行わない、本気か?

 まずは、この産経記事を。以前にもこんな記事を書きましたが、他の問題ならばこんな報道は決してしない中、盗人までも裁判員制度宣伝に利用しようとするメディアの姿勢は救いようがありません。

 さて、昨日のNHKニュースで衝撃の事態が。最高裁が死刑対象事件の模擬裁判を行わずに本番の裁判員裁判を強行しようという姿勢だとか。最高裁は「きわめて重い刑の判断をする場合、裁判員にかかる心理的な負担などについて、現実に即した検証をするのは難しく、模擬裁判の題材には適さないと考えている」と説明したそうですが、とんでもない欺瞞そのもの。現実的検証など簡単でしょう。要は死刑対象模擬裁判を行えば心理的負担のあまりの大きさに担当者が精神的に潰れることが容易に想定でき、裁判員制度廃止世論が噴出するのが目に見えているからです。
 裁判員として強制徴用される国民、そしてそれに起因する重罪被告人への深刻な人権侵害が起こり得ることを考えれば、死刑対象事件をの模擬裁判を行って万全を期して、いや、オウムや和歌山カレーといったスーパーヘビー級の複雑複数事件の模擬裁判までやって、それでも制度が順調に行くという確信ができてから裁判員制度を行うのが当然の話です。重要大型建造物設計についての構造実験について、90%以上の地震が震度5以下だからそのレベルまでの耐震実験までやって耐えられるという理由で、その設計で現実の建造物を作るというのは許されないことです。重要建造物ならば耐震実験は当然震度7を想定しなければいけません。リスク管理とはそういうものです。 
 最高裁にしろ、法務省、日弁連、大手メディアも裁判員制度そのものが「元凶」なのはウスウス気付いているはずです。分かっていながら「裁判員制度だけは絶対に行う」という絶対的な結論があるため、その目的のためには国民をダマしたり、裁判員制度批判・廃止論につながる事態だけを招かないような姿勢を貫いたりするのです。さらに、すべての大手メディア自身も裁判員制度100%推進論に傾いているために制度推進に水をさすような報道が一切できないのです。
 ここまで来ると、「国民全員の民意を誘導しなければならない上に、国家の治安・統治の根幹に関わる」裁判員制度というとんでもなく大掛かりなモンスターを、しかも権力者・有識者がオール与党化して作ってしまったがために、権力側の彼ら自身もこのモンスターをコントロールできなくなってしまったと言うしかないでしょう。裁判員制度というモンスターに憲法の根幹からしても振り回されるわが日本。最も不幸なのは、本来主権者であるはずの国民一人ひとりです。
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2008年5月21日(水)

2009年5月21日、必ず潰します!!

 さて、本日はちょうど裁判員制度起動予定日の一年前に当たります。ですが、私、そして我々「裁判員制度はいらない!大運動」の目標は単に裁判員制度を批判し続けることではなく、この日を「裁判員制度記念日」にさせない、すなわち、裁判員制度を潰すことにあります。批判しようが法律に書かれている限りは権力側は絶対に起動させるに決まっています。それを何としても成り立たなくさせるのが我々の戦いなのです。
 ですから、我々は推進側権力相手に具体的にどんな戦いを挑んでいかねばならないかが大変重要になってきます。大きなカギを握るのは「組織化」と「具体的対策」です。この両方が必須条件であり、どちらが欠けても運動は頓挫します。というのは、組織化できない個人的運動ならばいかに優秀な対策を用いたところで巨大国家権力の力で圧殺されるでしょうし、逆に民衆組織が一体化して戦いを挑んだとしても、具体的対策なしには「法律だから従ってください」で一蹴されるからです。すなわち、法律的な裏づけのある具体的対策をもっての組織的運動にすることが重要で、組織の中心は当然「裁判員制度はいらない!大運動」ですが、下部組織同士の連携、知識を共有しあうことも必要です。ただし、組織化したところで個々の全国民にまで浸透させるのは難しいので、個人的な具体的対策情報をインターネットで発信していくことも必要です。これが私の一つの役割になります。
 私としての提案ですが、特に推進派による広報に対して我々が突きつけていくべきなのは、「やらせタウンミーティング、最高裁違法契約、世論誘導アンケートなど権力が不正行為までして推進することへの合理的説明を求めていく」のを徹底することで、ここに絞った推進派への反論を行うのは裁判員制度反対運動において極めて効果的です。というのは、裁判員制度の中身的議論ならば推進派もそれなりに説明はするでしょうが、推進、広報過程のインチキは推進派にとっていかなる合理的説明も不可能だからです。だからこそ、メディアもこれらのインチキについての説明はほとんどタブー視しています。推進派が「今更推進方法を批判するより、決まったものだから制度を育てていきましょう」という説明をすれば、「国家のインチキに強制的に加担させる気ですか?」と反論するのが有効になります。
 一人ひとりの市民が「裁判員制度の存在そのもの」について考えることによって、制度が良いのか悪いのか考えた上で、実施させるべきかどうかを国民的議論の下で判断する、これが本来の民主主義のあり方です。国民的議論の下で良い制度だと国民が判断すれば裁判員制度は定着するでしょう。しかし、裁判員制度の決定・広報経緯は、国民的議論の手続きがまるでない中で推進派が彼らの論理だけを押し通したやり方でした。8割の国民が「なりたくない」裁判員制度。裁判員制度拒否方法について「良心的兵役拒否」がよくいわれますが、国民的意識がこのレベルではとても制度を潰せないでしょう。国民一人ひとりのレベルにおいて、政治的意識による「NO」の意志を突きつけることが重要です。
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2008年5月20日(火)

25日ナゴヤドームで大抗議しましょう!!

 今週末5月25日(日)、ナゴヤドームで18時プレイボールの中日ドラゴンズvs福岡ソフトバンクホークスのプロ野球交流戦、始球式で裁判員制度がPRされるとか・・・(参照
 ドラゴンズ、ホークス応援団の皆様へ。始球式では盛大なるブーイングと、「ぶっ潰せ〜!!裁判員!!」「絶対潰せ!!裁判員!!」の大コール、さらにできれば裁判員制度に抗議する大横断幕を掲げることも検討しましょう。

憲法フェスティバル2008
 ↑こちらは5月24日(土)開催「憲法フェスティバル2008」in九段会館
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2008年5月19日(月)

制度の不正は誰が監視する?

憲法フェスティバル2008
 いよいよ今週末5月24日(土)、「憲法フェスティバル」九段会館にて開催いたします。皆さまの来場お待ちしております。

 先週末の東京新聞記事、そして、本日の沖縄タイムス、琉球新報社説でも問題として取り上げられましたが、1953年に「日本に駐留する米兵らの事件については、重要な案件以外日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意していた件がアメリカの公文書で明らかになったことが波紋を広げています。この件に関してアメリカ側は、「日本国民に公にするように」と当時の岸首相に求めたのに対して「国辱になる」として応じなかったですし、55年たった現在でも外務省側はこの件を認めようとしません。
 個々の密約についてここでは深入りしませんが、問題なのは50年以上たった現在でも隠し通そうとする政府の姿勢です(参考)。外交、人道など極めて国際的観点から見て重大な案件について、政策の誤りは絶対に認めない姿勢が、司法府を含めたこの国の組織全体に伝統として根強く残っている印象を持たざるを得ません。このような姿勢の政府・司法が「裁判員制度」を運営したらどんなことが起こるのか想像するだけでも恐ろしいことです。
 8割の国民が「なりたくない」状況下において国家治安の根幹に関わる法律だからという理由で、残り2割の裁判員前向き派だけででも強引にでも制度を機能させたらどうなるのか・・・無理やりにでも裁判員制度を運用していくためには、裁判手続でとんでもない不正が行われた場合に誰かが内部告発したとしても、共産党や社民党を含めた議員、司法府、官僚などの権力、日弁連、メディアの上層部がオール与党化しているためどこもかしこも組織的に握りつぶしてしまうことが考えられ、チェック機能がまるで働かない危険性が極めて高いのです。
 冒頭に掲げた1953年の密約問題、これはアメリカが機密解除をしてようやく55年後に明らかにされました。しかし、裁判員制度における不正は50年後どころか、ほとんど永久的に明るみにならない危険性があるのです。徹底した守秘義務規定もそうですが、システムや決定経緯の観点から根底的に不正の温床が野放しになっている裁判で裁かれるとなれば、被告人の人権は極めて危ういものになります。
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2008年5月18日(日)

裁判員制度そのものの是非から逃げ出す議論

 裁判員制度の起動(をさせないための運動ですが)まであと一年となりました。その意味で、本日から連日強化特集記事を連載したいと思います。まずは、本日の新潟日報社説から。なんといっても、新潟は弁護士会が制度延期決議を出したところです。
 先日の「量刑制度を考える超党派の会」設立総会で加藤紘一自民党元幹事長が「無期刑といっても仮釈放がある。死刑と無期刑のギャップが大きく、裁判員に量刑を判断してもらうには問題だ」との趣旨で発言した件について、新潟日報では「終身刑創設は裁判員制度に対処するためとしか思えない」と批判しています。私も数日前にエントリーしたように、裁判員制度とは別次元の問題だと考えております。本来は刑法体系全体、そして社会情勢全体から量刑制度を考えていかねばならない問題です。刑法体系という観点からも、2004年には殺人罪などの法定刑引き上げ、有期刑の法定上限引き上げの刑法改正がありましたが、個々の罪の法定刑については改正されたものでさえ有期刑の法定上限引き上げ(単独罪で15→20年、併合罪は20→30年)に見合ったものとは到底いえません。結局、2004年刑法改正で無期懲役が終身刑に近い位置づけに向かうのだとすれば、本来は、無期懲役が法定刑に定められている罪について法定刑を改正する方に向かうべきでしょう。例えば、「死刑または無期懲役」を「死刑または無期懲役または15年以上の有期懲役」、あるいは、「無期または5年以上の有期懲役」について無期懲役を外す(これは、無期懲役が定められていても以前の上限が実質的に20年だったと解釈する)などの改正です。
 結局は、これは裁判員制度に対する市民の負担を軽くするというイメージだけを植えつける議員連盟としか言いようがありません。死刑廃止派と死刑存続派が結果だけ同じ目的をもって呉越同舟にて政策を推進するのですから、出来上がった政策は極めてバランスの悪いものになるでしょう。たとえ終身刑が実現したところで、世界に例のない「死刑宣告と連動した市民強制徴用司法制度」という裁判員制度の本質は何も変わらないからです。
 それにしても、死刑宣告を国民に義務付けることが憲法違反になりかねないということで「死刑は全員一致にする裁判員法改正」といった法改正を提案したり、より多くの国会議員の賛同を集めるために終身刑導入を考える議員連盟を作ったり、お前ら大体「裁判員制度が最大のガン」だと考えないのか?いや、裁判員制度が最大のガンだと分かっていておかしいといえない、まさに、政治全体、いや、国としての最大のガンです。
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2008年5月17日(土)

イラクとアメリカの労働者が連帯

 そういえば、今年はアメリカのメーデーにおいてILWU(国際港湾倉庫労働組合)がアメリカ西海岸の港を全部封鎖してストライキ闘争を行ったそうで、これにイラクの港湾労働者が連帯したそうです。敵対するお互いの国の労働者が連帯するこの構図とは・・・
 そうです。アメリカ政府が下層民同士を食い合わせて自分達が「漁夫の利」で私腹を肥やそうとする政策を推し進めたことへの怒りそのものです。イラク戦争も経済界や権力者といった上層部が推進したといわれていますし、イラク戦争に限らず戦争が起きること自体がこのような構図の下で行われているといっていいでしょう。
 話は変わって裁判員制度。重罪殺人事件を扱わせるというのは、まさに下層民同士を食い合わせて上層部が私腹を肥やす、そんな戦争政策とまるでそっくりです。無論、辞退可能対象でなかったり就職禁止に該当しない市民にとっても、ある程度の「逃れる」知識を持った上層部市民ならば巧妙に任務を逃れることでしょう。すなわち、この制度は下層部の「裁判員を逃れる知識」を持たない市民が、同様に社会の下層部に位置して強盗殺人を犯さなければ生きていけない市民を殺すために動員される政策といえるわけです。
 この政策のカラクリに気づいたらどうなるか?イラクとアメリカという外部からは敵対し合っているように見える市民同士が連帯して上層部のインチキを糾弾するということが起きるわけです。「食い合っているお互いが憎しみ合うべきではない、悪いのはこんな政策を推し進めているアメリカ政府・財界ドモだ」というわけです。日本の裁判員制度も同じです。裁判員と被告人を敵対させる政策のインチキに気づいて、「裁判員制度は憲法37条違反」としてお互い連帯して国家に突きつけていく、この姿勢が極めて重要です。
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2008年5月16日(金)

天木氏のブログ記事から

 本日は天木直人氏ブログで裁判員制度批判記事が掲載されました。私も当然のように何度も批判していますが、天木氏の批判内容よりも事は深刻であると考えています。
 それはなぜか?天木氏の記事では「国民の怒りも高まらず、マスコミも本気で追及せず(中略)あと一年で開始される裁判員制度についても、そうだ」とありますが、裁判員制度に関しては「マスコミも本気で追及せず」のレベルではありません。マスコミ(それも本当に一部、影響力の小さいメディアを除く全部といっていいほど)自体が裁判員制度賛成の論理にどっぷり漬かっているために、権力がやらせタウンミーティングや最高裁の違法契約などのインチキをしようともまともに報道しないのです。それどころか、最高裁の世論調査で不公正な内容が分かっていながら、最高裁の論理をそのまま垂れ流す行為までしています。メディアは自らが世論調査にも携わっていることを考えれば、この不公正さは知らないでは済まされません。世論調査の不公正さを知りながら、自らの裁判員制度推進論理を推し進めるために、権力のインチキ論理もそのまま垂れ流す、まさしくメディア、国家権力一体化の「ぐるみ」詐欺行為です。
 もう一つ、天木氏ブログで昨日の毎日新聞記事・作家高村薫氏の意見についても述べられています。労働・行政訴訟にこそ裁判員制度を導入すべきではという意見はまさしくごもっともです。しかし、天木氏も述べられているように「国と司法と官庁が、これだけは国民に触れさせないとして死守しているから」なのは間違いありません。仮に一審でこの種の裁判に裁判員制度を導入したらどうなるか?おそらく多くは国に都合の悪い判決が出て、二審の官僚裁判でことごとくひっくり返されるケースが続出することが想定されます。そうなると、国民世論は政治にも裁判にも決定的不信感を持つようになることで、国全体が大混乱をきたすことが予想されるのです。推進派(特に検察側)にとっては、重罪裁判ならまだしも控訴審でも国民世論に見合った判決が出るという考えなのでしょう。すなわち、厳罰化など検察側思想に立った国民世論が控訴審の官僚裁判でより強められる結果をもたらすでしょう。しかし、このような世論ムードは極めて危険で、裁判がまさしくリンチの場になることを意味します。被害者の刑事裁判参加がさらにこのムードを加速させるでしょう。
 天木氏記事の"「世論や民意を大切にする」、という政府、政治家の言い草とは裏腹に、本音のところでは、自公政権と官僚支配がどんどんと強まり、国民の権利が無視されるような政策が加速度的に進んでいるような気がする"という件。裁判員制度については、与党ばかりか社民党、共産党、ひいては日弁連やメディア、最高裁までもインチキをまかり通してまで推進する姿勢です。単に年金、ガソリン、後期高齢者医療とはまるで次元の違う恐ろしさがこの法律の中にあると言うしかありません。

憲法フェスティバル2008
 いよいよ来週に迫りました。↑5月24日(土)「憲法フェスティバル」九段会館にて開催、皆さま来場お待ちしております。
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2008年5月15日(木)

ネタ2題

 まずは讀賣記事から。法曹増員見直し姿勢の中、不合格者も流れ込んで合格率が減ると予想される新司法試験。今年は3度目、ということはスリーアウトで法曹への道を断たれる人も出るわけです。たとえ合格しても就職できるかどうかの不安もある、そして、基本的にロースクール卒業を新司法試験の受験資格としている以上、初期投資額もバカにならない、まさに法曹への道は人生として割に合わない職業になるのでしょうか?それもこれも、弁護士会内で不評の法テラスに流れ込む人数を確保することが大目的であり、その法テラス弁護士だけが裁判員裁判に携わることになるでしょうから、讀賣記事のような問題も裁判員制度あってこそ起きるのです。
 次は、産経記事から。最高裁が裁判員法廷のバリアフリー化を検討するとのこと。障害者団体から「参加を不当に排除するのでは」という意見が出たことに対応するようですが、私が障害者団体代表ならば、「不当に排除する根は拭えない」理由で裁判員制度自体を廃止せよとの意見を言います。でも、政治参加の観点からはおそらくそんなことはいえないのでしょうね。ただ、記事の結びで"手話通訳などで、当初の予定よりも審理が長引くことも想定されるが、最高裁は「その場合は、他の裁判員の方にはがまんしていただきたい」"。がまんした結果、本業崩壊して人生が狂ったら誰が責任とってくれるのでしょうか?
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2008年5月14日(水)

推進派の致命的欠陥

 本日、岩波書店「世界」6月号を入手しました。裁判員制度翼賛特集記事が掲載されたとのことで、その内容を批判するためです。これだけの翼賛特集を組んでいるのはご苦労様というところですが、私に言わせれば、ただ一点、致命的な欠陥が記事全体にあるために読む価値全くなしとなります。
 その致命的欠陥とは何か?やらせタウンミーティングや最高裁の違法契約、不公正世論誘導調査などについての言及がほとんどないことです。このような不公正な手法をしてまで国民に制度協力への誘導を行う行為は、まさしく国家権力のインチキに国民を強制徴用するものです。こんなことがまかり通ったら国全体がおかしくなるのは自明の理。しかも、推進派がこれらの不公正世論誘導行為を行うのは、正攻法の広報では国民への理解が進まないがために無理をせざるを得ないためですし、そもそも決定経緯で推進派各部門にとって都合の良いところを組み合わせた手法だったため、何も知らない国民にババを押し付けたのみならず、憲法との整合性の観点からも極めてバランスの悪い法律になってしまったのです。最初の決定経緯、原点が誤っているからこそ、このようなインチキをして推し進めるにつながっているのです。
 正攻法の広報ができない背景。例えば「7割の裁判は3日以内で終わる」という推進派の説明、逆にいえば「3割の裁判は4日以上かかる」ということですが、裁判員制度が極めて経済的・精神的負担を国民に強い、最悪の場合は人生破綻のピンチに立たされるリスクがあることを考えれば、「オウムや和歌山カレー事件のような裁判もありますが、くじに当たったら国のために協力をお願いします」と説明するのが当然のリスク管理のあり方です。こんな説明をすれば国民的理解は到底得られないから、「7割は3日で終わる」という言い方をするのでしょう。このような説明の仕方が、国民に裁判員制度の本質が伝わらない大きな要因になっています。正攻法では国民的理解は得られない、しかし、婉曲して正しい情報を伝えられないのでは、大半の国民が「おかしい、やりたくない」と考えるのはごく自然です。
 その結果というべきでしょう、タウンミーティングや最高裁の違法契約、不公正世論誘導調査などを行ったことについて裁判員制度推進派はどのような合理的説明をしてくれるのでしょうか?私個人に限らず、ほとんどの人がこれらの問題について推進派から納得いく説明など聞いていません。これらの不公正行為へのメディアからの批判もまるでなされていません。結局、これらの批判が矢面に立てば国民的制度不信につながって裁判員制度全体が崩壊するから批判自体がタブーなのでしょう。逆にいえば、我々反対派にとってはこの件だけでもぶれずに推進派に突きつけていけば、推進派に致命的なダメージを与えられるのです。あとは、「国策に反対する気か」という推進派の脅しに屈しないことだけです。

憲法フェスティバル2008
 ↑5月24日(土)「憲法フェスティバル」九段会館にて開催、皆さま来場お待ちしております
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2008年5月12日(月)

この国はミャンマー同然か?

憲法フェスティバル2008
 5月24日(土)、私も実行委員として活動している恒例のイベント「憲法フェスティバル」が九段会館にて行われます。ジャーナリスト鳥越俊太郎氏、映画監督井筒和幸氏の講演、美人バイオリニストの澤田若菜・昭子姉妹、寿[kotobuki]の元気なステージが予定されております。皆さまお誘いあわせの上のご来場お待ちしております。

 台風が関東・東京都島部に近づいており、厳重な注意が必要となっています。一方で、ミャンマーではサイクロン「ナルギス」が襲撃し、10万人単位ともいわれる死者が出ているようですが、つい数時間前に起きた四川省地震といい、情報統制されている国で自然大災害が起きたときの恐ろしさは計り知れません。
 さて、ミャンマー政府は支援物資や資金援助は受けるが、人的支援は受け入れない姿勢をとっています。これは、軍事政権が彼らの都合の良いように憲法改正国民投票を行いたいからという理由が言われています。毎日新聞の特集記事(5月10日5月11日)にもありますが、メディアによる一方的翼賛報道や反対票投票者への監視姿勢など、極めて不公正な手法がとられたとも言われています。しかも、自然大災害後という混乱も軍事政権は都合良く利用したも同然です。これは、以前に北朝鮮が大水害に見舞われたときに国際機関の援助要員を受け入れたのと比べても異常さが際立っています。それもこれも、国民投票の不公正さが国際的に知れ渡るのを警戒しているためです。軍事政権がこんな姿勢を取り続ける結果、ただでさえ「国民投票で憲法が変わるのは仕方ない」中、追い討ちをかける大災害で絶望的ムードが蔓延する事態に陥ったのです。
 このようなミャンマーの絶望的ムードの例は極端にしても、わが日本にも同じようなムードは蔓延してないのか?本日の天木直人氏ブログ記事に「さわらぬ神にたたりなし(無駄な喧嘩をしては損をする)」ムードへの警告が述べられています。怒りの矛先が権力ではなくもっと弱い者に向かう社会。権力はやりたい放題だし、弱い者同士が食い合ってくれればさらに権力は「漁夫の利」で焼け太る。そして、気付いたときには庶民からすればとても逆らえない大きさの権力になっていたということになりかねないのです。「逆らうのは無理、逆らっても無駄、逆らっても無意味」風潮が徐々に強まることになれば・・・
 そんなムードを意図的に作り上げているともいえるのが、裁判員制度に対する全権力、全メディア、日弁連の姿勢です。最高裁の世論誘導不公正調査を受けて、「裁判員、4割仕方ない」とデカデカと見出しを出した新聞がありました。まさに、メディアが国民に対して積極的にあきらめムードを作り上げるために意図的に世論を誘導しようというのだから極めて悪質です。裁判員制度広報でこんなやり方がまかり通れば、ミャンマーならぬ日本でも行われる可能性のある憲法改悪国民投票でも「憲法は変わるのだからあきらめろ」という手法が行われるかもしれません。幸い、裁判員制度は現段階では起動していません。今ならば「おかしい、やめてくれ」と言うことはできます。言い続ける、そして行動することが極めて重要な時期に来ているのです。
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2008年5月11日(日)

自主規制すべき表現

 まずは次の共同通信記事を。法テラスならぬ「日本調査支援センター 調テラス」がトラブル相談に乗る活動をしていることが問題になっているそうです。当然のごとく、法テラスでは「全く関係ない団体」と注意を呼びかけています。
 それよりも私が問題にしたいのは、共同通信記事内の「まねられるのは理解が広がってきたためという指摘もある」という表現です。これではまるで「法テラスの認知度向上のためには泥棒でもPRに利用する」とも取られる可能性もあるからです。国民的にも不評の「裁判員制度・法テラス・ロースクール」の司法制度三悪改正について理解を深めるにはこんな手法が使われるとなれば、裁判員制度のPRのためには、ゆくゆく裁判員制度を利用した悪質行為が行われたときに、裁判員制度にプラスになるような表現が使われかねない危険性があるのです。
 硫化水素自殺問題でも、前金曜日に発売された小学館・週刊ポストで無差別テロについて言及されていますが、このような記事が載るのは極めて恐ろしいことです。メディアとしてはこのような危険性が分かっていても、記事として掲載するのは自主規制すべき内容でしょうし、良識あるメディアは当然それを分かって自主規制してきたのだと思います。それが社会的影響力の大きい大手雑誌社の記事として掲載された事態は極めて深刻です。記事が掲載されたからこそ事故を誘発する危険性もあるからです。
 最近、「靖国」「日教組集会」で、右翼団体による抗議という抽象的危険性を理由にした表現の自主規制が大いに問題になりました。社会的責任のあるメディアなどの側が自主規制をすれば、社会全体的に表現を自主規制してしまうムードが作られる危険につながります。その一方で、本来自主規制すべき表現を自らの目的のため、あるいは、商業主義のために禁を破る姿勢もはびこっている、こちらもかなり危険なムードが漂っています。
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2008年5月10日(土)

終身刑創設は良いのか?

 まずはこんな問題を。こんな調子だと、間違いなく今年末から「裁判員制度拒否過料振り込め詐欺」が起きるのは間違いないでしょう。

 さて、「終身刑」を議論する超党派議員連盟が発足しました。これには死刑廃止論者も死刑容認論者も含まれており、廃止論者にとっては死刑廃止に向けた目的、容認論者にとっては落差があまりにも大きい死刑と無期懲役の中間刑として導入するためとありますが、やはり「死刑を言い渡すことを強制する」日本だけにしかない異常な裁判員制度を機能させるためという共通の目的はあるようです。
 終身刑創設について国民的に十分な議論がなされているのかどうか?という点も考えねばなりません。「全く違った思想を持った勢力がある一点で共通した」件は、陪審制推進派と陪審制反対派が妥協して「裁判員制度」などというとんでもない法律ができたことに似ていると思われるでしょうが、国民がとても受け入れられないような裁判員制度を彼らの良いところ取りで作られたのとは違い、終身刑創設ならば「ま、死刑と無期の中間だし」という単純な考え方をしたとしても国民的にはある程度受け入れられるとは思います。そういえば、オウムの地下鉄サリン事件で12人への殺人容疑で起訴された元医師は一審で検察が無期懲役を求刑、判決も無期、そのまま控訴されずに確定しました。このケースで12人もの凶悪殺人で起訴されたのに異例の死刑回避された理由として、オウムの一連事件で最初に自首して全容解明に寄与、しかも真摯な反省により情状酌量の余地が十分にあったことが減軽される要因になりましたが、「終身刑があったなら」という世論が大いに挙がったことも思い出します。
 「終身刑ならば国民的にも受け入れられる」?現実社会で刑罰を受けていないのに「実質終身刑」となってしまった立場の人がいることを考えると、そう事は単純でないといわねばなりません。刑罰を受けてないのに実質終身刑=ネットカフェ難民に代表されるワーキングプアのことです。すなわち、彼らは生きるためには食いつなぐための日銭を稼ぐしかなく、命を人質にとられて安い賃金で搾取され、経営者にとって不要になれば「使い捨て」となるのです。当然のことながら、人生を構築するための計画など一生涯できるはずはなく、いわば「実質終身刑」同然というわけです。そうなると、ネットカフェ難民よりは刑務所で命が保障されている終身刑囚のほうが幸せ、という議論になりかねないことも懸念されるわけです。
 シャバに出てきても居場所がないために再犯率も高いこの社会、最も極端な例は強盗殺人の無期懲役での仮出所中、社会での居場所がなく再び強盗殺人を犯して死刑という末路にたどり着くケースです。他の国と違い、犯罪に寛容でない社会のあり方が(世界的に見た場合の)治安の良さを作り出しているともいえるわけです。終身刑問題について、行刑コスト・刑務所過剰収容問題・刑務所新設といった行政上の課題もありますが、元犯罪者の更正など、社会の全体的観点から国民的論議を巻き起こす必要があるのです。単純に「死刑と無期の間が必要」という問題ではありません。
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2008年5月9日(金)

誰も表立って「反対」といえない

 昨日のエントリーとの関連で、酔うぞ氏の本日ブログ記事からです。産経新聞記事引用が5つ並ぶのでかなり長い記事ではあります。酔うぞ氏は連載記事について「裁判員制度(裁判員裁判)の周囲をぐるぐる回っているような印象を受けます」「問題はたくさんあるよ。と指摘する記事であっても、これだけの大作になるというのはよく分かるし、その意味ではこの記事には一定以上の評価を与えるべきだと思うのですが、読者にとってはもっと踏み込んだ記事を期待するのではないのか?と思うところもあります」と表現されています。
 実は、これがまさしく制度に翼賛化したメディア(に限らずほとんどの権力者・有識者)の救いがたい姿勢の根幹そのものです。すなわち、推進派が彼らの論理だけで都合の良いところを組み合わせた上に、反対派の意見を聞き入れずにオール与党化して決めてしまった結果、反対派から制度の根幹に関わる問題点を指摘されても、誰も表立って反対といえなくなってしまったのです。表立って「反対」といえば、周りから「今まで推進してきたものを今更なぜ反対に回るのだ?」と袋叩きに遭い業界内で干されることを恐れるあまり、みんなして反対といえなくなる、こうやって社会全体をゆがめてしまう、典型的な転落の道そのものです。一連の産経記事にしても「本音は反対といいたいけど、今までの経緯があって反対とはとてもいえない」からこそ、回りくどい言い回しをして「表立って反対といわない」わけです。こういう不作為を通して国民に「一応批判論は並べるけど、やっぱり裁判員制度はやらざるを得ない」に持ち込もうとするわけです。
 今年発覚した古紙配合率偽装問題でも製紙業界ぐるみで偽装をしていた結果、誰もいえなくなってしまったケースがありました。つい最近、船場吉兆で食べ残し再利用問題が明るみになり、最初は大阪本店だけと言っていたのが福岡でも行われたことが発覚したケースもありました。上層部がオール与党化したケースで誰も言わない、その結果、内部告発が行われて隠し切れなくなった時点でようやく公表する、それで傷が浅いうちに矛を収めていれば良かったとホゾをかむ結果になるのです。
 「業界ぐるみなのでみんなして反対といえなくなる」これが業界内だけの問題ならまだしも、裁判員制度は国民全員を巻き込むのみならず、最悪の場合は人一人の人生が破綻するケースさえ考えられる問題、しかも、「国家権力・国家権力級影響力を持つ有識者ぐるみ」の偽装行為です。このような手法が許せないのは当然ですが、それだからこそ、我々国民が全員して裁判員制度に「NO」を突きつける運動を広げていくことの大切さを思います。天木直人氏のブログ記事でも期待の大きさが描かれています。
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2008年5月8日(木)

なぜ裁判員制度を守るのか?

 数日前のこのエントリーに続いて、とんでもない低レベルの無理、さらに日本国憲法との整合性が重大問題となる事態を目の前にしてまで、権力側が裁判員制度だけはどうしても機能させようとするのかということを考えたいと思います。
 裁判員制度自体が崩壊したケースを考えましょう。これは国会議員、司法官僚、裁判官、日弁連、メディア、財界といった権力者、有識者、有力者がオール与党化したこと、しかも多額の税金まで投入したこと、さらに、重罪事件を扱うため国家統治の根幹に関わる法律が大失敗したということになります。これは、PSE制度が国民的運動によって潰されたケースのように「一つの法律が失敗した」レベルでは済まされません。国家にとって統治構造を変えるような一大プロジェクトの大失敗となり、国にとっては大変な屈辱となるのです。まして、現状で国民の大多数が参加に消極的な状況では制度自体が「憲法違反」の烙印を押されかねないことも考えられます。こうなると最悪で、国家権力、メディア、日弁連が総ぐるみで国家統治の根幹に関わる法律で憲法違反を働いたという結果を招くのです。
 勢い、推進側としては、国にとっての大屈辱を避けるためには、無理にでも国民を「裁判員制度賛成派」に転向させるしかなくなったのです。有力者のオール与党化、メディアが一切批判しない(この時点でもかなり不公正な偏向報道はありましたが)、というだけでも私はおかしいと感じていたのですが、これが2006年末のヤラセタウンミーティング問題からはそれがますますヒドくなりました。何しろ、教育改革タウンミーティングでのヤラセ報道は大きく取り上げられましたが、続いて発覚した司法タウンミーティングのヤラセ問題はあまり取り上げられず、しかも「裁判員制度」が絡むことが大半正しく報道されなかったためです。その後の権力側姿勢、報道姿勢はますます偏向し、最高裁が法律を犯すという「一線を越える」事態もおきました。このような国民が少し考えれば分かる低レベルのインチキについて、メディアもそのインチキぶりを隠蔽するような報道姿勢をとり、何としてでも制度を維持しようとする態度です。
 そのため、私としてはこんな法律、というよりもこんなやり方をまかり通すことを許さないことを最大の目的として活動しているのです。こんな手法がまかり通れば、権力が本気になれば、彼らにとって都合の良い「共謀罪」「憲法改正」「徴兵制」も何でも通してしまうでしょう。8割の国民が「やりたくない」裁判員制度。この声を権力側に突きつけようが、彼らのメンツからも強行するでしょう。しかし、権力の強引なやり方に「法律だから仕方ない」でひれ伏せばそれこそ彼らの思うツボです。「日本国憲法」という武器をもってNOを突きつける、これが主権者である国民としての意思を示す行為なのです。
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2008年5月7日(水)

小林多喜二の時代(2)

 昨日のエントリーの続きを。「小林多喜二の精神今再び」の時代になっているといわれています。代表作「蟹工船」がミリオンセラーになるほど、現代の社会情勢が民衆の共感を呼んでいるからです。
 「小林多喜二の精神今再び」。現代の市民運動の根にも現れています。作家の雨宮処凛さん、「もやい」の湯浅誠さん、河添誠さんといった貧困・格差を切り口にした活動をされている方も多くいます。川田龍平氏が代表的ですが薬害問題からの切り口、沖縄などの基地問題を切り口にした活動も広まっています。私の「裁判員制度反対活動」もおそらく社会的に見たら思想的根底は同じだと思います。あくまで切り口の違いだけです。ただし、裁判員制度批判活動は上記に挙げたような格差社会問題などと比べると社会的に見たら表に現れていません。その理由も明らかで、メディアが不公正な情報統制をしているからです。昨日触れたように、裁判員制度批判に対する検閲・発禁同然の全大手メディアの手法は、小林多喜二が当時検閲・発禁の危険性を認識していたのと同様の危険性を持つと私は考えています。
 その意味では現代における権力側の動きの危険性も触れておかねばなりません。権力側も彼らの目的達成のためには都合の悪い活動は徹底監視しなければならないからです。自衛隊情報保全体が調査活動を行っていたことが昨年明らかになりました。イラク自衛隊派遣反対運動を行う思想をもった市民・団体を監視する目的といわれています。ビラまきに対する恣意的監視による摘発、日の丸・君が代の強制なども、権力にとって都合の悪い思想を統制するためのものです。さらに住民基本台帳ネットワークによる市民へのデジタル監視。そして何よりも恐ろしいのはここでも触れますが裁判員制度。公正な裁判を行う名目で思想調査ができるという恐ろしいシステムになっているからです。
 さて、最後ですが、裁判員制度反対活動が全国的運動になったとしても権力側は「ここまで来た以上やるしかない」と強行するのでしょうか?もし強行したらどんなことが起こるか考えたいと思います。一昨日のシンポジウムの話ですが、領土拡大を目的に満州に侵攻した軍の権力は満州の人民に対する強権的な圧政を行いました。治安維持法で2000人前後の死刑判決を出したそうで、その結果は満州の民心が離反したといわれています。裁判員制度を強行すれば同様の事態が起きることが想定されます。何しろ最悪の場合は生活が破壊されるケースさえ考えられる裁判員制度です。違憲訴訟や評議紛糾など法律そのものに対する国民全体の不満が爆発するでしょう。それは、単に裁判員制度という法律に対するだけの不信にとどまらず、権力・有識者オール与党化で推進した行為そのもの、広く言えば政治全体への国民的不信に発展することは間違いありません。
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2008年5月6日(火)

小林多喜二の時代(1)

 まずは、本日の産経コラムを。イデオロギーは徹底排除して個々の事件追跡をという姿勢、これは裁判員制度推進のための考えそのものです。イデオロギーが入り込めば、「裁判員制度は憲法違反」という主張をするケースも考えられて推進派にとってマズいからでしょう。逆にいえば、我々としては「裁判員制度は憲法違反」というイデオロギーを徹底主張することが大きな活動方針の一つになります。

 昨日は、千葉・幕張で行われた9条世界会議に出向いてまいりました。私は小林多喜二虐殺事件をはじめとした戦前の言論弾圧、そして、現在への連鎖についてのシンポジウムに参加しました。裁判員制度批判の立場から私も少し発言させていただきました。「国家統治の根幹に関わる法律について、権力オール与党化、しかも最高裁が違法契約のインチキをしてまで推進する裁判員制度だから、批判する行為は徹底弾圧される恐れがある」と。当然、シンポジウムも裁判員制度批判の観点から聞いていました。今回はシンポジウムでの講師の話から、まず当時の時代背景と、いかにして権力の横暴を小林多喜二が見抜いていったかについて触れたいと思います。
 小林多喜二の生きた時代は満州事変から日本が戦争へとなだれ込む真っ只中にあり、権力者が国全体を戦争へと向かわせるために、非協力的な国民に対する統制、弾圧を繰り返した時期です。多喜二は国家が行う政策の危険性を見抜いていたこともあり、大衆に向けた文芸作品を通じて訴えていったのです。しかし、それには伏字・削除といった改変が行われ、検閲、発禁のケースもあり、多喜二はその危険性も見抜いていたそうです。もう一つ、多喜二がなぜ時代を的確に捉えることができたか?治安維持法などで何度も逮捕されて獄中生活になったのを契機に、恨み、怒りを持続させていたことが大きな要因になったと言われています。検閲、発禁とされたことも手伝って、何がこの国にとって危険かを的確に捉える感性もさらに発達させていったのです。
 無論、権力側もそれは分かっていることで、戦争に向かわせるには権力にとって都合の悪い言論の大衆化を食い止めなければならない、だからこそ、治安維持法を権力にとって都合のよい解釈をして、また、権力に都合よく改正を繰り返すことにもなりました。小林多喜二を拷問で獄死させたのもそれにあたります。その後も、政治犯の取調べに「小林多喜二のように獄死してもいいのか」と脅しに使いながら、一方で一般市民向けには多喜二への拷問虐殺情報を流さないように仕向けていたのです。多喜二の大衆への影響力を恐れた権力側の巧みな情報統制とも言える状況です。
 そして現在・・・一年後に迫った裁判員制度ですが、多喜二の生きた時代に起きた「検閲・発禁」と同じ状況ではないか?まるで批判言論が表向き大手メディアが意図的に出さず(批判的言論を出したとしても、それに対する制度推進反論を結論にするためのダシにするくらい)、国民世論を極めて不公正な手法を用いてまで一方的に誘導しようとする姿勢、これで裁判員制度反対運動に対する権力側の恣意的徹底弾圧行為に発展すれば、それこそ、この国全体がとんでもない方向に向かうのは間違いない事態を招きます。
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2008年5月5日(月)

日本国の最高法規は?

 一昨日、昨日に続いて日本国憲法の話を。日本国の最高法規は何か?「そりゃ日本国憲法に決まっているだろ、そんなもの小学校レベルの話だろ、日本国憲法第98条に定められている通りですよ」では今回エントリーする意味などありません。イラク派遣憲法9条違反判決が出たのに対して防衛省の航空幕僚長が「そんなの関係ねぇ」とバカにした行為など、日本国憲法が本当にこの国の最高法規であることに疑念を抱かせるものです。憲法と裁判員制度の関係においても、日本国憲法よりレベルが上の法規など法の条文では存在するはずはないのに、実態的運用となると、どう見ても「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」すなわち、裁判員制度のほうが上位の法律解釈・運用になっていると考えざるを得ないのです。
 国会では改憲論議が取りざたされており、民主党内にも改憲論者が多数いるのが現状です。ただ、改憲派と護憲派双方の議論があるのは好ましいことです(その取り上げ方が公正であることが大前提ではありますが)。最終的には国民がどう判断するかにかかっているからです。しかし、裁判員制度については専門家間でも「憲法違反」の意見も多く出ていますし、現実に死刑制度との絡みなど問題点が噴出してきているにも関わらず、国会内では「制度をやめる」という議論はまるで聞かれません。「より良い裁判員制度にしよう」との思想のもと、部分判決制度による改正は成立し、重無期刑法案も取りざたされます。これらの改正で現行日本国憲法との整合性がさらに問題化することも予想されます。しかし、共産党や社民党までオール与党化してしまった以上、これを廃止するなどということを彼らは考えられないのでしょう。まさしく「政策の誤りを認めない」彼らの思想そのものです。
 最高裁はもっとヒドい事態です。裁判員制度の広報のためには司法の最高府までもが違法行為に走る、それも違法かどうか微妙なケースではありません。ウソの契約日を記載するという常識では考えられない偽装行為なのだから話になりません。さらにはフォーラムサクラ問題、不適正契約問題、そして今年行われた世論誘導目的調査(国民向けには裁判員制度積極派と消極派が2対2になるように見せてアンケートをとっておきながら、最高裁では裁判員容認派3と拒否派1と解釈した)といった極めて不公正な広報活動が行われたのです。しかも、これらの行為はプロが見なければ分からないレベルではない、アマチュア的な目でもすぐにバレる不公正さです。こんな低レベルな不公正行為がまかり通って、最高裁が最高レベルの日本国憲法の解釈を公正にできるなどと誰が考えるでしょうか?これらの行為はすべて「裁判員制度」が絡んでいるのです。すなわち、彼らにとっても日本国憲法より「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が大事という態度です。
 日本国憲法第98条「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」に反して「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」を事実上の最高法規とする権力者の態度。民主党にも改憲論者が多数いる状況のもとでは、裁判員制度が憲法違反になるならば憲法の方を変えてしまえという動きにもなりかねません。裁判員制度に対する権力者の姿勢は、日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を(天皇又は摂政、はともかく)国家権力ぐるみでぶち壊す、とんでもない暴挙そのものです!!
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月4日(日)

自らの目的達成の為に国家による不正を容認

 憲法記念日週間関連、昨日のエントリーに引き続いて。
 つい最近、プリンスホテルの日教組集会拒否問題、映画「靖国」自粛問題など、「右翼抗議の抽象的な恐れ」で表現の自由が侵害されるケースが目立っています。憲法記念日週間の特番テレビ番組や新聞コラムでも問題視されましたが、戦前の日本のメディアが表現を自粛するムードを作り出し、日本社会全体による表現の自粛ムードに流れ込み、戦争反対がいえなくなった時代を作ってしまったことは、現在の日本社会がおかれている状況も同じでは?という思いをする人も多くいます。
 ここで考えなければならないのは、一つの例として、社会的責任を持つメディアが「伝えなければならない事実を伝えない」不作為を行うとどうなるか?という問題で、伝えてはならない反事実・偏向・歪曲を報道するのと同じくらい不作為の罪が重くなるケースもあります。例えば、近所で起きた殺人事件をメディアが伝えなかったために、次の殺人事件が起きたケースなどです。メディアに限らず、戦前のあるときに誰か有力者、あるいは国民全体のムードで「戦争反対」の声を上げてさえいれば、悲惨な事態は起きなかったかもしれません。
 こんなことを私が言うのはなぜか?度々触れるのですが、国家統治の根幹に関わる裁判員制度においてメディアが悪質な不作為による報道自粛をしているからです。法務省タウンミーティングやらせ問題においてはほとんどの報道機関が「裁判員制度」絡みであることを正しく伝えず、一部メディアは全く報道しなかった会社もありました。国家による不正を伝えるのはメディアの最低限の社会的責務です。国家権力によるインチキは国民全体を間違った方向に導くからです。しかし、裁判員制度やらせタウンミーティング問題を報道機関が国民に正しく伝えなかったのは、権力側の圧力はともかくとして、ほとんどのメディア自身が裁判員制度推進姿勢になっているためです。すなわち、自らの目的のためには国家のインチキをも容認して国民をダマす行為が行われたことが最大の問題なのです。
 自らの目的のために国家のインチキを容認して国民をダマす、これは、裁判員制度関連に限らず、昨年の大連立構想でもおきました。これは自らの目的のために讀賣新聞というメディア自身が積極介入したというもっとヒドい作為的なものでしたが、さすがに産経新聞でさえこれは批判しました。この件に関してはまだ産経にはメディアとしての良識がありました。しかし、今年最高裁が行った世論調査に関する報道は、メディア自身も最高裁の不正を分かっていながら最高裁の不正に加担したと言うしかありません。というのも、この種の世論調査を自ら行っているメディアからすれば極めて不公正な内容であることは常識として知っていなければならないものです。これは裁判員制度やらせタウンミーティング問題での不作為による報道自粛よりもヒドい、作為による積極的加担そのものです。
 救いは、戦前当時とは違いインターネットというツールもできたことで国民一人ひとりの発言力もケタ違いに上がったことです。しかし、権力側はこのようなツールを封じるための情報統制をも画策しています。メディアが自らの目的のためには権力のインチキも容認する姿勢の日本社会で、権力によるインターネット情報統制がまかり通れば、それこそ市民が声を上げられない、上げてもムダ、上げたら権力から弾圧される、そんなムードの戦前と同じような恐ろしい社会が築き上げられることになってしまうのです。
Posted at 15:26 | εURL | (0) | Trackback(1)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月3日(土)

憲法記念日と裁判員制度推進論

 さて、本日は憲法記念日です。その意味で、各新聞社とも、護憲派、改憲派それぞれが憲法記念日関連社説を掲載しています。しかし、大手は裁判員制度に絡めた社説はありませんでした。確かに一年後には権力側が裁判員制度を始める予定になっている以上、憲法に絡めて社説を書くというのは重要な観点です。しかし、一年後以前に現状でさえ憲法との絡みで大きな問題が生じていることもあり、そちらを優先すべしという考え方もあるからです。すなわち、護憲派にとってみれば一年後の裁判員制度よりも今現在生きるための日銭さえ稼げない人がいるではないかという観点やイラク自衛隊派遣訴訟で憲法9条違反が確定したではないか、改憲派にとってみればガソリン税混乱問題が起きたり日銀人事も決められないような二院制国会になってしまったではないかという観点などです。一方で地方紙には確かに裁判員制度絡みの社説もありました。山陰中央岐阜のように「裁判員制度を円滑にスタートさせるために」と既定路線にしてしまっているものがあり、山陽新聞では「国民主権の趣旨」と位置づけられた一方、宮崎日日では「人権侵害に当たるとの主張もある」と違憲の疑いも持っています。
 しかし、裁判員制度推進論を憲法がらみで論じるにあたっては、改憲派、護憲派双方の観点とも国民的理解を進めることには極めて厳しい問題があります。まず、改憲派の観点から見て、「裁判員制度が現行憲法に見合わないから制度に見合った改憲を」という論理は通用しません。裁判員制度が議論された時期は改憲論議もかなり取りざたされて時期にも当たります。改憲論者の論拠は、憲法9条の条文や国会の二院制など、古い時期に作られた条文が社会の現状に見合わないからというものです。裁判員制度のように新たに設けられる法律にこれを当てはめたら、権力にとって都合の良い法律のために憲法を変えようという極めて危険な論理がまかり通ってしまうのです。改正憲法を前提とした裁判員制度だとしても危険性は大きく変わりません。
 現行憲法の枠組みの中で考える護憲派から裁判員制度推進論を憲法がらみで論じるに当たっても、やはり国民的理解は得られない内容になってしまいます。西野喜一氏流にいえば「違憲のデパート」といわれるほど、ただでさえ現行憲法との整合性が疑問視されている制度です。せいぜい推進派から国民への理解を深めようと思えば「国民主権の理念に沿う制度」というくらいのもの。それとて、「国民が主権者であれば制度自体が良いのかどうか考える権利がなければおかしい」という反論にはどう答えるのでしょうか?
 裁判員制度を批判する立場の私としては、国民の皆様に今一度「裁判員制度の是非を考える」ことをお願いしたいと思います。自らが被告人になった場合も含め、憲法との整合性も考えた上で裁判員制度が本当に司法制度としてよいのかどうか?それで国民的な納得が得られた上で裁判員制度が実施されるのであれば私も納得して受け入れます。現実は、権力者や有識者がオール与党化して何も知らない国民にババを引かせるようなやり方を取ったのみならず、現行憲法との整合性さえ十分に論議されないまま、彼らの都合の良いところをつなぎあわせた極めてバランスの悪い法律が出来てしまったからです。推進側としては、「もはや法律は決まったのだから裁判員制度の是非は一切考えるな、存在は大前提として考えよ」という態度で、これはまさしく日本国憲法の大原則・国民主権の否定です。
Posted at 22:26 | εURL | (0) | Trackback(0)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2008年5月2日(金)

最高裁長官会見など

 本日は憲法記念日を前にした恒例の最高裁長官島田仁郎氏会見が行われました。この中で島田氏は新潟県弁護士会の裁判員制度延期決議について「民主主義では全員一致はあり得ず、反対論もあって当然」と述べたとか?おいおい、ほとんど権力側のオール与党化で決定、推進される制度についてあたかも他人事のように「反対論があって」などといえるなぁ。権力、有識者、メディアによる反対論の声が2004年前後の決定時にもっと強ければ、こんなに問題がこじれることはないんですよ。
 裁判員制度に反対する2団体(裁判員制度はいらない!大運動裁判員法の廃止を求める会)の会見についてもインターネット上でそれなりに報道はありますが、報道していないサイトもチラホラ。ヒドいのはこの時事通信記事。「裁判員制度はいらない!大運動」の方の団体実名、さらに高山俊吉弁護士の実名を挙げないのは一体なんだ?時事通信にとって「裁判員法の廃止を求める会」は怖くないが、「裁判員制度はいらない!大運動」はかなり恐ろしいと感じているのでしょうか?
Posted at 23:10 | εURL | (2) | Trackback(2)
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2008年5月1日(木)

表現の自由が奪われる(3・ネット表現への政府介入)

 そういえば、硫化水素自殺が全国に広がる中、警察庁は硫化水素発生のマニュアルを有害・違法情報としてサイト管理者やプロバイダに自主削除を求める方針を打ち出したそうです。しかし、硫化水素発生方法や児童ポルノなど、一般常識人、そして無論のこと知識人なら誰もが有害だと判断する情報ならともかく、有害かどうか微妙な情報について政府が基準を判断するような社会になったらどうなるのか・・・

 本日のヤメ蚊先生ブログ記事を。記事中の図は本当に笑えない話ですが、政府にとって都合の悪い情報を「デマ度○×%」としてフィルタリングした上で、政府にとって都合の良い情報だけを国民が入手できるようなシステムです。ポルノや硫化水素といういかにも国民全員が納得するケースを口実として、次々に政府にとって都合の良い判断基準が作り上げられ、国民は政府にとって都合の良い情報しか入手できなくなる社会になるのです。ですから、ヤメ蚊先生は政府に都合の良い情報だけが流れるシステムにしないためにも、判断は政府から独立した行政委員会が行うようにしなければならないと指摘されているのですが、これで果たして十分なのか・・・?
 裁判員制度批判をする私の立場から、裁判員制度だけに限った危惧を申し上げなければなりません。これは、裁判員制度が政府与党は無論、民主党や社民・共産党まで賛成、司法権力、日弁連、メディア、そして大財界、権力者・有識者・有力者といった上層部がオール与党化している構造に問題があります。独立行政委員会の論理も「裁判員制度オール与党化」の公算が高いことが危惧されるのです。そうなると、裁判員制度批判情報は「児童ポルノ」「硫化水素自殺」クラスの有害情報にされかねません。一般常識人ならば誰しも有害と考える「児童ポルノ」「硫化水素自殺」ならともかく、8割の国民が「なりたくない」、さらに、有識者で制度に反対する勢力も多い「裁判員制度」が、第三者機関でさえオール与党化の論理で運営されたとなれば・・・
 つい先日には、フィルタリングが回避される優良携帯サイト認定問題について「原則閲覧制限、第三者機関が認定すれば制限回避」という方針が打ち出されましたが、原則制限の方針となれば、制限解除を希望するサイトが第三者機関に殺到することで大混乱が生じる可能性もありますし、当然のことながら、裁判員制度批判情報が「優良携帯サイト認定」を受けられる可能性はほとんどないでしょう。裁判員制度関連の真の有害サイトは、本サイトや裁判員制度はいらない!大運動ではなく、国家権力・有識者オール与党化で憲法違反をやっている最高裁裁判員制度紹介サイト法務省裁判員制度紹介サイト「よろしく裁判員」日弁連裁判員制度紹介サイトなどの推進サイトなのです!!
Posted at 15:38 | εURL | (0) | Trackback(2)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]




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