さらに昨日の続きで、
日経BP記事から。
私が最初に裁判員制度の問題点を発信していこうとした時期に、この制度に反対していたのは主に保守系、もっと言えば「右翼」とも言われる勢力でした。現在の「裁判員制度の廃止を求める会」の系統に当たります。これらの勢力にとって、「国民を国家が都合良く支配でき、究極の支配政策である徴兵制とも根が同じ」裁判員制度は格好の政策のはずでは、と当時の私は考えていたのですが・・・
今から考え直すと、これらの「右翼」といわれる勢力の裁判員制度反対の考え方も理解できるような感を持ちます。というのは、右翼にとって「国家に都合の良い国民を作り上げるのが真の政治目的」であれば裁判員制度賛成になるはずですが、
根底的目的を「国体護持」という観点におけば裁判員制度はやってはならない、という立場が考えられるからです。あくまで「国家に都合の良い国民を作る」のは、右翼にとって最大の目的である「国体護持」のための一つの方法でしかないとなれば、裁判員制度などやったら国体が持たないと考えれば裁判員制度には反対となるわけです。
右翼が裁判員制度に反対する理由で「裁判員制度で市民が参加すれば在日・部落被告人に不当な無罪判決が出るかもしれない」という極端な言い方を見ることがあります。こんな主張をすればかえって市民的には「極論的主張」として理解されにくいと思いますし、彼らの主張を一見だけすればむしろ裁判員制度は導入した方が良いとさえ当初は思えたのですが、彼ら「右翼」と一線を画する私が運動を深めていくにつれ、右翼側の主張にも一定の理が見えてくる面も出てきます。それは、(とりわけ8割がなりたくない現状ならなおさら)市民側が「事件の判断に参加」するのではなく、
「裁判員制度という法律そのものにイデオロギー的反対主張を持ち込む」姿勢になれば、右翼にとってみれば「国体そのものが持たなくなる」となるのです。強制徴用だろうが自主参加だろうが裁判にアマチュアが入り込めば裁判の信頼度が低下するという思想で、これは、右翼にとっては行政訴訟でも国賠訴訟でも同じ(ここは我々の運動主張と異なる部分)ですが、重罪裁判ならば国家統治の根底に関わるだけになおさらでしょう。まして、市民にとって負担の極めて大きい重罪事件への強制徴用という不満分子がたまっているだけに、国体への反発度は極めて高いものがあります。それだけに、右翼にとって
国家権力でも扱いきれない「モンスター」をなんで作ってくれるのだ?という疑念が拭えないのは自然だともいえるわけです。
しかし、これらの右翼の考え方には限界もあります。右翼・保守系の世界は基本的に「上意下達」トップダウンの思想です。そのため、
お上の決めたことには逆らえない性質があるのです。となれば、裁判員制度を口では批判していても、いざ具体的な「反対運動」となれば、彼らにとっての「お上」全員が賛成している裁判員制度にはどうやっても「反対」の声があげられません。反対の主張を自らの口で主張するような運動をすれば、これは右翼にとってのトップダウン的基本思想に反するという矛盾にさらされるわけです。今年6月13日の「裁判員制度はいらない!」日比谷公会堂大集会には右翼系メディアが取材する計画があったようですが、右翼系メディアにとって自らの力ではどうしても「裁判員制度反対」をいえないから、裁判員制度反対を実現すること、さらに裁判員問題以外でも自らの主張を広めるために我々の裁判員制度反対運動を利用することを考えたのです。
そんな意味でも、裁判員制度を現実的な意味で潰せるのは我々の運動しかない、ということを念頭に入れて活動していきますので、皆様の応援をよろしくお願い申し上げます。
竹崎新長官のクビを次期国民審査でぶっ飛ばすキャンペーンを次期国民審査の期日まで毎日張ることにいたします。皆様も下記バナーを貼り付けて下されば幸いでございます。

貼り付け方は下記の通りです(<>の部分は半角に直してください)
<img src="http://www.interq.or.jp/enka/svkoya/blog/enka/xn--fcrpb68l47o056c/images/shinsa200.gif" alt="最高裁長官竹崎博允ヤメロキャンペーン" />
(以下の文については、転送・転載大歓迎です)
2008年11月21日に定年退官する島田仁郎最高裁判所長官の後任として竹崎博允氏が決まりました。しかし、8割の国民が敬遠する裁判員制度を最重要課題に、最高裁判事を経験していない上に、国民審査も通ってない最高裁長官人事を提示するのは、まさに主権者である国民に対する最大級の挑戦と言えます。我々は、このような人事を国民に突きつけてきた国家権力の挑戦を絶対に許さないことを誓い、次期最高裁国民審査において、審査対象長官・判事全員に×をつけることを宣言いたします!!