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天下の大悪法・裁判員制度徹底糾弾!!

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2009年10月31日(土)

「制度定着のために」の欺瞞

 いよいよ明日11月1日(日)、日比谷野外音楽堂で「労働者総決起集会」が開かれます。天気としては非常に微妙な情勢ですが、1万人の来場目指して頑張りましょう。なお、この会場では裁判員制度はいらない!大運動が「裁判員制度はいらない!全国情報」創刊号を一部100円で発売いたします。すべての大手メディア・地方メディアが国家権力と一体化して不公正な翼賛報道を徹底する中、裁判員制度の実態をこの情報誌が唯一暴きます。

 最近の日本郵政問題をめぐる各新聞社説論調は「憂慮すべき事態」「許されない」「官営に逆戻り」といった否定的なものが極めて目立ちます。それもそのはず、小泉改革の象徴である「郵政民営化」をメディア会社として支持した以上はその誤りを認めるわけには行かないというのがあります。裁判員制度問題は郵政の比ではありません。国民全体を巻き込んでまでメディア全体で絶対翼賛姿勢にて推進してきただけに、メディアとしても強権的な手法であろうとも市民が嫌がろうとも絶対的に押し付けるしかなくなったのです。今回の郵政問題のように「逆戻り」でもしようものなら郵政以上の非難、バッシング社説が乱発されるのは間違いないでしょう。現実に昨年の日弁連会長選挙では、各新聞社が高山俊吉氏に投票した43%の弁護士を徹底的に非難しました。来年の日弁連会長選挙では政治家、メディア、財界を挙げての「高山俊吉派(告示されていないので現段階ではこの書き方をします)」候補の当選阻止運動がなされるのは想像に難くありません。
 メディア全体で絶対翼賛姿勢で貫かれる裁判員制度。一部識者からも「法律が動き出し、現実に裁判が行われている以上もう批判する時期は終わった」といった言い方が出ていますし、メディア自身もそのような言い方をしながら、市民にも「もう制度に協力するしかない」ムードを積極的に蔓延させようとしています。市民内でいまだに疑念や不信感、消極姿勢が根強いことをメディアとして分かっていながらも、この政策が国家統治の根幹に関わるがゆえに国家権力と一体化して絶対に裁判員制度を成功させるという結論がある以上は無理に無理を重ねるしかなくなっているのです。ますます市民全体とメディア・権力側の溝が深まる結果を招くだけとしか考えられません。
 メディア側は「裁判員制度の定着のために」と一貫して主張していますが、「制度を定着させるかどうかについては市民が考えることも許さない」報道を貫いていることをメディアはどう考えているのでしょうか?いや、彼らには世界の常識的見地からの人権感覚もないからこそ異常な報道が貫かれるというのもあるでしょう。そして、重要なのは、国民全体の民意が「裁く側」の論理でこの制度を納得しようとも裁判員制度が定着するとは限らないことです。
 世界における同様の制度は例外なく「裁かれる側の論理」で出来たものか、システム上裁かれる側の人権保障が存在します。日本の場合は、裁かれる側の論理がなければ、戦前陪審制のようなシステム上の保障もありません。現実に裁判員に裁かれた被告人の多くは「裁判員に裁かれたくなかった」と感じながらも、控訴断念に追い込まれるケースが続出しています。しかし、日本において重罪で裁かれる側が「裁判員制度で裁かれるわけにはいかない」という姿勢を強硬に示す被告人もこれからは出てくることが考えられ、その場合に即裁判員制度が頓挫するケースも考えられることに言及しておきます。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月30日(金)

だから記者会見は信用できない

 各新聞社説・解説には軒並み「裁判員経験者には是非とも記者会見に積極的に参加していただいて感想を語ってほしい」との論調の記事が掲載されています。我々の仲間の弁護士内でも「公正な裁判批判のために記者会見は必要だ」との意見を持つ方もいます。しかし、私は一貫して「裁判員経験者の記者会見など絶対にやってはならない」と主張してきました。公正な裁判批判に使われるのならば記者会見をする意義はそれなりに認めるのですが、メディアによる「国策宣伝」のプロパガンダ目的が第一ならば記者会見そのものが民主主義の根底に反する存在になるからです。そして、その恐るべき実態がまさに明らかになってしまいました。
 静岡地裁浜松支部で行われた裁判員裁判で経験者記者会見で毎日新聞はこんな記事を掲載、臨んだ4人全員が再び選任されることに後ろ向きな姿勢を示したとの内容でした。そのうちの一人の男性が「裁判員制度の趣旨が伝わってこない。気持ちが反映されないと感じた」「誘導はなかったが目に見えない線路が引かれているように感じた」、また、裁判員の意見が反映されない点があったと触れた件にも言及されています。よくぞ毎日新聞はここまで裁判員制度に後ろ向きな記事を書けたものだと感心しています。大手メディアは裁判員制度に限っていえばまさに「御用記事100%」の報道が基本だったからです。
 それを踏まえてですが、本日の日経新聞でもこの浜松支部の件が記事になっています。ところが、中身はどうかといえば、「目に見えない線路が引かれているように感じた」「気持ちが反映されないと感じた」件には触れられていますが、会見に臨んだ4人全員が「もうやりたくない」と後ろ向きな姿勢を示したことや「裁判員制度の趣旨が伝わらない」ことには触れられていません。すなわち、裁判員制度推進に都合の悪い意見を意図的に外した上で記事にしているのです。特に、「気持ちが反映されないと感じた」感想の論拠「裁判員制度の趣旨が伝わってこない」を意図的に外すよう報道がまかり通ると、それは裁判員制度について行うべき対策(=完全廃止)とは全く違う誤った方向に進むことにつながりかねません。私は前々からこのような事態が必ず起きると危惧してきました。こんな不公正な世論誘導に使われるのであれば記者会見など「ない方がマシ」です。
 浜松支部に限らず、今週行われた他の裁判員裁判でも前向きな言葉は多くはありません。まして、選任の予備段階で思想的不適格や仕事の都合などを理由に5〜7割程度の候補者が呼出対象から排除されているため、実際に抽選で選ばれた裁判員は元々の推進派か断れなかった人です。元々推進派が多く含まれていると考えられる裁判員でさえもなかなか前向きな言葉が聞かれない、そんな理由から「裁判員制度総翼賛」メディアが記者会見の内容を歪曲して伝えるともいえます。ますます市民による制度への疑念が深まるのは間違いありません。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月29日(木)

日米同盟の正統性も疑う

 ちょうど2週間後の木曜日・11月12日にオバマ米大統領が来日します。オバマ大統領、というよりも欺瞞極まりないアメリカ帝国主義への抗議の意味もこめて、11月12日当日に抗議集会・デモが東京・文京区民センターで18時から開かれます。私も参加予定でおります。それに先立って、今週末11月1日(日)に日比谷野外音楽堂で「労働者総決起集会」が開かれ、来場1万人を目標としております。なお、この会場では裁判員制度はいらない!大運動が「裁判員制度はいらない!全国情報」創刊号を一部100円で発売いたします。すべての大手メディア・地方メディアが国家権力と一体化して不公正な翼賛報道を徹底する中、裁判員制度の実態をこの情報誌が唯一暴きます。

 普天間移設問題をめぐって日米関係にきしみが生じています。一方で、アメリカは大韓民国に対しては連携を改めて確認するなど、対照的な態度をとっている旨の記事が毎日新聞に掲載されました。ここには、日米同盟は無論のこと、普天間移設をめぐる地元の民意、さらには先の総選挙で示された全体的な民意が複雑に絡み合ってくることが大きな問題になります。
 アメリカがなぜ日本と韓国相手にこれだけ違う態度を見せるのか?これには、韓米同盟が成り立つには日米同盟の存在が絶対条件となる理由があります。すなわち、日本が中国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と強力に連携する立場をとる、あるいは、日本がアメリカとも東アジア諸国とも協力関係を築かず独自路線をとるとなれば、アメリカから韓国への海路、空路は大半が日本の領海、領空によって遮断されます。そうなると、韓国の世論がいかに韓米同盟を支持しようとも、アメリカがいかに韓国と連携しようとも、日本がアメリカと連携しなければ韓国との連携が地理的に不可能になるのです。韓米同盟の確認と強化のためには、アメリカとしては韓国に対して「日本をなんとしても絶対に説得する」と言う必要があるのです。
 仮に、日本国内の世論が「日米同盟破棄」支持(これは、日本が独自路線を取るケース、日本が中国・朝鮮共和国路線に転向するケースのどちらも含む)に傾こうものなら、アメリカ・韓国連携で強硬手段を取られる可能性も考えられます。日本国内の世論が「日米同盟破棄」を支持するケースは、その前提として日本国内が大混乱しているということになります。55年体制による自民党一党支配が終わる歴史的政権交代で民主党政権が出来たとはいえ、JAL、郵政、普天間問題など一つ間違うと国を揺るがす課題は山積しています。日米同盟の維持どころではない国内混乱が起きれば、それは東アジア全体の不安定化に即つながる可能性もあるのです。
 そんな中での我々の裁判員制度廃止運動。裁判員制度はまさに国家統治の根幹に関わり、国民全員を巻き込もうとする政策です。しかも、権力・権威が総与党化して、不正な手段を使ってでも何が何でもこの国に定着させようと無理をしています。当然、そんな政策を我々が受け入れるわけはないですし、「裁判員制度はおかしい」という世論が強まれば、「アメリカが年次改革要望書で押し付けた政策だ(私はアメリカの要望という説は全面的には信用せず、日本独自に改悪したものだいう意見ですが)」という世論も当然出てくるでしょう。それこそ、日米同盟そのものも「核持込密約があったのだからそれ自体正統性がない」という世論にまで発展するかもしれません。我々としては、それくらい大きな歴史転換するだけの力のある運動になったと自信を持って進めていく所存です。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月28日(水)

ウィニー事件の刑事事件としての怖さ

 まずはこの讀賣記事から。6年前の強姦事件が立件される見通しとのことですが、さらに裁判員制度対象となる強姦致傷の余罪についても疑惑が持たれています。6年前の事件を果たして市民が公正な目で裁けるのか?そんな観点から裁判員制度が構築されたのかと考えると甚だ疑問視せざるを得ません。

 少し古い話になりますが、ファイル交換ソフト・ウィニー開発者が著作権法違反幇助罪に問われた裁判で大阪高裁が逆転無罪を言い渡しました。そして、この判決を不服とした大阪高検が最高裁に上告したことで、著作権のあり方、コンピュータウィルスによる情報漏洩問題など世間を大きく騒がせた事件は、さらに争いが「延長」されることになりました。この事件について、著作権法のあり方を議論せよといった社説が数多く見受けられました。また、私が裁判員制度批判をしてきた立場からは過去に「裁判員の個人情報が権力から流出する危険性」について何度か言及してきました。しかし、ウィニー事件を刑事問題として考えても、裁判員制度批判の立場から恐ろしい事態に言及せざるを得ません。
 ウィニー事件の恐ろしさは簡単に言えば何か?それは「お前(被告人=ソフト開発者)はこのソフトが犯罪(著作権法違反)に利用されるのを知ってたはずで、それを知った上であえてインターネット上にソフトを出した」と捜査当局に決め付けられることです。今回の事件では開発者自身が真の意味でどんな目的を持っていたかはうかがい知ることはできません。しかし、本人が「開発したソフトの実力を世間に知らせる」目的だと主張しようが、捜査当局側が「犯罪に利用させる目的だ」と決め付けてしまえば容疑者として立件しまいます。そして、捜査当局の論理が社会一般の論理と一体化して、たとえ無罪判決が出ようとも、開発者への社会的イメージとして定着した上で、制裁という結果を招くことが極めて恐ろしいのです。
 ここで、裁判員制度は権力側が「死んでも絶対に社会に定着させる」ほどの強権的手法で異常なまでの推進をしています。とりわけ最高検が「裁判員制度そのものへの批判につながりかねない」と懸念を示すということは、ウラを返せば「裁判員制度は批判されてはならない」となります。一般市民を犯罪者に仕立て上げることもできる最高検が「裁判員制度批判を許さない」ということは極めて恐ろしい話で、ゆくゆくは、(特に候補者本人による選任過程に直接的な影響を及ぼす)裁判員制度批判することそれ自体が犯罪にされかねない怖さがあるのです。2007年に四谷で裁判員制度はいらない!大運動が開いた集会で高山俊吉先生の著書裁判員制度はいらないが発禁本になったという笑えないシーンもありましたが、裁判員制度批判が犯罪にされる社会は、イコールこのような本が犯罪になるということと同じなのです。
 私がこのように裁判員制度についての問題情報を毎日のようにアップしていますが、「(特に候補者による選任過程に直接的影響を及ぼす)裁判員制度批判が犯罪」とされる社会は、当然、世間にこのような情報を不特定多数(特に候補者向け)に流すこと自体が犯罪にされます。私が「言論の自由」を主張しようとも、「犯罪である裁判員制度批判につながる情報を流した」と検察が決め付けて私に限らず裁判員制度批判を展開する市民を一網打尽に摘発する(ただし、弁護士はもともと裁判員不適格者だから立件しない)、こんな恐ろしい社会を許してよいのでしょうか?
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月27日(火)

徹底的に被告人の立場から考える

 本日は産経新聞社説で足利事件が取り上げられました。「今回の再審で誤判に至った経緯などを検証することは、冤罪の再発防止につながり、裁判員を担う国民の理解も得られよう」という言い方、金太郎飴と化したメディアの典型的裁判員制度翼賛論調といえます。すなわち、裁判員制度への理解が得られるという絶対的な結論を前提にした論理の組み立てだからこそ、事件の検証が冤罪の再発防止につながるという組み立てもするのです。私が何度も言うのですが、それならば、国民的立場もそうですが、特に菅家さんの立場から見てこの再審事件が裁判員裁判で裁かれると仮定した場合に冤罪防止の効果を挙げられるのか?ということを問いただしたいと思います。
 裁判員裁判にかけられた被告人から見て法廷がどんなものになるか?数年前の裁判なら自らの立場から見て敵になるのは検察官だけですし、一方で自らの味方として弁護人がつく、裁判官は建前上は中立な立場で判断する(もっとも、国家による裁判官統制ゆえの自らの出世を目的とした検察官寄りの判断を下しやすいという傾向はありますが)、これが刑事裁判でした。ところが、裁判員裁判開始時期の前にまず犯罪被害者が検察官と同じ被告人を糾弾する立場として加わり(場合によってここに弁護士もつくケースもある)ました。そして裁判員裁判では、裁判員に加えて、裁判官が被告人への質問を促したケースもありました。この国の市民感覚がほとんど大半は「治安統制思想」に染まっていることから、質問は被告人を糾弾する内容一辺倒になります。
 そして、極め付けは弁護人が被告人の人権を守る立場で裁判に臨まないことです。これは、(少なくとも国選弁護人は)「裁判員制度は憲法違反」と絶対に主張しないところだけで「被告人の立場を守る姿勢は全くない」と言うしかありません。彼らが真っ先に弁護するのは「被告人」ではなく、「裁判員制度」です。それもそのはず、日弁連現執行部の方針として「被告人に裁判員制度を回避する権利を与えたら誰もそんな裁判選ぶわけはない」という理由で裁判員裁判の回避権を認めなかった経緯があります。すなわち、被告人より裁判員制度が優先だと彼らが言っているのです。だからこそ、裁判員制度の存在を守り切るためには、裁判員裁判を受けた被告人になるべく控訴させないような姿勢を取るのも当然といえるのです。
 だからこそ、我々としては徹底的に被告人の立場からこの裁判員制度を考えていくことが大変に重要な意味を持っています。仮に自分が重罪被告人になった場合、「裁判員制度が憲法違反である」と訴えようにも、最高裁が不正な広報をしてまでこの制度を推進している状況では尋常な手段で訴えても無意味である、そこまで視野に入れて考えなければならないのです。そうなると、海外を絡めた上で尋常でない手法を使わなければならないともいえます。私としてもその手法は後日出したいと思います。
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2009年10月26日(月)

非常に分かりにくい規則

 来年の裁判員候補者通知が11月12日に発送されることが決まりましたが、最高裁HPに詳細が掲載されました。これによると、裁判員候補者としての有効期間は1月1日から12月31日ですが、次年の裁判員裁判についても年初に行われるものについては前年の候補者名簿から選ばれるとのことです。例えば、2009年の候補者は、2010年2月中頃までの裁判員裁判(長期裁判のケースでは2月下旬までというケースもあり)については候補者に選ばれる可能性があり、その後の裁判で初めて2010年候補者が呼び出されるとのことです。しかし、こんな扱いをすれば、同じ期日に始まる裁判員裁判なのに、各地裁ごとに2009年候補者が呼び出されているケースと2010年候補者が呼び出されているケースが混在することも十分考えられます。
 上記の最高裁HPリンク先を読めば、「実際に裁判所にお越しいただくのは,このお知らせを受け取ってから約6週間後以降となります(平成23年に入ってからも2月ころまでの間に裁判所にお越しいただく可能性があります)」となっています。しかし、実際に「このお知らせ」を受け取る時期から6週間後を考えると、1月初旬にまず間に合うと考えて良いでしょう。これを読めばますます混乱するのではないでしょうか(もっとも、実効力があるのが2月中旬以降だとしても「受け取ってから約6週間後以降」には変わりないことはありますが)?こんな混乱が起こらないためにも、1月から行われる裁判はその年の候補者から選ぶのが本来は筋というものでしょうが、これも最高裁の業務の都合が優先された結果とも言うべき事態だと思います。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月25日(日)

裁判員制度に「JAL並み」国家支援

 本日は酔うぞ様のブログ記事経由、讀賣記事。深刻な経営難に陥っている日本航空(JAL)救済のために特別立法が検討されているとの内容ですが、経営難という理由があるにせよ、過去に結んだ契約を「後出しジャンケン」「ドロナワ」的な手法で新たに破棄できるような立法行為がまかり通れば、(特に国家など権力とは)ヘタに契約などできやしない事態にもなりかねません。そうなると、当然のことながら、市民は法律の存在そのものも信用できない、そして、こんな思想の法律を作る性格のある国は体制としてとても信用できないということになるのです。
 こんな異常な法律を作ってまでもJALについては法的破綻を避けなければならない、との国の姿勢はこの国に根強く残る病理といわざるを得ません。言ってしまえば、JALは国家体制そのものの根底に関わる問題だから破綻すれば国家体制の崩壊につながる、だから何としても法的破綻を避けるべく擁護しなければならないという論理です。いわば親方日の丸の企業だからこそ何としても国が守り切る姿勢で、同じような論理は検察が歴代社長3人を不起訴にした件について検察審査会でその判断が否定されたJR西日本についても見て取れます。
 国家体制の根幹に関わる問題だからこそ国が異常なまでの支援、擁護姿勢をまかり通す。まさに裁判員制度の推進手法そのものです。やらせタウンミーティング、世論誘導アンケート、司法の最高府であるはずの最高裁による違法・不正広報、候補者出席率のデータ歪曲、裁判員経験者への推進側に都合よい誘導尋問記者会見などなど、制度を守り切るためには何でもありのやり方です。ウスウス市民もこの制度自体のおかしさを何となく感じるムードは、いまだに世論調査で「参加したくない」割合が変わらないことでも明らかです。「裁判員制度はその存在そのものが明らかに胡散臭い」ムードがより高まる事態にでもなれば、市民はその法律の存在そのものを信用しなくなります。まして、裁判員制度は重罪事件を扱うことから国の統治の根幹に関わる政策ですから、裁判員制度の存在そのものへの市民的不信は、即、国家体制そのものへの不信につながります。
 もっとも、この問題が国内レベルで押さえ込めるものであれば国民の不信をよそに人権弾圧的な手法をまかり通したところで、国際的非難を浴びようとも「わが道を行く」姿勢を権力側が貫き通せば(彼らにとっては)良いのでしょう。しかし、裁判員制度は国内レベルの問題ではとどまらない事態が考えられます。最も端的なのは、外国被告人が「裁判員制度は憲法違反」という訴えを国連に起こしたときです。それどころではありません。本エントリーでは触れませんので後日言及しますが、私は日本国籍の容疑者・被告人でさえもできることがあると考えております。(金額というよりは、思想的に)「JAL並み」ともいえる国家的異常な支援をしてまで擁護した裁判員制度が破綻する結末になろうものならば、「もっと前に引き返しておけば、国家全体の世界的信用失墜にまで至る事態は避けられたのに」とホゾをかむことになるでしょう。
Posted at 21:54 | εURL | (0) | Trackback(0)
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2009年10月24日(土)

さらなる税金投入を許すな

 国民的不人気、さらに専門家による説得力ある反論を無視するかのように、権力側が「法律が動きだしたのだから粛々とそれに従って運用」しようとする裁判員制度。いかに我々が反論しようとも、権威が総与党化した上で「自分たちの誤りを認めない」官僚的思考から、(第一に被告人ですが、彼らを含む)国民の大迷惑など知ったことじゃないといわんばかりの態度。まさに政治のあり方として失格としか言いようがありません。
 今すぐにでも「裁判員制度は人道的見地から根底的に間違っているからヤメロ」といおうが、総与党化した権威にとっては全く「馬耳東風」の態度が貫かれるでしょう。それどころか、「裁判員になる市民の負担を減らす」大義名分のもととんでもない税金投入がなされる可能性もあるのです。以前の福島民報社説で、「郡山支部の裁判員裁判において市民の負担が大きすぎる地域の住民もいるから、会津若松といわきの両支部も裁判員対象支部にせよ」という内容の意見がありました。現段階で地裁支部では10箇所が裁判員対象となっていますが、さらにほかの地裁支部を裁判員法廷対応とするには、当然のことながら多額の税金が投入されます。市民がまるで支持・納得しない政策のためにこんな税金が投入される、しかもこの改装費は、裁判員制度さえなくなれば全く必要ないものです。
 福島民報の意見を参考にした場合、福島地裁以外でも新たに裁判員対応法廷にされそうな支部はざっと挙げてもこれだけあります。市民の移動負担(特に冬季にネックになる地方はなおさら)、対象事件数、管轄域の人口比率といった面を考慮します。
◎釧路地裁帯広・北見支部
◎札幌地裁苫小牧・小樽・岩見沢支部
◎青森地裁弘前・八戸支部
◎盛岡地裁一関・宮古支部
◎山形地裁鶴岡(または酒田)支部
◎秋田地裁大館支部
◎新潟地裁長岡・高田支部
◎千葉地裁松戸・木更津・八日市場支部
◎長野地裁飯田支部
◎岐阜地裁高山支部
◎京都地裁福知山(または舞鶴)支部
◎和歌山地裁田辺支部
◎広島地裁福山支部
◎山口地裁下関・周南支部
◎松山地裁宇和島・西条支部
◎長崎地裁佐世保支部
◎鹿児島地裁鹿屋・名瀬支部
(他にも改装対象になりうる支部があるかもしれません)

 これらの地裁支部を市民がまるで支持しない裁判員制度に対応する法廷にするために国民の貴重な税金が投入されるとなると、本当に「やってられない」と言うしかありません。
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2009年10月23日(金)

誤判時の安全網を緩める暴挙

 足利事件について、本日も讀賣・朝日、各地方紙で社説が展開されました。「司法への国民的信頼を取り戻せ」といいながら裁判員制度とあえて絡めないような論調も見受けられましたが、何はともあれ重要なのは、被告人にとっての公正で適正な裁判のはずです。結果的に公正で適正な裁判が行われなかったことで冤罪が生まれてしまいましたが、以降にこのような失態を繰り返さないためにも、足利事件に代表される再審無罪裁判が裁判員裁判で執り行われる場合に冤罪検証が公正に行われるのか?という視点がまるでないのはまさに「話にならない」というしかありません。
 被告人にとっての公正かつ適正な裁判という観点から、最近時効撤廃問題が大きな論議を呼んでいます。本日には千葉法務大臣が法制審議会に諮問へとの記事もありましたが、この件に関して市民レベルの「裁判員制度で公正に裁けるのか」という疑問視報道はまるでありません。裁判員制度と時効問題が絡むと裁判員制度推進側にとって都合が悪いからタブー視してしまうのでしょう。時効撤廃が問題になるような事件はほとんどが裁判員裁判対象事件です。時効寸前で容疑者逮捕というケースも結構な頻度でありますが、このような古い事件を裁判員となった市民が公正に裁けるのかという問題はまるで議論の俎上に上がりません。足利事件再審でもそうですが、古い事件を現代の感覚や常識をモノサシに裁くのは、かえって公正な裁判にとって弊害にもなりかねないのです。
 もう一つ最近の出来事で注目があります。福知山線脱線事故において業務上過失致死容疑で起訴されたJR西日本山崎正夫前社長以外の歴代社長3人について検察審査会が「起訴相当」の議決をしました。つい最近JR西日本幹部が次から次へ隠蔽工作をしていた実態が明らかになってきていますが、このような体質について「検察も見て見ぬふりをしているのではないか?」という市民の疑問が形になりました。裁判員制度と同時にスタートした起訴議決制度(今回の議決を受けて神戸地検が不起訴にしても、もう一度検察審査会が起訴相当議決をすれば自動的に起訴される)の圧力が大きな意味を持ってきます。神戸地検に限っていえば明石歩道橋事件でも市民の不信を招いているだけになおさらですが、検察による「誤不起訴」の安全網を作るという意味で検察審査会の権限強化というのは大きな意味を持っているという意味ではこの制度改正に限っていえば評価できると思います。
 しかし、検察審査会の権限強化の意義と比べれば、裁判員制度はどう考えても誤判時の安全網になりえないという意味でも全くもって弊害だらけです。足利事件社説で共通するのは、「国民の司法への信頼を取り戻すために」というものですが、これには司法が将来的な意味で誤判を絶対的に招かないという大前提があります。しかし、公判前手続の非公開性や裁判員の守秘義務など密室手続が問題視されている構造では、裁判員裁判がかえって冤罪を生みかねない温床が増えたというしかありません。それに加えて、もし誤判が起きたときにどうするのか?という観点がまるでないのだから、これは裁判員制度そのものに批判の目が向かないようにするとんでもない誤った世論誘導と言うしかありません。
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2009年10月22日(木)

被告人が担当弁護士を信用できない

 足利事件に関して、本日毎日、中日(東京)新聞、および地方紙で社説・コラムが多数掲載されました。ところが、裁判員制度と絡めたものは一部を除きほとんど見当たりませんでした。制度を推進してきたメディアが足利事件のような再審事件を裁判員裁判で裁くケースを想定した上で、とても裁判員裁判では公正な審理になると考えにくかったのでしょうか?昨日のエントリーに補足すれば、法曹だけの論理でこのような冤罪が起きたのだから外部一般市民の目を入れるべきだという論理はありますが、それを踏まえても裁判員制度のような抽選で選ぶようなやり方は論外です。外部からの目であれば、それだけの責任と知識を持った方が担当してこそ意味があるのです。

 さて、昨日は酒井法子被告人の夫、高相祐一被告人の初公判が開かれました。明日は押尾学被告人の初公判、そして、来週月曜日には酒井被告人が初公判を迎えます。そんな中、昨日の高相被告人の公判で驚くべき事態がありました。スポーツニッポン記事ですが、高相被告人が公判で供述調書がウソだったことを証言し、それは、以前に高相被告人の弁護も担当していた酒井被告人の担当弁護士の指示があったとのことです。驚くべき事態で、スポニチ記事では酒井被告人の担当弁護士は懲戒処分の対象になるばかりか、逮捕される可能性まで示唆されています。
 途方もなく不幸なのは高相被告人で、担当した以前の弁護士が自分の利益を守るどころか、酒井被告人の利益を最優先に考えているがゆえに自らに偽証までさせようとしたのだから最悪です。こんな弁護姿勢をする元の弁護人に当ろうものなら、高相被告人ならずとも被告人にとっては不幸のきわみです。こんなことが起きるのは、弁護人が被告人の利益を第一に考えるのではなく、弁護士としてのある目的を第一優先に考えているから起きる問題です。
 そういえば、福井ではこんなことがありました。「親族が控訴したくない」がゆえに控訴断念というケースですが、親族の圧力をかけてまで控訴断念を迫る裁判員制度とは一体何でしょうか?こんなことやられたら、被告人本人も担当弁護士を信用できなくなるでしょう。裁判員裁判に限っていえば、担当弁護士(多くの場合法テラス所属の国選弁護人)にとっては「被告人の利益」よりも裁判員制度の絶対的擁護が第一目的だということを忘れてはなりません。
 被告人の利益などこれっぽっちも考えてない制度が、世界的な意味での近代憲法の理念に真っ向から反する自己矛盾について、世界的な見地からさらけ出す結果に陥る事態も考えられます。これについては、後々問題点について徹底的に触れた上で、世界的な意味での裁判員制度の破綻につなげたいと考えております。
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2009年10月21日(水)

足利事件を裁判員制度で裁けるのか

 毎年恒例の「報道の自由度ランキング」が国境なき記者団から公表されました(共同通信記事)。日本は昨年29位から17位、アメリカが昨年36位からオバマ大統領効果で20位(UKと同順位)に順位を上げました。なお、トップはデンマーク・フィンランド・ノルウェー・スウェーデン・アイルランドと北欧諸国が並び、主要国ではニュージーランドが15位、オーストラリアが16位とオセアニア2大国が日本の直上、日本の直下18位にドイツ、19位カナダ、フランス43位、イタリア49位、韓国69位、2016年五輪決定のブラジル71位、インド105位、イラク145位、ロシア153位、中華人民共和国168位、イラン172位、そして最下位にエリトリア、その直上に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)でした。日本については要因に関する記事がないようですが、国家統治の根幹に関わる裁判員制度で巧妙な情報統制をしている国が果たしてこんな上位に来る資格があるのでしょうか?来年にはこの異常な実態が白日の下にさらされる事態になるのが確実でしょう。

 さて、本日足利事件の再審公判が始まりました。これに関して地方紙では社説(北海道神戸岩手日報新潟日報)が掲載されましたが、裁判員制度を絶対的に推進するメディアや法曹関係者に問い糾したいことがあります。それは、足利事件が仮に裁判員裁判で裁かれるならばどんな裁判になるのか?ということです。裁判員制度起動前に起訴された事件ですから裁判員裁判の対象外ですが、裁判員制度対象罪状が含まれていることから将来的見地からも仮定の話が必要なのです。
 検察側は無罪となる証拠を提示した上で速やかに無罪判決を求める方針ですが、一方で弁護側は再審において誤判をした原因の徹底究明を求める方針です。ここで「裁判員制度絶対推進」のメディア及び日弁連現執行部派の論理は「捜査当局および司法権力による徹底した原因究明が行われないと同じような冤罪がまた生まれる」というものです。では、そのような言い方をする彼らに、私から「この事件が裁判員裁判で行われた場合、徹底した原因究明について裁判員にも負担を求めるのですか?」の言葉を送りたいと思います。一方で検察側は裁判員の負担を口実に「裁判員裁判で行われるのならば、裁判員の負担を考えて速やかに無罪の結論だけ出せばよいだろ」という態度に出るに決まっています。
 しかも、19年前の事件の再審公判を裁判員裁判で扱うとなれば、裁判員の市民感覚や常識といった観点はかえって公正な裁判にとって弊害にもなりかねません。事件が起きた時点から取り扱うべき法律が変わっている可能性もありますが、事件当時の法律で裁くという感覚が果たして一般市民である裁判員に備わっているのかどうか?場合によっては事件当時には子供だったがゆえに社会常識や感覚、情勢などの知識が備わってなかった可能性も考えられるのです。また、当然のことながら、徹底した原因究明のためには専門的知識が必要です。誤判が起きた原因調査について法律のことをよく知らない裁判員が関われば、かえって弁護側が主張する目的に反する結果を招くことも考えられます。検察側が出すであろう「法律のことを知らない裁判員に誤判検証までさせて弁護側が主張する目的を達することができるのか」との主張が説得力を持つのは自然な話です。
 上記に掲げた地方紙社説の論調に共通するのは「誤判を生じさせた原因の徹底究明をしない限り国民の司法参加を呼びかけても説得力がない」です。しかし、裁判員制度自体が国民の不信を無視した上で強権的に導入されたものであるがゆえに、「何はともあれ裁判員になる国民の負担を最小限に抑える」ことが「公正な裁判を維持する」以上の優先課題にされてしまっています。現実に台風来襲を口実に審理時間を短縮したケースもありました。誤判を生じさせた原因よりも裁判員の負担軽減を優先に制度を運用すれば新たな誤判を生むリスクはさらに高くなると考えるのが自然ですし、それがさらなる刑事司法への国民的不信感を高める結果を招くのは想像に難くありません。
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2009年10月20日(火)

国際的な人権衝突問題に持ち込む

 まずはやや古いですが、産経記事から。写真の表情を含めてですが、結びの「裁判員裁判が開かれていて当然という“空気のように感じられる制度”になってほしいですね」??国民をここまでナメとるのか?という怒りをもってしか見られない記事です。この記事に代表されるような推進派の最先頭に立つ立場の人間が「裁判員制度は当然と感じられる制度になってほしい」という姿勢なのは、裁判員制度そのものに対する疑念や不信を感じてもらったら困るからです。これは最高検の「裁判員制度そのものへの批判になったら困る=裁判員制度そのものへの批判を許さない」という姿勢と根が全く同じです。すなわち、メディアが国策と一体化して裁判員制度への疑問を持たせないような世論誘導を積極的に行っているという意味において極めつけの人権弾圧そのものです。
 そもそも、裁判員制度の存在そのものへの疑問を一切持たせないような空気まで作ってしまおうという異常な世論誘導までするのはなぜか?それは、裁判に強制徴用させられる市民以上に、当事者であるのみならず人権を最も保護されねばならない被告人の立場から裁判員制度そのものに疑問を持ってもらったら困るからです。そんな意味で、裁判員裁判にかけられた被告人になるべく控訴を断念させるようなムード作りも必要になってくるのです。すなわち、被告人の立場からも「裁判員裁判にかけられて当然」というあきらめムードを作りだすことで強権的にでも制度を定着させてしまおうという恐ろしい手法です。当然のことながら、これほどまでに不安定な制度を定着させるためには、推進側権力が一体化しなければどこかで歯車が狂って瓦解するに決まっています。ですから、国内権威は「これだけは絶対に守りきる」という一心で総与党化するのです。
 国内総与党化で推進する以上、私としては裁判員制度については以前から徹底して国内で解決できる問題ではないと考えてきました。国内で解決できない以上は、国際的問題として解決するしかないというのが自然です。人権問題を国際的に解決するには、具体的な意味での国際的な人権衝突問題にまで持ち込まねばなりません。くしくも、国際結婚破綻後の子供連れ去り問題で最近朝日や讀賣で社説が掲載されたり、つい先日のカルデロンのり子さん問題などで国際的な人権衝突問題が取りざたされました。この際、日本の人権感覚が世界的人権感覚と真っ向から対立することで、日本政府の処遇が批判の矢面に立たされるケースも多くあります。そして、刑事司法制度についても「ダイヨーカンゴク」に代表されるように日本の人権感覚は世界的な意味で非常識と批判されてきました。裁判員制度の存在そのものも問題になってきて当然です。
 裁判員制度は通常は内政問題なので海外からの内政干渉ができないケースが大半です。とはいえ、海外との人権衝突問題に持ち込むことができれば裁判員制度の異常性が海外に伝えることが可能になるのです。以前から私が触れてきたように、外国籍被告人が裁判員制度の憲法違反性を国連自由権規約・個人通報制度で国連に訴える例もあります。私は「(現行で個人通報制度に批准していない)日本人でもできることがある」と考えております。あくまで現段階では具体的には公表しませんが、裁判員制度はいらない!大運動による市民の声を高め続けた上で、裁判員制度問題を国際的な意味での全面的人権衝突に持ち込むことを考えております。
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2009年10月19日(月)

市民に偽装宣伝をする新聞週間(2)

 昨日触れた広島少女殺害事件関連社説、昨日は京都新聞、本日は北海道新聞でも掲載されました。昨日紹介した中国、山陽新聞社説と違ってどちらも核心ではなく粗雑司法に一定の批判は加えているとはいえ、五十歩百歩なのは「裁判員制度の存在は絶対視」すること。北海道新聞など粗雑司法を批判する以上は長期裁判によって「裁判員にも時間的な負担を覚悟してもらわなければなるまい。人を裁くということはそういうことだろう」と論調、まさに裁判員制度の絶対的擁護が目的になっているほぼすべてのメディアの姿勢。こんな国を日本国裁判員制度民主主義人民共和国(D.P.R Saiban-in-Seido)といいます。

 それにしても市民の消極敬遠姿勢に反するのみならず裁判員経験者に偽装宣伝までさせて権力総与党化で翼賛推進する異常さといえば、おそらく世界の歴史上にもほとんど例を見ないような政治手法でしょう。こんな異常なまでの政治手法が世界に名だたる人権先進国と思われている国でまかり通っていることについて世界のメディアで果たして報道されているのでしょうか(当然ながら日本国内では報道などされようもないですが)?
 有名人でもない一般市民に国策宣伝をさせることは、たとえその方法が公正であろうとも行った段階で民主主義として失格の政治手法です。そもそもこんな政治手法が成り立つのは、メディアジャーナリズムが発達した近代でしかありえません。古代、中世のそれほどメディアが発達してなかった時代であれば、一市民が何を言うにしても民衆全体に短期間に広まるということがありません。それゆえ、王様や将軍が発言力の権威という面では絶対的な優位がありましたし、無論、一般市民が政治的影響力を持ち得ようはずもなかったのです。メディアと政治が一体化する危険性に関して問題が出だしたのはナチスドイツの時代ですから、そもそもメディアと政治の関係の問題性についての歴史も浅いのです。
 このような政治手法の歴史例がほとんどない以上、当然のことながら、日本の裁判員制度が世界に類を見ない異常な政治手法であるという人権感覚は、全世界的な見地からして共有されているとは考えられません。世界の人権弾圧国といわれる諸国は、反政府的勢力に対して権力が直接的な弾圧を加えています。先進的な人権感覚がそこまで発達していないため権力側も力で抑え込むしか能がないといえば言いすぎかもしれませんが、そのような目に見える弾圧手法は世界的な非難を浴びることになります。しかし、日本は先進的な人権感覚を権力が巧妙に利用する、すなわち、「権力が頭で人権弾圧する」国です。権力側の人間が「言論の自由がある」という言い方をするのはまさに最たる例です。「言論の自由」は弱者である一般市民が強者である権力の「力の弾圧」に対抗するために発展した歴史があります。だからこそ言論の自由が民主主義の根幹に関わる問題だ、といわれるわけです。ところが、権力側の強者が「言論の自由」を濫用すれば弱者である市民はもはやモノを言いようもなくなってしまうのですし、力の人権弾圧に比べて潜在化しやすいがゆえに世界的非難を巧妙に免れる危険性も高いのです。
 日本の裁判員制度は、まさに強者である権力が「言論の自由」を一方的に濫用して政治を行った世界に類も見ない人権弾圧です。弱者である一般市民が「裁判員制度そのものがおかしい」といかに説得力のある発言をしようとも権力側は「裁判員制度は絶対的に定着させる」の一本やりで動じないばかりか、権力側が総与党化して不正を働いてまで市民に押し付けようとする姿勢。将来の歴史的な意味でも「類を見ない異常な政治手法であるという世界的評価が下されるべき」この政策について、世界的な意味でいつ「あるべき評価」に落ち着くのでしょうか?
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2009年10月18日(日)

憲法がオウンゴールを放つ?

 広島少女殺害事件関連で本日、地元の中国新聞、準地元の山陽新聞が社説を掲載しました。特に中国新聞などいきなり冒頭で「国民参加の裁判員裁判をしっかり定着させたい―」とまで述べています。典型的な「裁判員制度絶対翼賛大前提」の結論先にありき論調ですが、果たしてこのような裁判のあり方を国民全体が支持するのかどうか?いや、メディアの論理として、「現在市民が支持しなかろうが、裁判員制度は無理やりにでも支持させるのが至上命題だから世論誘導を行う」というのもあるのでしょう。一方で本日の伊勢新聞は本当にさめた見方をしています。保守系メディアのほうがまだ「良心的」というのは一体どうなっているのでしょうか?

 さて、本日の日経新聞日曜コラムでは参議院の「一票の格差」問題が取り上げられました。参議院は衆議院より格下の存在であることから比較的一票の格差に対して緩やかな憲法判断がされてきた経緯がありました。しかし、2007年参議院選挙から先日の総選挙まで生じた衆議院・参議院のねじれ現象がについて参議院が本来あるべき力以上のものを主張した以上は、参議院についてもそれ相応の一票の平等が必要である、そういう論理が日経コラムでは展開されました。
 一票の平等に関しては、私はそもそも懐疑的な見方をしております。一票の格差訴訟を起こすくらい政治意識が高いのであれば一票価値の高い地域に住めば良いのであって、それをせずに訴訟を起こすのは、経済利益を享受した上で政治権利も二重取りにもつながりかねないからです。特に「一人一票実現国民会議」の賛同人の多くが新自由主義政策を推進する保守系財界人であることから考えても、このようなメンバーの論理で進められる「一票の平等」実現運動はともすれば、人生の機会不平等にもつながる危険性をはらんでいるものです。そして、彼ら保守系財界人は大半が改憲思想を持っていることにも注意すべき面があります。
 先の定数是正訴訟においては参議院の選挙制度について抜本的見直しを強く求める旨の判決が出されたことで、漫然と現状を放置すれば次は違憲判決が出る可能性が高まっています。参議院における現状の選挙制度では小手先だけの定数見直しでは「一票の格差」を合憲とみなせる範囲に収まらないと見られることから、日経コラムでは抜本的見直しのルートとしてオール比例制(統一全国区または道州制をにらんだ衆議院のような各ブロッグ制)、比例廃止で都市部に議席を厚くする選挙区制度、比例削減で同様に都市部へ厚く議席配分する制度の3例を挙げています。しかし、オール比例制度ならば少数政党が幅を利かせてキャスティングボードを持つことで参議院が政権構成の主導権を握ることになって民意を歪める危険性、比例削減・廃止は逆に少数政党にとって死活問題となり、少数民意が反映されなくなる危険性があり、各政党の利害関係もあって容易に調整がつかないことも十分予想されます。
 そんな意味で日経コラムでは参議院のあり方そのものを抜本的に見直す必要性にまで触れられています。例えば、2007年からのねじれ国会で現実化したように参議院の影響力が現状では強すぎるということで、衆議院再可決の要件を3分の2以上から過半数にするといった方法です。ところが、当然のことながら衆議院再可決の要件変更には憲法改正が必要ですから、改憲論と全く同じになります。そうなると、一票の格差訴訟で「現行の憲法を守るために」違憲判決を出そうとするはずの最高裁にとって「現行の憲法を守るはずが、別の問題を引き起こしてやっぱり憲法を守れない事態」を招くことにもなりかねません。すなわち、日本国憲法の存在そのものが「オウンゴールを放つ」状況を作り出し、憲法の番人であるはずの最高裁が改憲論に手を貸すという異常事態を作り出してしまうのです。当然、訴訟を起こす「新自由主義思想的改憲勢力」にとっては「違憲判決も勝ち取れる、憲法改正にも弾みがつく」で万々歳の話ですが、完全に思想が対極にある我々にとっては踏んだりけったりの話です。無論、改憲論議ともなれば、国家統治の根幹に関わる上に違憲論の根強い裁判員制度についても、裁判員制度に都合のよい新憲法の中身になるに決まっています。こんな事態は絶対に我々としては阻止しなければなりません。
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2009年10月17日(土)

被告人に控訴させない異常な姿勢

 まずは本日の讀賣新聞記事から。放火事件で懲役9年の判決を受けた被告人が「素人に量刑判断など無理」として控訴しました。これに対して裁判員経験者が「裁判員のせいにするのは納得できない」と反論しましたが、それもそのはず、経験者にとってみれば、被告人にしても検察官にしても控訴があれば自分たちが強制徴用させられたのは一体何だったのか?という徒労感だけが残りますし、推進側関係者にとっては裁判員制度の存在そのものへの不信感にもつながりかねないからです。しかし、この裁判員経験者にとって心情は分かるにしても、被告人が控訴するのは被告人に保障された権利であり、もっといえば被告人にとって「裁判員裁判そのものを納得できない」というのは近代憲法に保障された刑事被告人にとっての基本的な権利でもある以上は、裁判員の判断を納得できないから控訴になったとしても、裁判員経験者はそれを受け止める必要があるのです。
 もう一つ、本日の共同通信から、今までの裁判員裁判30件では「求刑の8割」という量刑相場は裁判員裁判になっても変わらなかったという内容の記事がありましたが、これはとんでもない欺瞞です。量刑全体の平均を出すのは意味がありません。50%〜100%まで幅が広いという意味ではかえって量刑の不安定さを晒したというべきではないでしょうか?特により重罪の求刑事件ほど検察側主張に近い判決が出されている傾向があります。その一方で、重罪判決が出る以上は被告人としては量刑不当という心情になるのは当然で、刑事事件の控訴率の観点からすれば、とりわけ裁判員制度対象の重罪事件ともなれば30%レベルの控訴率といわれています。しかし、上記の共同通信記事では控訴したのは全体の2割にあたる6件。特に重罪判決が出ているにも関わらず「裁判員裁判を受け止める」として控訴断念となったケースもあります。
 昨日のエントリーで最高検裁判員裁判検証報告に関する日経記事について、「裁判員制度そのものへの批判につながりかねない」と懸念する言い方はウラを返せば「最高検は裁判員制度そのものへの批判は許さない」につながる問題だと言及しました。市民の中、特に実際に裁判員選任手続のために地裁に出向いた候補者の中から「裁判員制度はおかしい」と公然と批判する人が現れたことへの最高検の恐怖が見てとれます。「裁判員制度そのものがおかしい」という世論が実際の候補者の間に広まりでもすれば、「市民全体が裁判員として適格であり、市民全体で育てる」制度そのものが予定している前提が根底から崩れることになります。権力全体で総与党化して推進してきた国家統治の根幹に関わる政策ですから、この国全体の正統性が世界的に問われる事態にもつながりかねません。そして、このような批判世論は、最も人権を保障されるべき刑事裁判の当事者である被告人にも伝わるでしょうから、被告人による控訴続出という事態も出てくるでしょう。
 ですから、制度推進側としては、本来被告人の人権を守るべき弁護士まで「被告人による控訴を抑え込む」必要があるということになるのです。場合によって、控訴の意向を示したい被告人に担当弁護士が「控訴はしないでくれ」という圧力でもかけようものなら懲戒処分の対象になります。弁護人が被告人の人権を守る目的に反する行為をしなければならない、それも、裁判員制度そのものの基本的な考え方自体に根底的な誤りがあるからこそこんな事態が起きるのです。
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2009年10月16日(金)

広島少女殺害事件上告審から

 昨日の日経新聞に最高検察庁による裁判員裁判検証報告に関する報道がありました。この記事の最後のほうで「裁判員制度そのものへの批判につながりかねない」と注意喚起した件がありました。検察が裁判員制度そのものへの批判につながることを恐れる=ウラを返せば検察にとって裁判員制度そのものが批判されることは許されないということです。裁判員制度そのものが批判の槍玉に上がったとき、検察が何をしてくるかと考えたら恐ろしいものがあります。

 さて、本日はペルー人が被告人となった広島少女殺害事件上告審・第二小法廷で広島地裁の「粗雑審理」と批判された第一審が最高裁で認められる判決、すなわち、二審・広島高裁の「審理不十分を理由にした一審への差し戻し」判決が破棄され、「審理十分だからその証拠だけで判決を出せ」という判決が言い渡されたことになります。何度も指摘したとおり、この事件は裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前手続でも証拠が相当に絞られた後、一審・広島地裁では拙速ともいえるスピードでわずか5日の集中審理の末に無期懲役判決が出されました。その一方で二審・広島高裁はこのような審理の方法を手続に違法性があると判断しました。
 今回の第二小法廷判決でのとりわけの特徴は、「公判前整理手続などが導入されて以来、合理的期間内に充実した審理を終えることがこれまで以上に強く求められる」という件です。すなわち、彼ら司法当局にとってはとにかく裁判員制度の絶対的維持が第一優先であるがゆえに、市民を強制徴用して裁判に関与させることを考えれば、必要な時間以上に裁判を延々と続けるわけには行かないという発想があります。法令解釈や裁判手続といった裁判員が関与しない問題で時間が費やされたとすれば、それが裁判員制度そのものへの批判にまでつながることを恐れるからです。
 諸外国の市民参加制度ではほぼ例外なく「被告人の人権を守ることが第一」の発想で制度設計されています。初期段階で被告人の人権を守るための思想で作られていなくても、戦前のわが国における陪審制度(被告人に陪審制度か従前制度かの選択権があった)のように最低限のシステム上での被告人への人権保障はあったものです。ところが、わが国の裁判員制度は制度の思想にも、システムにも被告人の人権保障はありません。これは、戦前のナチスドイツ占領下のフランスで導入されたシステムにそっくりで、実は、司法当局が裁判員制度のモデルにしたものが、戦前のナチス占領下フランスの制度だったとも言われています。しかも、市民の大半がいまだに消極的な姿勢ということで納得していない制度である以上、「市民に過大な負担を押し付けるわけにはいかない」ということが優先になってしまったのです。過大な負担を押し付けないためには、制度そのものをやめることを考えるのが第一のはずです。
 今回の判決について、おそらく明日の新聞などでは裁判員裁判を維持するために重要な意義があったという内容の解説が出るでしょう。しかし、果たしてこのような裁判のあり方を市民全体が支持するのかどうか?山口・光市事件でもそうですが、司法制度をめぐるイデオロギーの対立が前面に出たことにより、結果的に裁判全体に対する市民の不信感を強める結果だけを招くという異常事態が起きたと言うしかないのではないでしょうか。
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2009年10月15日(木)

市民に偽装宣伝をする新聞週間(1)

 オバマ大統領を讃える歌がアメリカの教育現場で使われたことが波紋を広げています。「思想教化」という批判が出るのは当然で、歌によって特定のイデオロギーを子供の心に植えつけるような教育がどんな社会を生むか?アメリカが「人権弾圧国家」と特定の国を非難したり、戦争によって民衆を解放しようとする姿勢を出していますが、果たしてそんな資格があるのかどうかという疑問を持つ一つの例といえましょう。このような教育姿勢は、国家の主導によって国策を一般市民の側からマインドコントロール的に支持させるという意味において、民主主義に真っ向から反する異常な手法です。教育と同様、メディアも国家が支配すれば恐ろしい社会が作り出されます。ということで、本日から始まった新聞週間の話をしたいと思います。
 今年の新聞週間標語は「新聞は 地球の今が 見える窓」。本日は新聞週間絡みの社説が大手、地方紙至るところで見受けられました。半分以上は裁判員制度にも絡めていますが、どれもこれも裁判員制度が始まったことは既定の事実として客観視した上で、その大前提の中でどんな議論をするかという姿勢に終始しています。しかし、そもそも積極的に総与党化して推進宣伝した連中であるメディアは裁判員制度について客観視することができる資格がないのに、あたかも制度そのものを公正中立な立場で客観視するような報道をしているところからして極めて欺瞞的です。
 例えば本日の讀賣新聞社説などは典型例ですが、裁判所主催の記者会見であろうとも、記者クラブ主催の記者会見であろうとも、どちらも「裁判員制度の政策推進」では一致している組織です。裁判所主催ならぬ記者クラブ主催だったからこそ裁判員が心理的圧迫を受けないで自由に発言できたという問題ではないのです。「一方的な宣伝にならないよう、隠された意図や本音を様々な質問で引き出し、情報の確度を上げるべく努力している。原則として、会見を記者クラブが主催するのは、そのためだ」とありますが、その記者クラブと裁判所が「政策推進」で一致していれば、「隠された意図や本音」は、両者共通の目標である「裁判員制度推進」の目的にかなったものだけが引き出されるに決まっています。
 以前のエントリーで私は「一般市民に国策である裁判員制度を宣伝をさせること自体が、制度の存在に市民のお墨付きを与える意味で民主主義の原理に真っ向から反する」と裁判員記者会見そのものを批判しました。市民は権力が暴走しないよう監視するというのが民主主義の本分ですが、そんな立場であるはずの市民が国策を宣伝する立場になれば権力監視の機能が果たせなくなるからです。記者会見それ自体に民主主義の観点から致命的な大問題があるのですが、裁判員経験者に「偽装」までさせて記者会見をさせて報道するのは最早論外です。裁判員の記者会見で「本音はやりたくなかった」経験者にウソを言わせてまで国策を市民に向けて宣伝する新聞にこんなことをいえる資格など全くありません。地球の今どころか、日本国内の今についてウソを垂れ流すのでは話になりません。

 ちなみに、昨日候補者追加抽出問題が生じた熊本の裁判員裁判が始まったかと思えば、本日情報が入り、札幌地裁でも追加抽出があったとのことです。ますます混迷を深める裁判員裁判、絶対的維持をしようという推進派の無理は究極のところに来たのではないでしょうか?
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2009年10月14日(水)

熊本地裁の惨状

 本日熊本地裁で傷害致死事件の裁判員裁判が始まりました。この熊本地裁の裁判が注目なのは、全国で初めて「追加呼出」が行われる事態になったことです。初期段階で90人抽出で51人に呼出状を送ったが、辞退者続出のため追加で40人を抽出、31人(当初情報では32人でしたが、おそらく1人の呼出が取り消された)に追加呼出状を送りました。合計82人の呼出状を送った中でも辞退者が相次いだようで、最終的に当局発表の「出頭義務者」は42人、そのうち39人が出頭して「当局大本営情報」では93%が出席したとのこと(西日本新聞記事)ですが、実態は30%の出席率で、今までの裁判で最も出席率の低かった高松地裁(29%)並みだったが判明しました。
 「出頭義務者」42人について当初呼出分・追加呼出分別の数値は当局側としては出せないでしょうが、単純な割合で比例配分しても当初分の数値はおそらく25人いるかいないかの程度。すなわち、当初抽出段階の90人から実に70%以上が辞退を認められている計算になります。つい先日、日本世論調査会による裁判員制度への世論調査結果も出ましたが、まさに「裁判員制度に参加したくない」割合がそのまま熊本地裁の選任手続で現れたといえます。
 ちなみに、日本世論調査会による裁判員制度へのこの世論調査結果について、本日山陽新聞で社説が掲載されました。両方の記事とも、裁判員制度の絶対的翼賛推進目的にした不公正な手法による市民の利用、そして御用評論家による意見は相変わらずです。裁判員制度はいらない!大運動に寄せられる意見の中で「ウソを流しているメディアが直らない限りどうしようもない」というものがあり、そのためにも我々が本当のことを発信しているんだ、という情報戦略も必要になります。その意味での活動も考えております。
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2009年10月13日(火)

反米志向の奇妙な一致

 大阪での在日特権を許さない市民の会(在特会)によるデモの様子がユーチューブなどインターネットで動画公開されています。私もそのビデオを見ましたが、難波では「排外主義反対」を掲げる革新系団体(ビデオでは「中核派」が入っているという件もありました)と一触即発になろうという状況もありました。世間的には「極右」と「極左」のカテゴリに分けられそうな両団体ですが、裁判員制度や郵政問題に限って言えば志向性が同じという奇妙な一致があります。
 なぜそんな奇妙な一致が起きるのか?それは、在特会に限らず、伝統保守を掲げるいわゆる「右翼」系勢力はアメリカ主導の構造改革に断固反対してきた経緯があります。小泉元首相や小泉内閣を支えた竹中氏、オリックスの宮内会長といったメンバーを彼らは「アメリカに国と資本を売った」と厳しく批判しています。郵政民営化などはまさに象徴ともいえますが、裁判員制度ももともとアメリカによる構造改革要望から出てきたものだという考え方から、伝統保守系勢力は反対派が多いといえます。一方で在特会が最も嫌う「反日左翼」といわれる勢力も反米思想を持っており、当然のことながら裁判員制度にも郵政民営化にも反対姿勢を持っています。そんな意味で世間的に見て「極右」と「極左」でお互い最も反発する勢力でありながら、一方で「反米姿勢」だけ考えたら一致する志向性を持っているともいえるのです。
 とはいえ、反米志向だけでは一致しようともお互いの根底的な主張は全く相容れないものです。決定的な違いはアジア諸国、特に近隣諸国への姿勢です。在特会など「右翼」系勢力は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中華人民共和国、大韓民国を「日本を滅ぼそうとする特定アジア三国」として徹底マークしています。彼らは反米を掲げながら、一方で「反亜」(あくまで特に朝中韓三カ国への反対)姿勢も持ち込み、日本を真の独立国という立場で外交しようという発想です。一方で排外主義に反対しながらかつ「構造改革や戦争協力を要求するアメリカの姿勢に反対」する勢力は多くは「親亜」外交を目指す立場です。反米姿勢を掲げる以上は、アメリカの影響力の強さをかんがみれば、韓国・台湾よりも朝鮮共和国・中国重視の姿勢で望むことも考えなければなりません。ますます在特会系伝統保守の主張とは真っ向から反する立場になるのは当然の話です。
 現状「アメリカの核のカサ」が現実的に必要な日本の立場において、「反米志向」を主張に掲げる勢力は左右いずれの立場もいわば「極論派」にされているといえましょう。しかし、「反米極論派」以外の、いわば世間的に見て普通の政治勢力が異常なやり方で推し進めているのが裁判員制度です。市民の大ヒンシュクを買ってでも絶対に押し切るという権力側の強権的姿勢に断固「NO」を突きつけて、市民側が押し返すことに成功したとすれば、まさに左右の「極論派」が実権を握ることにもなりえます。その際に、左右双方の主張の違いが明確に出た挙句、国が分断されるという事態も起こってしまうのか?我々が今立っている時代は、後から振り返ると大きな歴史の転換点という事態も十分に考えられるのです。
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2009年10月12日(月)

2010年候補者は345000人?

 10月に入り、来年の裁判員候補者名簿の件も報道で出てくるようになりました(参考)。11月12日に約345000人に送られるということが決まりましたが、本日はそのちょうど一ヶ月前ということもあり、エントリーしたいと思います。
 まず、注意しなければいけないのは、裁判員法は年度ではなく当該年単位で動くことです。すなわち、2010年度候補者(2010年4月1日?2011年3月31日)ではなく、2010年1月1日?12月31日の候補者ということです。そうなると、今年5月21日起訴分からの候補者が約295000人なのだから、本来なら単純な割合でいくと1月1日からを対象にすれば500000人規模の候補者が必要になるはずです。ところが、今年295000人に候補者通知を送ったら120000人もの拒絶反応が出て、今年2月に最高裁がその内訳を公表する予定が約一ヶ月ずれ込みました。単純な計算をして500000人規模に候補者通知を送ったら200000人もの拒絶反応が出ると想定されます。そんなことになれば最高裁の処理能力を超えるのは間違いありませんし、ますます市民の拒否反応が強まるのは当然でしょう。
 それだけではありません。今年は5月21日起訴分からが対象で裁判員裁判の始まりは8月3日、しかし、来年は3が日を除いても1月4日公判開始分からが対象になります。ですから、11月12日発送というのは、1月初旬公判開始事件に候補者通知が間に合うためには必要な時期だということです。当然のことながら、今年のように12万もの返信があったとしても、この返信については処理の時間を考えると1月?3月くらいの公判には間に合うはずもありません。この時期の公判については当該事件に関わる候補者の立場としての返信内容から辞退を認可するかどうかが決まるのでしょう。
 今年の場合、今のペースを考えると年末までに処理しきれる裁判員裁判対象事件は多く見積もっても300件程度、すなわち、一件あたり100人の候補者を抽出すると仮定すれば、70歳以上を含めて30000人が選出されると考えられます。例年はその8?10倍規模の裁判員制度対象事件が起きると想定されていますので、抽出段階で70歳以上を含めて300000人規模の候補者が必要という計算になります。すなわち、来年の候補者数を345000人にしたというのは、辞退認可対象にならない限り選ばれた候補者のほぼ全員が裁判所に呼び出される規模の数となります。最高裁側はそれ以上余裕をもった候補者選出ができないからこそ、ギリギリの線で出した規模ともいえるのです。もしも2010年末にかけて候補者が不足すれば、候補者追加で対応しようということでしょう。
 いずれにせよ、昨年末の候補者通知で大騒動になったことを考えれば、今年も同じようなことが起きるのは間違いありません。いや、裁判員裁判の異常な実態が明らかになっていることからしてもさらなる市民の反発が起きることは容易に想定できることではあります。
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2009年10月11日(日)

「制度反対」候補者の波紋

 秋田の裁判で候補者が「裁判員制度反対」のタスキをかけて出頭した(河北新報)件、いろいろ波紋を広げています。数日前にこのことについてエントリーしましたが、我々裁判員制度はいらない!大運動にとっても大変な意味で大きな転換点にもなりそうなこの候補者の姿勢といえることについて、さらに触れたいと思います。
 まず重要なのは、「裁判員制度反対」と掲げてアピールすることそれ自体が裁判員制度が成り立つ前提を根底からひっくり返すことです。この法律は抽選で選ばれたら裁判員になることを義務付けるもので、かつ一部の例外を除き原則として市民全員が対象になります。ということは、市民全員が裁判員任務適格者であることを前提にこの法律が成り立っているのです。そしてここからが大きな問題で、裁判員制度を単に抽象的に「反対」「イヤだ」というのではなく、制度について具体的に調べた上で「冤罪防止に役立たない」などの理由で批判する態度は裁判員として不適格な態度になることです。
 (現在も仙台高裁秋田支部所属でしょうか?)寺西和史判事が市民集会で盗聴法を批判した態度について「法律に公正であるべき裁判官が政策を批判する態度は裁判官不適格」と判断された実例がありますが、この件を準用すれば裁判員制度を具体的に批判する態度はまさに裁判員不適格です。ところが、直前に述べたように、裁判員制度はこんな態度をとる市民が一人もいないことを大前提に作られています。そのため、権力やメディア、日弁連などの権威は総与党化して市民に「裁判員制度の存在は絶対に批判しない」態度を徹底的に植え付けようとしたのです。彼らにとって市民には「法律を知ってもらったら困る」からです。こんな異常な推進姿勢の無理がこの候補者の態度によって明らかにされたわけです。
 さらに、この候補者は普通の一般市民ではありません。地方公務員、すなわち、本来は裁判員制度を市民にPRしなければならない体制側の人間であったことが重要です。本来は制度推進側の人間が「この制度はおかしい」と具体的に考えた上で、傍聴券を求めにくるなどの理由で地裁にきた一般市民、メディアや司法権力など元々の制度推進派勢力、そして他の裁判員候補者全員にアピールしようとした姿勢、まさに「推進側の根元から」崩れてきたといえますし、かつ、候補者全員で拒否しようという態度にもつながります。
 これも我々「裁判員制度はいらない!大運動」が各地で運動を展開して、かつ「絶対に裁判員制度の存在そのものを許さない」との旗印を一切降ろさない姿勢を貫いたことで生まれたものです。各地裁前での運動では「大運動」のビラまきも行ってきましたが、このビラを選任手続に出頭した候補者が受け取ることで当人の拒否姿勢に結びついた実例も出ています。裁判員制度に対する市民の不満、そして不信感が一気に爆発する日は最早それほど遠くはないというのは確実にいえます。とりわけ10月27日にはこれまでで最高の全国8地裁・支部で選任手続がありますが、まさに我々も「一斉行動決起」の日にすべく活動いたします。
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2009年10月10日(土)

オバマ大統領「平和賞」の意味

 皆様もご存知の通り、今年のノーベル平和賞にオバマ大統領が決まりました。プラハ演説による核兵器廃絶への強い意志が評価されましたが、早くも周辺から疑問の声が上がっています。果たして本当に実現するのだろうかという疑念もあります。オバマ大統領は周辺各国に核廃絶をさせてアメリカ自国だけが核独占を狙っているのではないか?という疑いを持たれるのもありますし、実際にアフガン・タリバンは「2万人も兵士を派兵した人物への平和賞授賞は馬鹿げている」と非難しています。
 一方、今回の授賞が帝国主義的行動を起こしやすいアメリカへの牽制という狙いも見えます。以前にカーター元大統領がノーベル平和賞を受賞したときもアメリカ・ブッシュ大統領政権のイラク戦争政策への批判だったといわれています。特にノーベル平和賞には政治的監視・批判の狙いのケースが多くあります。今回、具体的実績が挙がっていないオバマ大統領への授賞については、世界的権威のある賞の授与によって実際の行動を強く促す意味があります。一方でオバマ大統領自身が戸惑いを見せたというのも、「戦争で経済が成り立っている」アメリカの国内事情を考えた場合に実現可能なのかどうかという疑念を彼自身が持っているからでしょう。自分自身で重荷を背負ってしまったという思いを持ってしまったのではないでしょうか?
 今回のノーベル平和賞について「アメリカ批判」の観点を持てば、反米思想を持つ諸国にとっては強気の態度に出やすくなったという見方があります。特に核開発問題で揺れるイランや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にとっては「世界的圧力を受ける」という見方と、アメリカ・オバマ政権による圧力が緩むという見方の両方がありますが、特に外交に関して極めて巧妙な態度をとる朝鮮共和国の場合は後者の見方をより強めることが想像できます。一方で「日米同盟」の呪縛からなかなか抜けられないわが日本にとって、朝鮮共和国がより強気の態度を示すことでアメリカの対アジア外交が袋小路に入るようなことがあればますます不利な立場に追い詰められるケースも考えられます。まして、世界全体を相手にしなければならないアメリカにとって、東アジア地域は重要性の観点からはそこまで高くないのです。
 このような見地から我々日本が向かうべき方向性も考えなければなりません。いまだ世界の大国とはいえアメリカという国の世界的ブランドが徐々に低下している現状を踏まえた上で、果たして日米同盟をこのまま続けていいのかどうか?東アジア重視に舵を切るのか?そういった意味でも今回のノーベル平和賞の意味は非常に大きなものがあります。と同時に、日本という国の世界的影響力を考えた場合、我々の「裁判員制度はいらない!大運動」が政権全体、ひいては国家体制全体を揺るがす可能性もあるだけに、これが世界を揺るがすだけの大きな運動になる可能性も持っていることも指摘しなければなりません。
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2009年10月9日(金)

検察が裁判員裁判を宣伝?

 裁判員制度はいらない!大運動の大規模全国的抗議活動にも関わらず、我々を完全無視するかのように各地で裁判員裁判が次々に行われています。「裁判員制度そのものがおかしい」という観点からの報道は一切タブーとなり、あたかも重罪事件の裁判は裁判員裁判が当たり前であるかのように淡々とした報道だけが行われています。このまま数年後には裁判員制度の存在そのものへの疑問は一切持たない市民だけにしてしまおうという悪辣な目的としか考えられません。
 裁判員裁判が当たり前のように行われる情勢、といえば聞こえが良いのですが、現実的には年間2000?3000件の制度対象となる重罪裁判があり、一ヶ月で200件前後をこなさなければいけない計算になります。東京地裁本庁や大阪地裁本庁、千葉地裁ではそのうち10%前後を占めるため一ヶ月で約20件、すなわち、計算上は土日を除く平均毎日選任手続が行われるということになります。千葉地裁などは施設の余裕がなく、かつ弁護体制が極めて不十分、というより裁判員制度反対派弁護士が多いこともあり、本当に件数をこなせるのかといった疑念が早くも出ています。また、一ヶ月で200件前後ということは、毎日10件前後の新たな裁判員裁判が行われる計算になります。10月27日には立川支部・甲府・富山・浜松支部・京都・堺支部・松江・鳥取の8地裁で裁判員裁判が行われる予定ですが、これでも裁判員裁判が予定する数の平均からすればまだ少なく、かつ、こんな状況が毎日起きて当然なのが裁判員裁判なのです。
 こんな情勢の裁判員裁判。とはいえ、「大本営」の推進派は懸命に「順調な滑り出し」を協調しています。そんな中で、名古屋高裁大阪高裁が管内地裁の裁判員裁判の日程を宣伝しています。名古屋・大阪高裁に限らず、各地の高裁や地裁が裁判員裁判の日程宣伝をしています(リンク先はここではあえて触れません)が、検察が裁判員裁判を宣伝することに違和感を感じたのは私だけでしょうか?世界の市民参加司法制度は例外なく被告人の人権を守る観点から導入されたものです。すなわち、裁判への市民参加で被告人を守るということは、検察側にとって市民参加されたら都合の悪い事件ということですから、おいそれと検察が市民参加裁判を宣伝するなどできないはずです。それを逆に検察が積極的に日程宣伝をする、すなわち、この制度が検察側市民の立場から推進されたことを如実に物語っているといえるのです。
 この観点からいえば、本来裁判員裁判を宣伝すべきなのは日弁連や各地の弁護士会です。ところが、検察は組織的に動いている反面、弁護士は個人商売といった一面もあるために弁護士会として日程宣伝ができない事情、当の弁護士側が最も混乱しているためにできないなどの理由があります。それよりも、「裁判員裁判を宣伝すればオウンゴールになりかねない」という理由であれば深刻です。これは、本来市民参加司法制度が弁護側の論理で導入されてきた世界の潮流とはまるで逆だからです。市民参加司法制度によって、被告人の人権侵害に加担するのであればまさに本末転倒としか言いようがありません。
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2009年10月8日(木)

もし私が候補者になったら

 本日は河北新報の秋田版記事から。来年の候補者通知を約一ヵ月後(というのは、1月初旬に重罪中の重罪事件公判が入った場合、その8週間前に通知を送る必要性がある観点から、11月上?中旬に候補者通知を送る必要があるため)に控えた時期ということもあり、仮に私や家族、そして知人が2010年の裁判員候補者に不幸にも選出された場合の対策としての必要性もあるためで、その意味でもこの記事から考えたいことがあるのです。
 まず注目すべきは、この候補者が「裁判員制度そのものに反対」という態度を明確にする姿勢です。河北記事では、彼は「候補者に選ばれてから制度について調べ、疑問を持った」とのことですが、調べれば調べるほど疑問だらけになるのが自然なのが裁判員制度の本質です。推進側が「法律のことは知らなくても安心」と盛んに宣伝していますがそれは真っ赤なウソで、「法律について知ってもらったら困る」のです。法律について知れば知るほど制度そのものに疑念を抱くのが自然ですから、法律を知った一般市民が参加すれば、「法律そのものがおかしいじゃないか」といった主張がなされるのは想像に難くありません。
 私は徹底的に裁判員制度に批判的な立場で活動してきました。仮にそんな私が候補者に選ばれたとすれば、昨年に通知が来た候補者が実名公表記者会見を開いて抗議したケースもありましたが、このような姿勢はともすれば個人的拒否のレベルで終わってしまう可能性もあります。その意味で河北記事に出た候補者の姿勢は注目すべきものがあります。しかし、タスキをかけて表に見せることで他の候補者に制度への反対姿勢を伝えることについては、裁判所側が避けるのは当然ともいえましょう。やはり別室に回されて他の候補者との接触を避けられました。おそらくこの候補者は「不公正な裁判をする」理由で裁判長から選任抽選対象からも外されているはずです。
 そんな意味でも、私としては、候補者としての呼び出し通知が来たら具体的にはもっと巧妙な手法で他の候補者にも「裁判員制度反対」をアピールできる手法を考えます。商売人がよく使う言葉に「刑務所の門の前までは行くが、刑務所には入らない」があります。彼らは法律ギリギリのところで商売をしているのですが、というのも、そうすることで最大限の利益を上げられるからです。私は今回の秋田の候補者よりもさらに踏み込んだ「ギリギリの線」を視野に入れています。

 さて、本日は神奈川・静岡参議院補欠選挙が告示されました。民主党が単独過半数を確保できるかどうかということが取りざたされていますが、神奈川県民でもある私にとって最大の争点は「先日判決が出た参議院選挙一票の格差・最高裁判決を受け入れない」ことです。すなわち、我々「裁判員制度はいらない!大運動」と真っ向から反する思想の団体「一人一票実現国民会議」を絶対に許さないという見地から、彼らの主張に真っ向から反する投票行動を行うことを最優先に考えたいと思います。その意味でも「棄権」を含めて最良の選択をしたいと考えています。
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2009年10月7日(水)

まさに憲法18条違反、現代の徴兵制

 台風18号が日本直撃、上陸予想という最悪のコースと通過しようとしていますが、これが裁判員裁判をも「直撃」。宮崎地裁の公判は11月17日からに延期され、今回の候補者は免除、新たに58人に呼出状を送付する事態になりました。名古屋地裁では「台風の影響を受けるかもしれない裁判員の都合」を優先して審理日程が短縮され、大阪地裁、徳島地裁では審理、判決期日が延期される事態になりました。審理日程が延期されたら「予定が狂わされた」として裁判員が次々に辞退を申し出て補充裁判員だけでも足りなくなる可能性もありますし、一方で審理日程が短縮されたら被告人の防御権がますます侵害されます。
 こんなことになるのも裁判員制度が設計当初から国民に全く総スカンを食っているために他なりません。設計した権力側にとって「こんなもの国民的理解も信頼も得られないシステム」というのが分かっていたからこそ、中途半端に国民の負担を減らすような発想で作られたともいえるのです。アメリカ、欧米などの陪審・参審制度とも比べられたりしますが、彼らの発想は例外なく被告人の人権を守る発想で作られている以上、被告人の人権を優先するためには審理に参加する市民は負担を甘受するという国民的合意も出来ています。それも何より、市民の側が被告人の人権を守るために市民参加の司法制度を望んだ経緯があるからです。ところが、日本の裁判員制度は権力側が彼らの論理、それも総与党化して制度実施を望んでもいない市民に押し付けたものです。権力側もそれが分かっているからこそ、裁判員の都合が優先で被告人の人権は二の次になったというわけです。まさに被告人にとっての公正な裁判が第一優先であるはずの近代憲法の理念にも反するものです。
 昨日にも触れましたが、産経新聞記事では地下鉄サリン事件被害者まで霞ヶ関の東京地裁に呼び出す結果になりました。現在もPTSDの症状があるにも関わらずの強制呼出、「サリン事件担当の警察にも相談したが選ばれた以上は裁判員制度に参加しなければいけないといわれた」(参考・毎日記事)という警察権力の姿勢、まさにこの制度が「現代のアカガミ、徴兵制」といわれる所以です。もしこの候補者が仮に選任されていたらと考えると恐ろしくて声も出ません。
 裁判員制度が市民にまるで総スカンを食う結果、東奥日報のこの記事のような事態に陥ります。先の青森地裁の性犯罪裁判で当日欠席した5人への過料処分について青森地裁が「この先どう対応するかは答えられない」と言うそうですが、過料の処分をしなければ当日欠席率がますます高まるのが想像に難くないですし、強行すれば市民の反発はさらに強まるのも容易に想像できます。どちらにしても裁判所側が身動き取れないからこそお茶を濁すような態度に終始するしかないのです。こんな事態がまさに裁判員法第一条「国民が刑事裁判への理解と信頼を深める」目的に反する「オウンゴール」となるのです。
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2009年10月6日(火)

わが国の正統性を問い糾す

 本日、東京地裁に出向いた裁判員候補者の中に地下鉄サリン事件の被害者がいました。その当人に「霞ヶ関に来たくなかった。重大事件であれば、辞退を希望した。欠席すると過料を支払わなければならないので、電車とバスを乗り継いで出席した」とまで言わせています。地下鉄サリンのみならず、例えば性犯罪被害者が性犯罪裁判員裁判の候補者として選ばれた際に「貴方のような方に判断していただくのがこの制度の意義です」などとして裁判員に強制徴用するなどとなれば、本当に非人道の極致と言うしかありません。

 さて、我々は国家権力・権威総与党化で不正をしてまで推進する裁判員制度を絶対に破綻させるべく運動を続けております。裁判員制度が国家統治の根幹に関わる政策でかつ国全体で押し進めているという経緯を考えると、当然のことながら制度が破綻に追い込まれればこの国全体の正統性が世界的に問われる事態になることをここ数日のエントリーで触れました。
 「わが国の統治の根幹に関わる重大な政策でありながら原点がインチキである」。これは裁判員制度もそうですが、日米同盟も当然該当します。ここ最近、日米同盟に関して核持ち込み密約があるなど、原点の正統性が問われる問題もあからさまになっています。裁判員制度も「議論の原点における大前提がインチキであるならば、その原点に戻って問い直せ」と訴え続けておりますが、裁判員制度の破綻という事態になれば国内の政治全体が大混乱に陥ることになります。これはわが国の正統性そのものが問われる事態で、当然「原点にインチキがある」日米同盟の正統性も問い糾されることは間違いありません。
 本日は産経新聞にこんな社説が掲載されました。いかにも産経新聞らしいといえばらしいのですが、この論説が成り立つためには日米同盟の存在が絶対の大前提となります。ところが、密約問題も絡むことで日米同盟の正統性そのものが問い糾される事態になれば、日米韓の連携そのものに亀裂を生じることになります。当然こういった事態を中国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も視野に入れるでしょう。また、朝鮮共和国が6カ国協議復帰の可能性についても示唆したという報道もありますが、あくまで米朝2国間協議を優先した姿勢です。このようにエサを小出しにする朝鮮共和国の「サラミ戦術」ではないかといった観測も出ていますが、あるいは、時間稼ぎをすることで日本の「オウンゴール」を待つ腹積もりかもしれません。
 わが国が世界全体に信用されること、すなわち、わが国に正統性が存在することが外交で優位に立つ基本条件でありながら、正統性を主張できる条件としての裁判員制度にしても日米同盟にしてもその存在自体が根底から問われる事態です。こんな国が世界、とりわけ近隣アジア諸国から信用されないのは当然で、対朝鮮共和国外交が停滞するのも納得できます。むしろ、この機会にこそこの国の正統性を根底から全世界に問い糾すことで、政治的見地としてゼロから出直すくらいのことをしなければ、いつになろうとも世界から信用できない国と見られるのではないでしょうか?
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2009年10月5日(月)

記者会見の途方もない異常性(3)

 猛烈な台風18号が日本に接近しています。これが裁判員制度にも大きな影響を与える事態になりました。7日から始まる予定だった宮崎地裁での裁判が11月17日に延期となりました。法曹関係者だけの裁判であれば数日延期でも良いのでしょうが、市民を強制的に呼び出す性格上の問題がここにも現れてしまいました。

 ご存知の通り、2016年五輪開催地がブラジル・リオデジャネイロに決まりました。2008年北京五輪といい、2016年リオ五輪といい、BRICsに代表される新興国の台頭を象徴する結果となりました。東京も立候補していましたが、アジアで2008年北京五輪が行われた直後のタイミングという不利もあり、第一回投票はクリアしたものの、第二回投票で落選となりました。
 さて、東京の敗因に一つ挙げられているのが市民の支持率の低さです。これは東京のみの敗因ではありません。有利と見られていたシカゴが第一回投票で落選した要因の一つにも挙げられます。シカゴにとって致命的だったのが財政問題といわれますが、金融危機の当事国でもあり、財政問題の存在ゆえに市民の支持率が低かったという相関もあります。最終的に決選投票に勝ち残ったリオデジャネイロ、マドリードともに市民の支持率の高さがIOC委員の支持を押し上げたともいえます。このように、市民の支持がなければ国家レベルの大イベントは機能しないし、まして世界を動かすということもできないというわけです。
 「市民の支持がなければ国家的大イベントは動かない」。実は、日本で現在行われている裁判員制度もそんな言葉がぴったりきます。国家総与党化で全体主義的に強権的に押し進めても、市民の支持がないから頓挫しかねない、そんな意味もあって偽装してまで「市民の支持」を宣伝する、そんな狙いがまさに裁判員記者会見にあります。本日は岩手日報でこんな社説もありました。裁判員経験者には記者会見に積極的に出て発言してほしいという論調ですべてのメディアが呼びかけを行っています。公正な裁判を行うのにつなげるために裁判員経験者の記者会見は必要だという識者も多くいます。しかし、何が何でも不公正な手法でも良いから裁判員制度の市民的信頼を外形的な意味で得る目的で行われる記者会見であれば「ないほうがマシ」。昨日も述べたように、うわべだけの「市民の支持」を勝手に作ったうえで権力が取り込むような政治の手法は真っ向から民主主義を否定するものだからです。私は基本的に裁判員記者会見は「プロパガンダ」に使われるだけだと考える以上、「ないほうがマシ」の立場をとります。
 市民の支持を偽装してでも取り込むためには何でもやる姿勢は、何も記者会見だけではありません。やらせタウンミーティングから、権力・推進側市民によるイベント開催を誇張する、一方で反対派の言論、姿勢を極力矮小化するなどありとあらゆる手法が駆使されてきました。市民の支持を無理やり偽装してでも取り込もうとするのは、裁判員裁判に必要な人材や時間などが足りないために、市民の支持を圧力にして現場を機能させる目的さえ考えられます。こういった途方もない無理、偽装をした挙句、その実態が(特に世界からの観点で)あからさまになったとき、まさに裁判員制度ごと日本の国家権力が崩壊する、そんな姿が目に浮かびます。
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2009年10月4日(日)

記者会見の途方もない異常性(2)

 一昨日の「裁判員制度はやっぱりいらない!」大集会に参加された皆様、お疲れ様でした。その勢いをもって一ヵ月後にあたる11月1日・日比谷野外音楽堂で行われる全国労働者総決起集会に1万人の大集結を目指すべく頑張りますのでよろしく御願い申し上げます。

 昨日触れた裁判員記者会見について。権力と一体化したメディアが権力のプロパガンダを垂れ流す目的で嫌がる市民(裁判員経験者)を巻き込んでまで権力の宣伝役に仕立て上げ、その上で権力の都合の良い情報だけを流し、市民の本当の感想は権力にとって都合が悪ければ一切出さない欺瞞的宣伝をするという途方もない異常性について触れました。小泉政権時代のやらせタウンミーティングの欺瞞性にも通じるところもありこれも一般市民を使った詐欺的宣伝という意味では同じですが、裁判員記者会見はメディア自身が自ら積極的にプロパガンダを垂れ流す目的を持っている点でさらに悪質性が際立ちます。
 昨日のエントリーでは裁判員制度が民主主義の根幹を揺るがす深刻な事態との指摘をしました。もっと詳しく言えば、裁判員を経験した市民が「参加した意義を広めるのが役割」「精いっぱいやらせてもらった」「満足」といった宣伝をすることで、この政策の存在そのものに「市民のお墨付きを与える」ことが重大な問題です。裁判員制度は権力側が総与党化で推進している政策ですが、市民の敬遠世論はさらに高まっているということもあり、権力側は何が何でも無理やりであろうとも市民の支持を得なければならないという姿勢があります。逆に我々の立場からすれば、裁判員制度の存在そのものを批判できる最後の砦である「一人ひとりの市民」が権力に取り込まれてしまえば、裁判員制度の存在そのものを批判できる国内勢力はほとんど皆無になってしまうのです(例外的に裁判員制度から最も遠い存在として「自衛隊」はありますが、裁判員制度をめぐる大混乱からこの政策に巻き込まれていない自衛隊が台頭する事態も極めて恐ろしい)。
 裁判員裁判において、「市民のお墨付きを判決に与えることで判決に対する批判を許さない」といった批判が数多くあります。控訴審で裁判員裁判対象外になろうとも、「一審重視」方針を東京高裁が打ち出したこともあり、一審裁判員判決の批判はほぼ実質的にできない構造をとっています。しかし、この政策の存在そのものを問題視することは裁判員が判決を出す以前の問題です。すなわち、裁判員裁判の判決に関しては2009年8月3日以降の話ですが、政策の存在自体については2004年に法律が成立したとき、いや、政府司法改革審議会での議論の時期からの問題です。裁判員制度の判決や評議に対する批判というレベルであれば、裁判員制度の中身をどのように改良しようかという議論になる可能性もあります。しかし、裁判員制度の存在や議論の進め方そのものへの批判となれば、政策の存在そのものの正統性が問われる事態になります。そんな事態ともなれば、裁判員制度が国家統治の根幹に関わる政策である以上、この国の正統性が世界的な意味で問われる事態にも発展します。
 嫌がる市民を無理やり巻き込んで宣伝役に仕立て上げてまで、嫌がる市民を「推進派」に世論誘導しようとする権力・メディア一体化の途方もない傲慢押し付け姿勢。それも、一部の人権侵害国家のように顕在的な人権侵害をしない形により巧妙に押し付ける姿勢で海外の批判をもかわす手法。昨日も触れたように、国内権威が総与党化したため国内での公正な評価が不可能な構造もあります。海外から日本の司法制度に対する批判は数多く出されているにも関わらず一向に直らないという問題はありますが、裁判員制度はこれらの国際的批判に真っ向から反する司法制度であるのみならず、政治手法として非人道の極致です。海外から「政治手法」としての批判の声を浴びせない限り、この国があるまじき方向に進むのは間違いありません!!
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2009年10月3日(土)

記者会見の途方もない異常性(1)

 昨日には郡山での殺人事件裁判で暴力団員の被告人に懲役17年の判決が言い渡されました。一昨日の横浜地裁での19年判もありましたが、本日は極めて怒りの大きな新聞記事を見つけたこともあり、指摘したいと思います。
 横浜の裁判員裁判におけるこの神奈川新聞記事、そして社説にこそ裁判員制度の本性が現れています。「(本音では)思い出したくない。もう二度とやりたくない」とまで言う裁判員を無理やり引っ張り出す記者会見が一体何を意味するのか?それを考えると背筋の凍りつく思いがあります。彼ら市民にとって本音では記者会見などもやりたくない気持ちもあったと思いますが、その場のムードで「記者会見に応じなければマズい」という雰囲気が作られていたことは容易に想定できます。
 この記者会見では神奈川新聞社説では「参加した意義を広めるのが今後の自分の役割だと思う」というコメントが出されましたし、毎日記事でも「精いっぱいやらせてもらった」「満足」「人の意見も参考にでき、良かった」とおおむねプラスの評価をしています。そのコメントと裏腹の「二度とやりたくない」本音。メディアが国民をダマすために記者会見を開いて国家権力の政策を宣伝する、メディア倫理としては絶対にやってはならない行為です。
 これは、一般市民的感覚としての想像をはるかに越えるとんでもない人権侵害にまでつながりかねない問題です。メディアが嫌がる市民を引っ張り出すというだけで十分な人権侵害ともいえますが、それ以上に問題なのは、権力と一体化したメディアが一般市民を使って政策のプロパガンダを垂れ流す行為にあります。こんなプロパガンダがまかり通ること自体が世界でも希に見る異常事態です。というのも、社会的責任の大きな有名人を使うならともかく、一般市民を使って権力がプロパガンダを垂れ流すということは民主主義を真っ向から否定する行為だからです。すなわち、民主主義は権力の乱用を一般市民の立場から監視することに意義を持っているのですが、一般市民が権力に取り込まれてしまえば、権力を監視する最後の盾が失われてしまうわけです。こんな異常事態は一部の強権的人権侵害国家でしか見られないような宣伝方法といえます。
 ただ単に権力が一般市民を使って政策のプロパガンダを流すというだけでも異常事態ですが、それに加えて裁判員記者会見のケースでは「市民が嫌がっている」「権力側が総与党化している」ところが加わっているので途方もない異常事態です。ただでさえとんでもない精神的負担を強いられたのみならず、社会的にも十分な保護を受けなければならないそんな市民を食い物にした上で権力にとって都合の良い宣伝に使うメディアのあさましさはもはや話になりません。単に個人的人権侵害のみならず、市民全体、民主主義の根幹に対する絶対にあるまじき人権侵害が行われているのです。しかも、国内権威が総与党化したため、この人権侵害について国内レベルでの公正な評価はもはや不可能です。海外の人権活動家がこんな日本の異常事態に気づいて声を挙げなければ、この国はとんでもなくおかしな方向に進んでしまいかねません。
 裁判員記者会見の異常性についてはさらに追及したいと思います。
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2009年10月2日(金)

「東アジア共同体」を本気で作るには

 昨日10月1日は「法の日」でした。法曹三者がいわゆる「大本営」記者会見を開きました(参考記事)が、そんな姿勢に抗議すべく本日10月2日(金)18時(会場時間、開会は18時30分)から東京・四谷区民ホールにて「裁判員制度はいらない!大運動」が「裁判員制度はやっぱりいらない!」全国集会(詳しくは下記画像をクリックして参照)を開きます。皆様のご来場お待ちしておりますのでよろしく御願い申し上げます。


 さて、鳩山首相の一つの構想に「東アジア共同体」がありますが、これについて保守系論客が「理念先行だけの空疎な構想」と痛烈に批判しております。それもそのはず、東アジア諸国は政治的にも歴史的にも「対立」の連続です。現在でも日本と韓国・中国は歴史的な意味での対立が色濃く残りますし、日本・韓国と中国は政治体制的な対立があります。そんな意味もあり、中華人民共和国にとって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の存在が重要な意味を持ちます。すなわち、中国は朝鮮共和国を大韓民国のイデオロギーが流入しないための「緩衝地帯」として使う必要性があるのです。
 EUのできたヨーロッパにしても第二次大戦後に「東側」「西側」といった政治体制によるイデオロギー対立が起きました。ベルリンの壁にしても数十年前には崩壊することさえ夢にも思わなかったでしょう。西側のイデオロギーに目覚めた東側市民、そして諸国が順次取り込まれる流れもあり、EUの成立、拡大もできたのです。このような流れが政治的・歴史的対立の根深い東アジアで成立しうるかとなれば極めて難しいものがあります。少なくとも常識的に考えられる「普通」の感覚では対立が解けるほど甘くはないと言うしかありません。
 では望みがないかといえば、必ずしもそうとはいえません。とは言ってもそれは「東アジア共同体など空疎な妄想」と批判する保守系論客にとっては絶対に考えられないシナリオです。すなわち、日本自身が中国や朝鮮共和国の体制と親密になることで、中国・朝鮮共和国体制に近いものになる、そして、アメリカべったりだった小泉政権、そしてそれに続く前自民党迷走政権に別れを告げて反米政権にまでなることです。そうなれば、挟み撃ちにされる韓国や台湾が地理的な見地からも親中国・朝鮮共和国政権になる可能性が高まります。そうなれば確かに東アジア共同体が現実味を帯びるというのはあるでしょう。しかし、鳩山政権ではまず親中国・朝鮮共和国体制にまでは行くはずもありませんし、何よりわが国の国民がそんな政権を望まないでしょうから。
 とはいえ、裁判員制度が潰れたらそんな事態も全く絵空事とは言えない事態にもなります。何しろ国家総動員(国会・政府・最高裁・日弁連・法務省検察・メディア・財界)で推し進め、国民全員を巻き込む国家統治の根幹に関わる政策が崩壊するのです。そんな事態になれば国家全体が騒乱状態になります。そのスキをついてどんな勢力が台頭するか予測も付かない、そんな中でわが国に起きる可能性のあるシナリオとして上記のようなケースを挙げました。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年10月1日(木)

司法の独立が脅かされた

 和歌山の強盗殺人裁判員裁判で無期懲役が言い渡されましたが、本日その判決が確定しました。検察側求刑通りの判決となった以上、弁護側としては控訴するのが刑事弁護としては当然のあり方でしょう。これについて弁護人は「被告人が決めること」というコメントを発していますが、この事件に限らず第一審で確定する裁判員裁判については、ウラで「裁判員裁判は市民の判決だからそれを尊重して控訴しないように」という圧力がかかっているのではないかという疑念を持つ法曹関係者も多くいます。これが本当に刑事弁護を担当する姿勢でしょうか?被告人の控訴意思に反して「裁判員制度は尊重していただかねばならないので控訴しないように」という弁護士がいたら、そんな弁護士に対しては懲戒請求をどんどんかけるので覚悟してください。

 昨日に少し触れましたが、2007年参議院選挙の格差4.86倍についての昨日言い渡された最高裁大法廷判決。合憲判決が言い渡されたとはいえ、一人一票実現国民会議の弁護士がコメントしたように「極めて違憲に近い判決」との評価。5人の判事は違憲との反対意見を出し、合憲と判断した竹崎博允長官を含む10人の裁判官の中でも「小手先の定数是正でなく、選挙制度の根本から抜本的な改革を求める」補足意見も多く出されました。
 今回の判決について私としては、「司法権の独立」の観点から極めて危険な事態を招いたと考えざるを得ません。とりわけ問題なのは同様の訴訟で以前に合憲判断を出した那須弘平判事が違憲判断に「転向」したことです。那須判事は以前の訴訟段階から改善が見られないことを理由に挙げていますが、本日の日経新聞ではこの件について、前回の国民審査で×が突出したことが影響した可能性について指摘しています。「国民審査が民意を反映するシステムとして機能した」という評価をする方もそれなりに多いとは思います。しかし、ここで問題視しなければならないのは、前回の国民審査での×突出については、一人一票実現国民会議が新聞の大広告を出したことが大きな影響力を持った以外に理由が考えられないことです。
 一人一票実現国民会議は賛同人名簿を見れば分かるとおり、オリックスとか楽天といった財界の大御所が名を連ねています。各新聞に大広告を掲載できるほどの経済力を持った彼ら大財界の論理で司法をも動かせるという「前例」ができたことは極めて危険です。最高裁判事の一票も「カネで買える」という脅しが通ってしまったともいえるわけで、まさに司法の独立を脅かしかねない重大な事態です。司法の独立を脅かすだけではありません。国民審査の票も全国で70万票レベルの影響がありました。このように票がカネで買えるという前例ができたということで、以降にも悪用されかねない危険性があります。端的にいえば、まさに半年あまり後には起動しようかといわれる国民投票法です。司法の最高府である最高裁判事の票もカネで買えるのだから、憲法をカネで買うような政治組織が現れても不思議ではありません。
 「司法の独立」など最高裁判事の人事権を考えればないに等しいという意見もあります。まして国家統治の根幹に関わる裁判員制度を十分な考察もせず最高裁が通した上に、今や宣伝役として積極的な役割を果たしているのでは、最高裁が裁判員制度の違憲性を判断するはずもないという予測が成り立つ意味において、これも「司法の独立」などありえない話です。しかし、もともとから存在する司法権の独立の危うさを具現的な形で表してしまった今回の最高裁大法廷判決。わが国をさらなる危険な方向に進ませないためにも、今後の「裁判員制度はいらない!大運動」活動の重要性はますます増すことは間違いありません。

 明日10月2日(金)18時(会場時間)から東京・四谷区民ホールにて「裁判員制度はいらない!大運動」が「裁判員制度はやっぱりいらない!」全国集会(詳しくは下記画像をクリックして参照)を開きます。

 皆様のご来場をお待ちしております。
Posted at 21:53 | εURL | (0) | Trackback(0)
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