毎年恒例の「報道の自由度ランキング」が国境なき記者団から公表されました(
共同通信記事)。日本は昨年29位から17位、アメリカが昨年36位からオバマ大統領効果で20位(UKと同順位)に順位を上げました。なお、トップはデンマーク・フィンランド・ノルウェー・スウェーデン・アイルランドと北欧諸国が並び、主要国ではニュージーランドが15位、オーストラリアが16位とオセアニア2大国が日本の直上、日本の直下18位にドイツ、19位カナダ、フランス43位、イタリア49位、韓国69位、2016年五輪決定のブラジル71位、インド105位、イラク145位、ロシア153位、中華人民共和国168位、イラン172位、そして最下位にエリトリア、その直上に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)でした。日本については要因に関する記事がないようですが、国家統治の根幹に関わる裁判員制度で巧妙な情報統制をしている国が果たしてこんな上位に来る資格があるのでしょうか?来年にはこの異常な実態が白日の下にさらされる事態になるのが確実でしょう。
さて、本日足利事件の再審公判が始まりました。これに関して地方紙では社説(
北海道・
神戸・
岩手日報・
新潟日報)が掲載されましたが、裁判員制度を絶対的に推進するメディアや法曹関係者に問い糾したいことがあります。それは、
足利事件が仮に裁判員裁判で裁かれるならばどんな裁判になるのか?ということです。裁判員制度起動前に起訴された事件ですから裁判員裁判の対象外ですが、裁判員制度対象罪状が含まれていることから将来的見地からも仮定の話が必要なのです。
検察側は無罪となる証拠を提示した上で速やかに無罪判決を求める方針ですが、一方で弁護側は再審において誤判をした原因の徹底究明を求める方針です。ここで「裁判員制度絶対推進」のメディア及び日弁連現執行部派の論理は「捜査当局および司法権力による徹底した原因究明が行われないと同じような冤罪がまた生まれる」というものです。では、そのような言い方をする彼らに、
私から「この事件が裁判員裁判で行われた場合、徹底した原因究明について裁判員にも負担を求めるのですか?」の言葉を送りたいと思います。一方で検察側は裁判員の負担を口実に「裁判員裁判で行われるのならば、裁判員の負担を考えて速やかに無罪の結論だけ出せばよいだろ」という態度に出るに決まっています。
しかも、19年前の事件の再審公判を裁判員裁判で扱うとなれば、
裁判員の市民感覚や常識といった観点はかえって公正な裁判にとって弊害にもなりかねません。事件が起きた時点から取り扱うべき法律が変わっている可能性もありますが、事件当時の法律で裁くという感覚が果たして一般市民である裁判員に備わっているのかどうか?場合によっては事件当時には子供だったがゆえに社会常識や感覚、情勢などの知識が備わってなかった可能性も考えられるのです。また、当然のことながら、徹底した原因究明のためには専門的知識が必要です。誤判が起きた原因調査について法律のことをよく知らない裁判員が関われば、かえって弁護側が主張する目的に反する結果を招くことも考えられます。検察側が出すであろう「法律のことを知らない裁判員に誤判検証までさせて弁護側が主張する目的を達することができるのか」との主張が説得力を持つのは自然な話です。
上記に掲げた地方紙社説の論調に共通するのは「誤判を生じさせた原因の徹底究明をしない限り国民の司法参加を呼びかけても説得力がない」です。しかし、裁判員制度自体が国民の不信を無視した上で強権的に導入されたものであるがゆえに、「何はともあれ裁判員になる国民の負担を最小限に抑える」ことが「公正な裁判を維持する」以上の優先課題にされてしまっています。現実に台風来襲を口実に審理時間を短縮したケースもありました。
誤判を生じさせた原因よりも裁判員の負担軽減を優先に制度を運用すれば新たな誤判を生むリスクはさらに高くなると考えるのが自然ですし、それがさらなる刑事司法への国民的不信感を高める結果を招くのは想像に難くありません。