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天下の大悪法・裁判員制度徹底糾弾!!

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2009年11月30日(月)

対朝鮮共和国排外主義の根深さ

 まずは本日の山形版毎日新聞記事から。毎日新聞の姿勢が極めて強権的になっています。先日にも「今後定着する裁判員裁判」という言い方で、市民が納得していないことを分かっていながら制度の定着を絶対的前提とした報道姿勢を示しましたが、上記の記事でも「計44人が30日午前9時に地裁に集まるはず」と集まらなかった候補者に責任転嫁するような言い方をしています。こんな報道姿勢をするから読者離れが進んで共同通信との提携に追い込まれるのですぞ。

 さて、昨週末土日、私は「反戦と抵抗のフェスタ2009」に出向いてまいりました。昨日の大規模デモにも参加しましたが、最も興味を持ったのは土曜に行われた反朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ナショナリズム問題を考えるトークでした。というのも、最も身近な国の問題を放置して自衛隊の海外派遣など国際問題を論じてよいのかどうか?という思いがあるからです。
 対朝鮮共和国排外的ナショナリズムに関連して、ジャーナリストの三宅勝久さんと、全男性に徴兵制のある大韓民国で徴兵を拒否した青年が出演されました。この青年から、韓国では徴兵拒否は社会的に抹殺される覚悟がなければできない行為であり、徴兵の時期になれば男性が共通して抱える大変な苦悩であることも訴えられました。このイベントのレジュメにも掲載されていますが、北緯38度線は東西冷戦の砦としてたまたま朝鮮半島に出来てしまった境界線であり、日本の憲法9条は朝鮮半島を犠牲にして出来たものだと考えると、どうしても心を痛める思いを持たざるを得ません。少し間違っていたら日本国内に「現在の北緯38度線」があったかもしれないのです。と同時に、日本の若者の根性が腐ってきているから徴兵制を、という発言をする一部政治家の思想には恐ろしい思いを持ちます。また、韓国では徴兵制維持のために子供の段階から「望んで兵士になる」ための教育が行われます。日本の裁判員制度が同じ根を持つことは言うまでもありません。
 現在の日本自衛隊と韓国軍との比較という観点でもトークがありました。徴兵制のある韓国と存在しない日本では、「軍」に対する入りから意識の違いがある面も指摘があり、韓国ではまさしく「軍」の意識として入隊するのに対して、日本の若者が自衛隊に入る際には「軍隊」の意識がないまま入るケースがほとんどゆえに中に入って初めて「軍隊」そのものである実態を目の当たりにすることになるのです。そして、自衛隊が「軍」として機能するためには敵国と戦うことを前提にした訓練が必要となるため、「仮想」敵国を持ち込まねば存在意義がなくなります。その意味で仮想敵国のイメージとして手っ取り早いのがまさしく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)となってしまうわけです。その面では仮想以上の現実がある韓国のほうが切実ですが、日本でもそのような意識を煽るグループが出てきました。まさしく田母神俊雄氏著書にある「旧日本軍の末裔が自衛隊」という考え方から出てくるもので、ここから出てくる「反日」は旧大日本帝国に反する姿勢につながるという話もありました。ここがナチス時代から完全に切り離されたドイツと、旧大日本帝国の思想から切り離されていない日本の大きな違いでもあるのです。
 「在特会」(在日特権を許さない市民の会)ほか「レイシスト」と呼ばれる勢力が市民運動の形で出てきている現状も極めて恐ろしいものがあります。特に排外主義の矛先が最も向かいやすいのが、拉致・核問題を抱えている朝鮮民主主義人民共和国であることは言うまでもありません。市民運動から出てくるこのような排外思想は、多数市民の心をつかんだときに社会全体をあるまじき方向に動かす危険性があります。私は、対朝鮮共和国排外思想については、光市事件被告人、加えて弁護人や差し戻し前の第二審までの裁判官(この件がもとで裁判員制度なるものができてしまった)に対する社会的バッシングとも通じるものがあると考えております。対外的か対内的であれ、より弱いものに社会の矛先を向けやすい日本国民の体質から改めなければ、本当の意味で反戦市民運動が広がっていかないのでは、とも考えております。

 読谷村ひき逃げ・武蔵村山道路ロープ張り事件の米兵・関係者の身柄引き渡し問題、裁判員制度が廃止されるまで米兵重罪容疑者の身柄を日本に引き渡させない要請は徹底的に続けたいと考えております。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年11月29日(日)

公正な無作為抽選など不可能

 読谷村ひき逃げ・武蔵村山道路ロープ張り事件の米兵・関係者の身柄引き渡し問題は毎日ニュースでチェックしています。特に読谷村事件では米兵の身柄引き渡しに関して、日本の刑事手続の問題が絡んでいる様子が地元新聞から読み取れます。裁判員制度が直接的に絡んでいるかどうかは分かりませんが、場合によって日米関係にも深刻な影響を及ぼす可能性も出ているといえるのではないでしょうか。私としては、裁判員制度が廃止されるまで米兵重罪容疑者の身柄を日本に引き渡させない要請は徹底的に続けたいと考えております。

 さて、奈良の集団強姦事件裁判員裁判でこんなことがありました。出頭した49人のうち、検察、弁護側、さらに裁判官からの忌避が続出し、さらに当日辞退も含めると、約15人しか最終抽選候補に残らなかったとのことです。この事件では最初の候補者抽選段階で100人を選び出していますから、約15%しか適任者がいなかったことになります(追記。一部メディアでは120人選任というのがあります。後日追加選任があったのかもしれず、この場合は約12.5%になります)。
 集団強姦事件という特殊性ゆえに検察、弁護側、裁判官による不適格排除が続出したことは想像に難くありませんが、それをいえば今後必ず起きるであろう死刑求刑、無罪主張、精神鑑定必要といったレベルの事件、あるいは、政治的・宗教的思想で判決が左右されそうな事件でも検察、弁護側、裁判官による不適格排除の続出もあるでしょうし、当日辞退請求というケースも続出するでしょう。これは、初期抽選段階で200人選ぼうが300人選ぼうが、最終的に抽選に残るのが20%行くかどうかということになります。そうなれば、裁判員の構成が偏るのも当然の話で、現実に奈良の事件では裁判員全員が男性になりました。
 最終適格候補者が20%にしかならないような裁判。果たして被告人にとっても公正な裁判といえるかどうかが重大な問題となります。これは、初期段階で200人とか300人選んだ上で最終抽選候補が何人残ったかという問題ではありません。20%しか適格者がいない裁判は制度推進派の当初の理念からかけ離れていることは明らかです。上記の毎日新聞記事でも傍聴者が「女性がいたほうが良い」という感想を述べています。
 こんなことになったのも、集団強姦致傷をはじめ、殺人とか強盗致傷、覚せい剤密輸など日常常識で考えられない事件を取り扱ったからこそ起きたものです。常識で考えられない類の事件を「常識で判断してください」という法曹の非常識感覚もあきれるのですが、日常的感覚から「非常識」な事件を扱えば、集まる市民も「非常識」、すなわち、特異な考え方を持った層に偏るのも自然としたものです。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年11月28日(土)

ないものを「ある」と言う悪質性

 本日、大手・地方紙のかなり多くが日米核密約問題に関する社説を掲載しました。国家権力が国民にウソをついてきた密約の経緯について説明責任を果たせとの論調が大半ですが、では、正統性を失った日米同盟をどうするのかという問題までほとんどの社説が踏み込んでいません。そこまで踏み込むような論調になれば国民の怒りを誘発して国内全体が不安定になりかねないからです。
 国民にウソをつき続けた国家権力。日米核密約問題と同様、裁判員制度も全く同じです。いや、裁判員制度は日米核密約問題よりももっとヒドい構図があります。それは、ないものを「ある」と言う姿勢です。日米核密約問題は「あった」ものをないといい続けたことが問題になりました。しかし、裁判員制度については「ない」ものを「ある」と言う意味において、もっと悪質性の高いものです。例えば、2008年の世論調査で、調査対象者に「義務ならば参加するしかない」という項目を消極的姿勢に見せておきながら、調査側の最高裁が「義務だから参加してくれる」という制度容認派と不公正解釈して「6割の市民が裁判員になってくれる」と宣伝したのが典型例です。現実に裁判が始まってからも、各裁判ごとの出頭率について、抽出後に辞退を広く認めた上での最終呼び出し候補を分母にした数値を出すという極めて不公正なデータを市民に提供しました。さらに、「本音ではもうやりたくない」裁判員経験者である一般市民にまで記者会見の場で「やりがいがあった」というウソを言わせる行為もありました。
 日米核密約問題ならばメディアによる「存在は疑っていたが正確には把握できなかった」「存在そのものを知らなかった」という言い訳は(それでもメディアの本分としては好ましくないにせよ)ある程度「仕方ない」で済まされる部分はあります。裁判員制度はそんな言い訳も通用しません。世論調査を自ら行っているメディアにとっては、裁判員制度に関する世論調査や出頭率データについて「不公正なデータであることを知らなかった」では済まされません。すべてのメディア自身も裁判員制度100%推進目的にドップリはまり込んだ結果、権力と一体化して市民に対して積極的にウソをつき続けたのです。いや、そのウソに「偽装記者会見」という形で一般市民を巻き込んだ上で政策にお墨付きを与えるというのだから、これは最早世界の歴史上を考えても希にしか見ないような人権侵害の極致です。
 どれもこれも、市民が知るというレベルにとどまる日米核密約問題と違い、市民が裁判員に協力するという行動に出なければ成立しない政策であるから、権力が積極的な意味でウソを宣伝し続ける行為が行われたのです。しかも、市民に容易に受け入れられるものではないということが分かっているからこそ、すべてのメディアをも巻き込み、かつ嫌がる市民をも宣伝役に駆り立てるようなやり方までするのです。その意味では、人権を守る最後の砦は当事者である被告人といえるかもしれません。裁判員制度が廃止されるまで米兵重罪容疑者の身柄を日本に引き渡させない要請は徹底的に続けたいと考えております。
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2009年11月27日(金)

徹底的に海外からの非難を求める

 まずは産経Web記事時事通信記事。同じ千葉地裁・強盗致傷事件の判決での裁判員の感想ですが、検察と弁護側の立証について「国家権力と零細企業の差」という感想があります。ところが、時事通信で「心証に影響したら被告がかわいそう」とあるものが産経記事にはありません。すなわち、産経新聞の裁判員制度に対する姿勢がモロに現れており、被告人の人権保障が刑事裁判の基本原則という観点を抜きにした恐ろしい世論誘導としか言いようがありません。
 さて、昨日のクローズアップ現代で裁判員制度が取り上げられましたが、毎度の「金太郎飴翼賛報道」以外の何物でもありませんでした。裁判員経験者への取材は、経験者が思い出したくなさそうな重々しい口調、しかも守秘義務に注意して言葉を選んでいるような印象を受けました。しかし、そういった感想にしても番組のコメンテイターが「良い制度だ」という結論を導くために都合よく使うような番組構成になっていました。経験者の「素人に裁かれた被告人は納得して刑を受けているのか」という疑念、まさしく裁判員制度における思想的倒錯の本質に触れている言葉ですが、番組内ではほとんどこの問題には触れられていませんでしたし、保護観察問題にしても「制度自体を知らない裁判員にこういった判決を受けた」被告人が納得しているかどうかの疑問は解決していません。だからこそ横浜のような「すっぽかし」が起きるわけです。
 被告人が納得しようもない裁判。素人裁判員に裁かれること自体にも納得がいかなければ、冒頭に掲げたように、検察側と弁護側の「国家権力と零細企業」(=弁護人が「戦車と竹やり」といった表現も)もの差で争うために検察側有利な判断が出ることにも納得がいかないでしょう。仮に日本国内で重罪容疑がかけられた場合、こんな裁判が行われる日本で刑事裁判を受けたいとは思わないでしょう。ただし、日本国内からの目だとこんな裁判が行われることに疑問の余地をなかなか抱くことができません。何しろ国内権威が最高裁から政党から弁護士会執行部からメディアまでみんな翼賛しているのです。毎日新聞コラムなどはとんでもないことに、市民がまるでいまだに納得していない裁判員制度について「今後定着していく」と絶対的前提としての断定論調で論じる姿勢にまで転化してしまいました。まさにメディアによる権力と一体化しての世論抑圧というとんでもない報道です。
 国内レベルでは、いかに8割の市民が世論の声を挙げようとも、総与党化してトップをガチガチに固めた権力は一切聞く耳を持たないでしょう。そんな意味で海外への徹底的な介入要請は必要だと考えております。それも、裁判員制度は国内権威総与党化かつ国家統治の根幹に関わる問題だけに、「裁判員制度を断念しなければ別の国際問題によって国家の信用に関わる重大問題が噴出する」というレベルの脅しをかねなければなりません。国家の信用に関わるほどの国際問題にまで発展する具体的事案といえば、日米同盟、あるいは対朝鮮共和国外交問題といった類のものです。昨日述べたように、裁判員制度が廃止されるまで米兵重罪容疑者の身柄を日本に引き渡させない要請も必要だと考えております。
Posted at 23:02 | εURL | (0) | Trackback(0)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年11月26日(木)

米兵家族身柄引き渡しを許すな

 昨日一斉にメディアで報じられましたが、東京・武蔵村山市で起きた道路ロープ張り殺人未遂事件で米兵の家族が容疑者として浮上、身柄引き渡しの件が問題になっています。仮に身柄が日本国に引き渡されて殺人未遂罪で起訴されると、東京地裁立川支部で裁判員裁判が行われることになります。日本の裁判員制度はそれ自体が決定・推進などの正統性が疑われる刑事手続でありながら、国内権威が総与党化、とりわけ最高裁が不公正な手法をもってまで推進宣伝をしていることから、公正な形でこの制度の憲法違反性を判断できる機関が国内には存在しません。
 そんな意味で、今回の容疑者を不公正な刑事手続である裁判員制度で裁かせないよう米軍に皆様の手で依頼しましょう。今回の武蔵村山事件に限らず米軍の凶悪事件が後を絶たないことからも、今後に向けて在日米軍のあり方を問う意味でも皆様のアクションが重要です。
 なお、本件に関しては、あくまで日本における不公正な司法制度である裁判員制度を我々が認めない見地、あるいは被告人に対する人権保障の見地からアメリカ合衆国に要請するものであり、彼らの逃亡を手助けする目的でないことをお断り申し上げます。ですから、アメリカ国内で起訴までこぎつけた場合には同国内で裁判を行うことを否定するものではありません。また、容疑のかけられた米軍兵士・関係者が日本国内で起訴された場合に予想される裁判員制度での裁判に合意した場合、あるいは日本において裁判員制度が廃止された場合には日本への身柄引き渡し拒否要請は取り下げます。
 詳細はこちらから。

(追記)本日の琉球新報社説からですが、沖縄・読谷村で起きたひき逃げ事件で容疑がかけられたアメリカ軍兵士の身柄引き渡しが難航している模様です。この事件では飲酒運転の疑いがもたれていることから、仮に身柄が日本に引き渡されると危険運転致死罪起訴→裁判員裁判というケースも考えられます。裁判員裁判とい存在そのものが不公正な手続で裁かせないよう、武蔵村山事件を含めて、アメリカ国防総省に働きかけましょう(メール送信は、リンク先サイト内中ほど 「Ask a Question / Make a Comment」をクリック)。
(文例)
 初めまして。日本の裁判員制度に反対する活動をしている日本人です。裁判員制度の廃止、そして日本全体の不正化阻止のために、アメリカ合衆国の力が必要だと考えてメール致します。
 そもそも、日本における裁判員制度の思想自体が被告人に対する重罰を科すことを目的としたもので、近代憲法における刑事司法の理念からしても政策自体に根底的な誤りがあります。仮に裁判員制度が強行された場合は日本国民だけの問題にはとどまらず、アメリカ合衆国の主権にも関わる重大な問題があります。アメリカ合衆国国籍の市民が日本国内にて重罪事件で起訴されたら、日本国民による差別思想により不当な冤罪・重罰判決が出ることが想定されます。つい先日長浜での2幼児殺害事件で中華人民共和国国籍被告人に対する大阪高裁での無期懲役判決がありましたが、同様の事件について、裁判員裁判が行われたらアメリカ軍関係者を含む外国人被告人に不当な死刑判決を下す、あるいは外国人が被害者となった事件で日本人被告人に不当な無罪・軽罪判決を下すなどの排外思想にもつながる可能性があります。
 日本の裁判員制度は国家統治・治安の根幹に関わる法律であるのみならず、8割の市民が嫌がる中を権力・メディア・日弁連など権力や有識者が総与党化して強権的な手法で押し付けようとしています。しかも、国民的嫌悪感の強い中を法務省によるやらせタウンミーティングや最高裁判所による違法広報、内閣府・最高裁世論調査内の不公正解釈など、権力側が不正をしてまで強行しようとしています。とりわけ、最高裁による違法な広報、不公正な世論調査が行われたことからも考えて、法律の憲法違反性を公正に判断できる機関が日本国内に存在しないという重大な問題があります。裁判員制度はその存在自体が不正です。裁判員制度の憲法違反性を争うには、公正な国際機関に委ねるしか公正な判断を期待することはできないということになるのです。
 アメリカ合衆国国民にこのような依頼を行うことなく、日本国内だけで問題を解決できれば言うことはないのですが、残念ながら日本は国連の国際人権規約委員会・自由権規約の個人通報制度に批准しておらず、日本国民が国連に裁判員制度の不公正問題を個人通報により告発することができません。その意味で、自由権規約・個人通報制度に批准しているアメリカ合衆国の協力がどうしても必要なのです。アメリカ合衆国国民が日本国内において重罪事件で起訴されて裁判員裁判にかけられたならば、裁判員制度の憲法違反性について自由権規約・個人通報制度に基づき国連に告発することで、この争点だけについては日本国内の司法機関ではなく国連で争っていただければと考えております。当然、私としては裁判員制度の実施そのものを阻止すべく活動しているため、アメリカ合衆国として「2009年5月21日に日本で裁判員制度が実施されたので、すべてのアメリカ合衆国国民に対して日本にて裁判員制度対象事件で起訴された場合、日本の裁判員制度の憲法違反性について国連の自由権規約委員会に通報するよう勧めます」という声明を出していただければと幸いだと考えております。
 また、アメリカ合衆国との間で結んでいる犯罪人身柄引き渡し条約についても触れたく思います。不正な法的手続である裁判員制度によって裁かれることは、被告人にとって深刻な人権侵害になります。その意味で、2009年5月21日に裁判員制度が強行されたことからも、アメリカ合衆国内に逃亡中で重罪容疑のかけられた日本人の身柄引き渡しを拒否することを要請致します。
 武蔵村山市で起きた道路ロープ張り殺人未遂事件においてアメリカ軍家族の身柄が日本に引き渡されて日本国内にて殺人未遂罪にて起訴された場合には、日本の不公正な司法制度である「裁判員制度」で裁判が行われることになります。また、読谷村で起きたひき逃げ事件でも、アメリカ軍兵士の身柄が日本に引き渡されて危険運転致死罪で起訴されたら裁判員裁判対象になります。彼らが裁判員制度裁判で裁かれた場合には人権侵害は著しいものになります。その意味でも、武蔵村山市・読谷村事件に限らず、今後とも重罪容疑のかけられたアメリカ軍兵士やその関係者の身柄を日本に引き渡さないよう要請致します。なお、本件に関しては、あくまで日本における不公正な司法制度である裁判員制度を我々が認めない見地、あるいは被告人に対する人権保障の見地からアメリカ合衆国に要請するものであり、彼らの逃亡を手助けする目的でないことをお断り申し上げます。ですから、アメリカ国内で起訴までこぎつけた場合には同国内で裁判を行うことを否定するものではありません。また、容疑のかけられたアメリカ軍兵士・関係者が日本国内で起訴された場合に予想される裁判員制度での裁判に合意した場合、あるいは日本において裁判員制度が廃止された場合には日本への身柄引き渡し拒否要請は取り下げます。
 アメリカ合衆国の発展を心から願っております。(以上)
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2009年11月25日(水)

裁判の責任は誰が取る

 まず本日の毎日新聞社説。まさしく裁判員制度そのものの議論には一切させないように世論誘導を行うとんでもないものです。毎日新聞に限らずメディア全体が基本的に同じ姿勢ですので、裁判員制度そのものへの議論に公正な形で持ち込むには、被告人と海外を巻き込むしかないと考えており、そのための準備は進めております。おそらく来年初頭あたりにその計画を本ブログでも出したいと思います。

 さて、昨日足利事件の再審公判が宇都宮地裁で開かれました。取調べテープが証拠採用されるかどうかが大きな焦点となり、昨日の公判で採用が決定されました。従来であれば検察が無罪を主張する事件では余計な証拠調べはしないというのがこの国の裁判のあり方でしたが、足利事件の特殊性からも異例の決定となったのです。
 足利事件や横浜事件でさんざんメディアが喧伝してきたのは、再審公判で形式的に有罪判決を覆すだけでなく裁判の中身を十分検証しなければ、司法に対する市民の信頼は得られないというものです。それは確かに正論的な意味はあるにせよ、では果たして裁判が良い方向に向かうかどうかとなれば話は別です。誤った判断をした責任を誰がいかにして取るのか?といった議論が十分になされないと同じようなことが繰り返されるのは目に見えているからです。検察側にとって形式的な手続で済ませたいというのは彼らの論理からしてみれば分かるにせよ、このままでは検察のみならず司法全体への信頼失墜という事態にも向かうのは間違いありません。
 そういえば、裁判員裁判で保護観察判決を受けた元被告人が所在不明になる事態がありましたが、この元被告人に対して「国家と市民の意思を踏みにじった」と大変な非難を浴びせる報道がなされました。しかし、私がこの元被告人の立場に立ってみたら、「保護観察制度の詳細やシステムなど知るはずも裁判員にこのような判決を出されたこと自体に納得がいかない」と考えます。これが裁判官だけの判決であれば、保護観察制度が現実にどのように運用されているのか、本当の細部まではいかなくともそれ相応の知識はあるはずですから、判決を出されたことそのものには納得できるからです。そして、こんな事態が起きたときに、果たして誰が誤った判断を下した責任を取るのか?裁判員は判決に際して名前を出さないですから、責任の所在はまるであいまいになるのは目に見えています。国家の意思として無責任な判決を下す、まさに暗黒裁判そのものではないでしょうか?
 裁判員制度推進派の説明に「このような誤った判断をする裁判官がいるので、そのような誤りを監視する機能を市民の手に持たせる」というのがあります。ところが、裁判員制度以外の手続の部分は従前通り、いや、裁判員の負担軽減を隠れ蓑にした公判前手続のような「ブラックボックス」を新たに作ることで、かえって誤った裁判を正す機能を失う事態にもつながりかねません。誤った判断を監視するどころか、誤った判断に「市民のお墨付きを与えてその批判を許さない」という恐ろしい事態にもつながるのです。まして、裁判員制度そのものの存在は国家権力・メディア・日弁連という日本の権威全体が推進しています。あるテレビ番組での私の記憶ですが、「ある裁判で自分は誤った判断をしたかもしれない。しかし、その判断はあくまで国家の意思であるからかまわない」という内容の発言をした裁判官がいました。そういった「国家の意思」に市民全体を巻き込んだ上で国家にとって最も都合の悪い重罪被告人に対して「批判することさえ許さない」裁判を行うのが裁判員制度です。そんな裁判が行われる日本社会は、どんな恐ろしい方向に進んでいくのでしょうか?
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2009年11月24日(火)

劇場型裁判になって当然

 まずは新潟日報の本日社説から。新潟日報に限らず、裁判員制度開始半年関連社説はどれもこれも「金太郎飴」状態。まずは順調なスタートとか言っておきながら、新潟日報さんよ、足元の新潟地裁こそ裁判員裁判におけるトラブルが起きる危険性が最も高いのですぞ。弁護士会が最初に裁判員制度延期決議を出したのが新潟ですし、制度絶対反対派の西野喜一先生や高島章先生のお膝元、しかも、高島先生が弁護する裁判員裁判こそが全国的に見ても極めて大きな問題になりそうです。それも、被告人が起こしたとされて起訴された性犯罪を含む多数の事件について、分離か併合かで大激論がなされたからです。

 本日は産経新聞サイトでこんな記事も出ました。裁判員裁判が劇場型に展開する危険性への懸念ですが、刑事裁判の性格、本質を考えたら劇場型裁判になるのは当然の話です。懸念とか課題で済まさないでください。
 刑事裁判の本質的性格とは何か?被告人が国家からの不当な刑罰を受けないために、検察が一方的に優位な形で出してくる証拠に対して弁護側がありとあらゆる手段を講じて守るというものです。しかも、無罪を争うような事件では、検察側証拠について「100%に限りなく近く疑う余地なし」と判断できなければ無罪となるのが刑事裁判です。そうなると、基本的な意味で弁護側がありとあらゆる手段を持ち出すのは当然といえます。無論、検察側も適正な刑罰を科すことができなければ国全体の治安悪化、そして、国家の対外的信用を失う事態に陥るので、最大限の力を持って証拠を出してきます。検察側と弁護側が究極の形で戦う以上、お互い「自らの利益のためには何でもあり」の姿勢になるのです。
 3人のプロ裁判官に加え、6人も裁判員が入る形になれば裁判員の意見を無視するなど絶対にできるわけもありません。まして国家治安・統治の根幹に関わる重罪事件を扱うのみならず、「裁判員制度の意義を損ねない」大義名分の下控訴審でプロ裁判官による判断の修正は限定されることになったのです。裁判員の心をつかむことが重罪刑事裁判を勝ち抜く最短ルートになったのは当然です。裁判員の心をつかむにはどうすればよいか?とりわけ情に流されやすい日本人の性格からして、劇場型裁判を目指すのは検察、弁護両サイドとも必然の結果です。さらにいえば、上記の産経記事に例が出されたように、弁護側による劇場型弁論は極めて不利でかえって逆効果にさえなりかねません。そもそも日本人の刑事裁判に対する見方は根底的な意味で一方的な検察・犯罪被害者サイド寄りで、世界の刑事裁判の常識と真っ向から反するものだからです。
 劇場型裁判といえば、この裁判員制度が世論として一気に持ち込まれた光市母娘殺害事件が典型的でした。この裁判ではメディアの扇動報道、さらに検察側サイドの見方をした弁護士による世論扇動が大変な問題になりました。今の裁判員裁判は光市事件のミニ版が各地で行われているのと同じです。英国人女性殺害事件、鳥取・埼玉の男性連続不審死事件など、世間をにぎわす凶悪事件はいつの世になっても尽きることはありません。しかし、世間をにぎわすムードが刑事裁判に持ち込まれたとき、どんな恐ろしい裁判になるかということについて、(大手メディアに出る)プロの法曹もメディア自身も本気で考えているとはとてもいえません。
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2009年11月23日(月)

日弁連会長選弾圧問題から考える

 本日はヤメ蚊先生のブログから情報を得て、21日の朝日新聞記事をコピーしてきました。次期日弁連会長選挙についての記事ですが、私が注目するのはあくまで高山俊吉弁護士が出馬できるかどうかのみ。朝日新聞(と限らずすべてのメディアに共通ですが)は完全に裁判員制度翼賛派ですから、例の懲戒問題も含めて高山俊吉弁護士の出馬資格剥奪は既定路線として事実を伝える姿勢に終始しています。
 この朝日記事では記事中の小見出しとして"争点は「増員」"というのがあります。一方で、高山俊吉弁護士の出馬資格剥奪問題に絡めて「裁判員制度反対」について記載されています。すなわち、今後も含めて日弁連会長選挙において裁判員制度は絶対に争点にしないように権力、メディア全体が仕向けているのです。一方で日弁連会長選挙問題に限らず、裁判員制度反対世論はメディアが矮小化しています。各地で行われる裁判員制度はいらない!大運動とめよう戦争への道!百万人署名運動などによる裁判員裁判抗議活動は全国紙全国版は完全無視、全国紙地方版や地方紙に一部取り上げられる程度のレベルです。彼らは我々の運動を一切認めず、存在しないものとして扱っているのです。我々が世論をいかに盛り上げようとも、権力側はその存在を一切無視、認めない姿勢を永久的に続けるでしょう。
 高山俊吉弁護士への懲戒、会長選出馬資格剥奪問題は弁護士会内部の問題ですから、外部から圧力をかけるにはふさわしくない側面もあります。現実に光市事件における橋下現大阪府知事の世論扇動問題もあり、高度な資格職業である弁護士の内部自治が世論に影響を受けることは好ましくないという意見も納得できるものがあります。しかし、裁判員制度問題に関しては現日弁連執行部と権力は結託していますから、懲戒問題が撤回されるかとなると難しい問題も多くあります。その意味で我々としては弁護士に頼らない運動方針も必要になります。
 とはいえ、「裁判員制度はいらない!大運動」の理念である、「市民運動の力で裁判員制度を潰しきる」ことができるかとなれば、権力が一切我々を無視する態度を貫いている現状から果たしてそれだけにこだわるのが良いかどうかは難しいものがあります。その意味で、多面的な圧力を権力にかける必要があります。多面的圧力となれば、我々の運動を広げていくと同時に、被告人からの圧力、さらに海外からの圧力も含める必要があると考えております。
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2009年11月22日(日)

民主党政権は信用できない(2)

 まずは本日の産経新聞社説から。産経に限らず、地方紙で裁判員制度開始半年関連の社説が結構掲載されています。多くが裁判員経験者の声を生かせとの論調ですが、経験者の声を生かすことが万が一にもできたとして、被告人が納得できなければ定着しないのは当然の話。これに関しては私としても思うところもあり、後日また触れたいと思います。

 さて、本日は民主党政権の姿勢を信用できない件について触れたいと思いますが、私として警戒しなければならないと考えているのが「議員立法原則禁止」「官僚の国会答弁禁止」姿勢です。民主党政権の目玉である政治主導による政権運営方針、政府・与党の意思決定の一元化の一環として行われるものですが、極めて危険な事態を招く可能性もあります。そもそも政府・与党の意思決定の一元化というのは、近代憲法における三権分立の大原則に反して立法府と行政府を一体にすることです。
 民主党のこの姿勢がどんな弊害を招く可能性があるのか?私は薬害肝炎訴訟において議員立法で救済したケースを本ブログで取り上げました。行政府が行政の誤りを認めず、司法府も現行法では救済できなかった薬害肝炎問題のケースで立法府は手をつけていなかったので議員立法で救済したというわけで、これが三権分立が成り立っているからこそ成立した論理です。もっとも、民主党の議員立法禁止も原則論であり、肝炎対策法については例外的な議員立法もあるという報道もありました。しかし、民主党の基本姿勢として政府・与党が一体化すれば、例に挙げた薬害肝炎問題などはより救済が難しくなる危険性があるのです。
 また、政府・与党の一体化となれば、より国民が行政姿勢に反対を言いにくい構図になってしまいます。すなわち、現民主党政権は、政府に行政官として議員を多数送りこんでいます。脱官僚・政治主導という大義名分の下、行政府に「与党の民意」というお墨付きをより強い意味で与える危険性もはらんでいるのです。とりわけ前回総選挙で衆議院再可決が可能になる3分の2近くの議席を獲得し、一時期ほどではないにせよ鳩山政権への支持率も高い現状です。ただでさえ現政権には一般有権者である国民から反する姿勢を取りにくいムードがある中で、今の民主党政権が行政府・立法府一体となった暴力的政権に変貌した場合、暴走を止めるセーフティネットが機能しなくなる危険があるということです。これがかつての「民主主義のシステムから生まれた」ナチス・ドイツの全体主義と同じ構造でした。
 そういえば、ナチス・ドイツの司法制度をモチーフに作られたのが裁判員制度だといわれています。裁判員制度は民主党も賛成票を投じた以上は絶対推進姿勢を堅持したままですし、制度の廃止などまるで考えてはいません。ここに政治主導による立法府・行政府の一元化姿勢を加えると、ますます政府与党の意向に逆らう「裁判員制度廃止」世論については全く受け入れられないどころか、政府与党による弾圧姿勢を招く危険さえあるのです。しかし、そんな政府与党の姿勢の可能性があろうとも、我々は負けるわけには行きません。前自民党政権、現民主党政権ばかりか、共産党までもが間違ったことをやっているのです。間違ったことを権力がやっている以上はいかなる手段を使ってでも潰すまでです。場合によっては海外の助けも借りなければなりません。
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2009年11月21日(土)

日米安保は改めて根底から考えよ

 まずは落合先生のブログ経由、早稲田大学のシンポジウムから。裁判員裁判におけるCG利用の可能性についてのシンポジウムに先立って識者への事前インタビューが掲載されていますが、極めて重大な問題は、被告人の人権保障の観点がまるでないことです。彼らは、裁判員の負担を軽減することを大義名分に検察が証拠写真を変造する可能性について語らなかったのでしょうか?検察による証拠変造がまかり通ればそれこそ冤罪の温床になり、ひいては、刑事裁判の大原則である「適正手続、冤罪防止」が画餅に帰することになります。公正な裁判を歪める危険性を一切考えない裁判員制度がいかに危険か、表のメディアで「裁判員制度そのものへの批判につながる発言をタブー」にする有識者全体の責任も極めて重大です。

 本日、大手メディアから「岡田外務大臣、核密約公式に認める方針」との報道が一斉に流れました。まさしく日米安全保障条約の正統性にかかわり、ひいては日本国憲法の最重要条文である第9条の存在の根底にも関わる大問題であることは言うまでもありません。日米安保が原点からその根幹がインチキであったことを認めるのであれば、その原点に戻って議論をやり直せというのは当然の話です。
 大半の大手・地方メディアは、日米安保の存在は絶対的前提とした上でそれを土台とした議論を進めようとしています。しかし、絶対的前提となるべき論拠が根幹からインチキであれば、それを下にした議論はすべてインチキになるに決まっています。その意味で岡田外相の姿勢はある程度は評価しますが、あくまでそれは日米安保の存在そのものから根底的に議論することが大原則です。これからの日本という国の行く先をいかに持っていくか、そのためには日米同盟の存在が果たしてよいのかどうかから国民的議論をすべき時期に来ているといえるのです。それもこれも、アメリカという国自身も世界的影響力という意味で低下しているからで、そうなると、わが日本はアメリカべったりの現状からアメリカとは袂を分かつくらいの覚悟が必要にもなってくる可能性さえあるのです。
 それを無視して、日米安保は絶対だという前提で議論しようものならば、ゆくゆく日本自身が取り残される可能性があることも考えなければなりません。日本が日米安保にこだわっている間にアメリカと中国が協調路線を取った挙句日本がカヤの外に置かれる可能性。あるいは、オバマ政権も立ち行かずに日米安保だけが取り残されて安保ごと他国・他勢力との力関係が劣位になる可能性。起こり得るありとあらゆるケースを考えた上で今後の日本のあり方を国民的議論として巻き起こさねばならないわけで、その意味では、大手メディアがほとんど今後の日本の路線として考慮に入れていない、反米、親アジア、親中国路線も一つの案として出すべき時期にあるともいえるのです。
 日米安保を存在の根底自体から原点に戻って国民的議論にするという場合、裁判員制度の存在そのもの自体について国民的議論をしないことは絶対に許されません。日米安保も裁判員制度も国家統治の根幹に関わる重大な事案で、かつ国民的議論を十分にしないまま権力の論理で国民に押し付けた経緯があるからです。日米安保では新聞社の「7社共同宣言」で反安保国民運動を権力とメディアの結託で潰しましたし、裁判員制度でも同じような構図があります。仮に現民主党政権が「日米安保はインチキでした。原点に戻って国民的議論をします」といいながら「裁判員制度は存在は絶対的なものとして国民皆様の手で育てていきましょう」といえば、これはとんでもない二枚舌、民主党政権は一切信用できないというしかありません。
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2009年11月20日(金)

改めて問う「刑事裁判は何のため?」

 最近は本当に何のために刑事裁判があるのか?という疑念を抱かざるを得ないような事態が相次いでいます。私が過去にも触れたのですが、讀賣新聞記事でも掲載されたように仙台の殺人事件被告人が「裁判員の負担しか考えていない、裁判員が入ると刑が重くなるに決まってるから裁判官裁判のほうが良かった」と不満を述べたり、自身の刑事裁判手続について市橋達也容疑者に「親に連絡してほしくない」とまで言わせたり、いずれも裁判員制度の存在そのものが大きな要因になっているのだから救いようがありません。
 また、本日報道がありましたが、横浜地裁で保護観察つき執行猶予判決を受けた元被告人が保護司への報告をせずに所在不明になっているという事態も起きています。保護観察制度全体への不信を招きかねない事態です。保護観察といえば、犯罪白書関連社説が大手、地方新聞でも結構取り上げられていて、裁判員裁判で執行猶予への保護観察つきが増えたことを歓迎しています。しかし、裁判員にさせられる市民にとって法律用語でもある「保護観察」など普通は知らないはずです。ですから、ほとんどの裁判員にとって、任務させられて訳も分からないまま評議室で「保護観察をつける方が良いでしょう」と裁判官に半ば誘導させられるまま保護観察をつけてしまうケースがほとんどだと考えられます。保護観察制度についてほとんど実態を知らない裁判員に保護観察をつけられるような、こんなやり方で判決を出される被告人はたまったものではないでしょう。
 仙台の裁判員裁判では被告人に「むかつく」と非難糾弾をした裁判員がいたことも話題になりましたが、この態度を事もあろうか被告人の弁護人が理解を示すという事態もありました。こんな人権感覚を持った弁護士に弁護されたのでは被告人にとって自らの立場を十分に守れないのは明白でしょう。改めて考えなければならないことですが、刑事裁判は「被告人の人権を守るための適正手続」が大原則です。これらの被告人の言葉を真剣に受け止めるのが法曹で仕事をしている方々の役割ではないのか?日本の裁判員制度は元々から成り立ち自体に「被告人のためというのではなく国民一般として重要な制度」という国会説明があったのだから話になりません。すなわち、法曹というより、権力全体が総与党化して近代憲法の大原則に違反する行為をやっているわけです。
 未だに法曹や権力全体、さらにメディアもその誤りを一切認めない態度ですし、金輪際彼らは誤りを認める態度に転向などしないでしょう。我々としてもそのことを前提にして彼らに臨むしかありません。彼らが絶対に誤りを認めないならどうするか?裁判員制度は絶対に認められないと考える被告人や容疑者を使ってまでも、無理やりでも「裁判員制度は間違っていた」と認めさせるしかありません。当然、総与党化した国内レベルでは公正な評価は不可能ですから、海外とも絡める必要があります。市橋容疑者事件では英国の助けも借りる必要もあるでしょう。
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2009年11月19日(木)

これが公正な裁判か?

 今度は佐賀地裁で追加選任ですか…しかも、追加選出人数はこれまでで最多の40人。これでは、候補者追加選出がいわば「普通」の事態になることで一回の追加選出人数が増えたり、あるいは元々の抽出人数が現在の100人前後からより増えるような事態にも陥りかねません。あくまで現段階で扱われている事件は自白、単一事件、単一被告人というケースが大半。これがオウムや和歌山カレークラスの否認、複数犯、複数事件、死刑求刑というレベルになればどんなことが起きるのでしょうか・・・?ということで本日のエントリーで考えたいと思います。
 本日多くのメディアで報道があります(参考・讀賣新聞)が、仙台地裁の強姦致傷事件で男性裁判員が被告人に対して「むかつくんですよね、昨日から聞いていて」との糾問をしました。それ以前にもこの裁判員が「この裁判は面倒か」「捕まったのは運がなかったと思ったか」といった質問があり、さらに「検事の質問に当たり前の答えしか返ってこない」「反省するのが一番じゃないですか」という質問までして、冒頭の糾弾にまで行き着いたとのことです。さすがにこの裁判員の態度に対しては裁判官の制止がありましたが、裁判員制度の本質的性格がモロに出ている典型例です。
 ここまで来ると、裁判員は「公正な判断を下す裁判官役」ではなくまさに検察側の立場でモノを考える「検察員」、いや、検察にとっては「検察の主張以上のことを考えてくれるお得意様」とまでなりかねません。現実に讀賣新聞記事で始まってから46件の裁判員裁判で検察側控訴が一件もないのも、検察側にとってほとんどの裁判が満足いく結果だからこその話です。検察側に満足いく裁判が連続しているということは、逆にいえば弁護側にとって極めて厳しい結果が連続しているということです。
 つい先日の徳島新聞社説(徳島新聞に限らずメディアがほとんど同じ感覚)では、"期待されているのは、法律の専門家とは違った「市民感覚」である"という表現がされていますが、日本人的市民感覚が裁判員制度に持ち込まれると、まさに仙台地裁で行われた被告人糾弾という形になる危険性が極めて高いのは、この制度が世論として持ち上がったきっかけともなった光市事件における「司法も敵」という被害者遺族の発言にも如実に現れています。こんな「市民感覚」を裁判員制度に持ち込むのは、公正な裁判、世界的刑事司法の常識である被告人の人権保障にとってはかえって「有害無益」と言うしかありません。
 制度推進弁護士側の論理として「参加したくない市民ほど裁判員裁判に参加してほしい」というものがあります。というのも、彼らにとって裁判員制度に積極的に参加する姿勢を示す候補者の大半は、ここで述べたような検察側の論理を裁判に持ち込む可能性が極めて高いことが分かっているからです。検察側の論理を持ち込みそうにない制度に消極的な候補者こそ適任だ、というのが彼らの考え方です。しかし、市民の多くが「裁判員制度に参加することそのものが公正な裁判にとって有害だ」というムードを感じているからこそ、彼らの多くは事前辞退を申し出たり、選任手続の下で任務不適格思想を持ち込んだりするのです。その結果はどうなるかというと、ますます仙台の男性裁判員のような性格の持ち主が多く選ばれる可能性が高くなり、ひいては被告人にとってとんでもないリンチ裁判になるのです。
 それにしても、この仙台地裁のケースはさておき、徳島では遺体の証拠写真について裁判員の心理的負担を理由に採用しなかったり、神戸では弁護側の弁論が「証拠に基づかない」検察側の指摘から削除されたり、東京地裁では冒頭陳述で性犯罪被害者に配慮して一部削除して朗読するなど、証拠などの扱いをめぐっても一体公正な裁判とは何か?と考えさせられる事態が続出する裁判員裁判。制度の存在自体がおかしい、って分かっていながら、権威や権力が全員賛成した以上改められない、この国の根底的な悪弊を物語っています。

 なお、弁護側の理由なき不選任については報道が結構ありましたが、最高検の方も公表したそうです。特に注目は、その理由として「公平な裁判を否定する発言や態度があった」という項目で、この情報を我々が広めていくことも重要な方針になりそうです。

(追記)市橋達也容疑者への取調べでとんでもない事態がありました。この讀賣記事などメディアが一斉に報道していますが、検事からは「このままでは社会に出られないぞ、死刑になるぞ」、刑事からは「黙っているから親族にマスコミが取材に行ったぞ」といった取調べがあったそうです。このエントリーで指摘したことがやっぱり起きていました。まさに取調べの任意性が争点にされそうですが、今後殺人事件として立件されて裁判員裁判にかけられたとしても、メディアの報道による先入観が既に入っている市民に公正な判断など下せるのでしょうか?
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2009年11月18日(水)

民主党政権は信用できない(1)

 本日、「裁判員経験者の98%が良い経験をした」という新聞記事が一斉に掲載されました。こんな見出しを一切信用できないのは、そもそも消極派を排除して最終候補者として呼び出していること、メディアや裁判所という権威の下で行われるアンケートゆえに「やりたくない」などといういう本音を書きにくいムードがあること、そして、仮にでもアンケートで「良い経験とは思えない」回答割合が高ければ、メディアが裁判員制度推進になるべく都合の良い欺瞞的な報道をするはずです。二重にも三重にも裁判員制度翼賛のフィルタがかけられている以上、こんなデータの信憑性などないに等しいものです。

 さて、高山俊吉弁護士に対する懲戒処分問題で次期日弁連会長選挙への立候補資格がどうなるかが波紋を広げています。まさに裁判員制度反対派に対する弾圧の一環として行われたというしかありませんが、弁護士に対してはこのような攻撃が行われますが、弁護士でない裁判員反対運動員に対してはどんな弾圧が待っているかと考えると、やはり刑事弾圧の可能性が最も高いといわざるを得ません。ということで、本日は保坂展人氏のブログから。
 児童ポルノ禁止法案に限らず、著作権侵害の非親告罪化法案、著作権侵害物ダウンロード違法化法案などが議論されています。これらはまさしく「平成の治安維持法」と化す危険性が極めて高いものばかりです。というのも、著作権侵害に当たるもの、児童ポルノと定義されるもの全部を摘発対象にするなど実務上不可能ですから、捜査当局の都合で見せしめ的に摘発される危険性が極めて高くなります。そうなると、当然のことながら捜査当局、広く言えば権力にとって都合の悪い勢力がまず摘発対象になりますから、我々裁判員制度反対派は真っ先に槍玉に挙がる危険性がますます高くなるのです。まして、総選挙前に提出されていた元与党の自民党・公明党案とほぼ同じものがまたしても提出されるというのですから、余計に危険性は高いというしかありません。
 保坂氏の昨日のエントリーでは、児童ポルノ禁止法案が全会一致で通過する可能性についても示唆されています。全会一致で決めてしまったことでとんでもない事態が現実に起きているのがまさしく裁判員制度というしかありませんが、権力による恣意的弾圧にも使われかねない政策でも簡単に「全会一致」で通るケースが増えるようになれば、それこそ国会が何のためにあるのか分からない機関にさえなりかねません。
 国会審議の形骸化・・・実は、民主党政権で危険性のある事態が進行しようとしています。後日指摘しますが、これは、まさにわが国の民主主義にとって危機的状況と言うしかありません。
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2009年11月17日(火)

市橋容疑者「親も頼れぬ」の悲劇

 本日の福島民報昨日の神奈川新聞で裁判員制度絡みの社説が取り上げられました。いずれも「裁判員制度をいかに改善するか」「裁判員制度が始まったから他の関連制度も議論しよう」といった、裁判員制度の存在を絶対的前提とした上での論調です。しかし、裁判員制度の根底的思想が間違っている限りは、それを前提にいかに議論しようとも結論はすべて誤り。というのも、近代憲法における刑事裁判の基本原則である「被告人の人権保障」が思想面でもシステム面でもまるでないからです。そんな意味で本日のエントリーで考えたいと思います。
 英国人女性殺害事件に絡んで死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者が今後の裁判に関して「親に頼る考えはない。連絡してほしくない」と話していたことが弁護団から明らかにされました。なぜ親族である親にさえ「連絡してほしくない」と言うまでになったのか?それは、今後の刑事裁判において親と利害関係が対立する事態が想定されるからです。あくまで私の想定の話ではありますが、かなりの確率で考えられるのが取調べ中に「親が社会に迷惑をかけた旨の記者会見を開いた」といった追及がなされたことです。市橋容疑者本人は現段階で罪を認めていないにも関わらず、両親があたかも殺人事件まで認めたような社会的ムードを作る記者会見が開かれてしまったことで、今後の裁判を考える上で両親はかえって市橋容疑者本人の利益にとって相反する存在になってしまったともいえるのです。
 「社会に迷惑をかけた」と親族まで引っ張り出す、あるいは、親族自ら記者会見を開かざるを得ないような社会的ムードを作り出すような日本社会のリンチ性。秋葉原連続殺傷事件でも起きたことですが、社会の注目集める事件ゆえに興味本位で追っかける大手メディアの体質がモロに現れていると言うしかありません。大手メディアの体質だけでも十分すぎるほど問題ですが、これが刑事裁判の公正さを侵害する事態ともなれば事は極めて重大です。この記者会見をもって親子の自然な心情を利用した上で自白を迫るといった捜査手法が取られた場合には、当然のことながら自白の任意性が争点にされます。現実に弁護団は捜査当局に取調べの可視化を要求しています。まして、今回の事件は現段階では死体遺棄容疑ですが、当然殺人容疑での立件、裁判員裁判への流れが想定されています。裁判員裁判にかけられていない上に本人が自白している秋葉原事件よりも極めて深刻な事態です。
 市橋容疑者は弁護団に対して刑事裁判に関する件の質問をしているとの記事が讀賣新聞に掲載されています。仙台地裁で裁判員裁判にかけられた殺人事件の被告人も自らの刑事裁判に関して真剣に考えた旨の記事がありました。自らが刑事被告人になって、ましてや社会的リンチともいえる裁判員裁判など刑事裁判が社会問題化する時代だからこそ真剣に考えられるともいえるのでしょう。それに比べて法曹のプロやメディアの無神経さは目に余るものがあります。刑事裁判の原則に真っ向から反する裁判員制度の存在を絶対的前提にした議論をして、刑事裁判を改善するなどという結果などどうやっても得られるはずもありません
 このようなブログを開いている私にも、親族に裁判員制度推進・容認側の人間がいます。裁判員制度批判側で戦っている立場の人間はいつ権力に不当な弾圧をされるか分かりません。仮にでもそうなってしまった場合、「検察側の回し者」にもなりかねない親族は刑事裁判において「利益相反」の立場になり、裁判でお世話になるわけにも、情状証人として申請するわけにもいきません。私が市橋容疑者の立場になったならば「親にも頼れない」と言う心情が何となく理解できるのも、このブログで裁判員制度を批判してきたからこそです。
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2009年11月16日(月)

再び日米関係を根幹から問い直す

 まずは本日から始まった大津地裁での裁判員公判記事から。この事件では5人の被告人が4つの裁判員裁判に分離して審理されますが、裁判の中身よりも重要なことが掲載されています。それは、7人の容疑者・被告人のうち2人が既に国外逃亡していることです。この2人の身柄を日本に引き渡す動きが出るようならば、海外への裁判員制度非難呼びかけもこちらから行います。

 さて、本日の中日(東京)新聞社説で日米関係問題が取り上げられました。中日・東京新聞に限らず鳩山政権誕生以来日米問題がメディアに取り上げられる機会は極めて多くなったのも当然で、世界の主要2ヶ国の関係が全世界に及ぼす影響は計り知れないからです。
 日米関係を大手メディアが語るに当たっては、日米同盟の存在は絶対的な大前提とた上でそれを基にして論じるものがほとんどすべてです。日米同盟の存在そのものも議論の対象にせよとはほとんど言いません。それを言ってしまえばわが国の体制そのものが傾きかねないからで、上記の中日・東京新聞社説にしても「外務省は密約の存在を開示せよ」とまでは言っているものの、では密約があったからといって日米関係をどうするのか?とまでは言っていません。私が本ブログで徹底的に主張してきたのは、核持込密約の存在はそれこそ日米同盟の根幹に関わる問題であり、それを国民に知らせないでここまで来たのならば国民に知らせる義務もあるし当然のことながら同盟を結んだ原点まで立ち戻れ、すなわち、日米同盟の存在そのものも議論の対象にせよということです。
 東アジア共同体構想に関しても然りで、日米同盟の存在を前提にした共同体作りを目指せという論調をとるメディアが多くあります。しかし、政治体制の真っ向から違う中華人民共和国とアメリカ合衆国が簡単に共同路線を取れると考えるのは冷静な視点で捉えれば無理があるとしたもの。いや、中国とアメリカが手を結ぶことが実現でもしようものならば逆に日本が取り残される危険性さえあるだけに、アメリカが加わる東アジア共同体構想というのは、わが国にとっても歓迎しないシナリオではないでしょうか。本気で東アジア共同体を作るつもりであればアメリカとは手を切るべきだというのも、私は主張してきたことです。
 歴史を語る上で「ベルリンの壁崩壊」は資本主義が共産主義を打ち倒したという世界的評価が定着しそうですが、その資本主義が今どうなっているのか?西側イデオロギーが東側に入ったことで東側諸国の世界的地位を押し上げたという見方がある一方で、今度は西側にも東側にも入らない国との格差が問題になっています。資本主義下の支配者資本が自らの地位を守るべく途上国への侵略姿勢につながり、それがイラク、アフガンなど発展途上国国民の人権侵害をもたらすことでその国の混迷につながっていると言うべきではないでしょうか?資本家の強欲がもたらした世界規模の混迷、となれば、資本主義にブレーキをかける勢力の台頭が必要でもあるのです。その意味で、日本がアメリカの強欲姿勢から手を引く決断を下すのは確かに大変だとは思いますが、これ以上アメリカの暴走を抑えるためにも必要だと考えるのです。
 日米同盟を根底から問い直すという意味においても、裁判員制度はいらない!大運動による裁判員制度つぶしは重要な意味を持っています。何度も本ブログで申し上げたように、裁判員制度は国家権力・メディアなどの権威が総与党化して絶対推進で押し付けた政策です。これが民衆の手で潰されることになればそれこそ国家全体が騒乱状況になります。「裁判員制度もアメリカの年次改革要望で押し付けられた」という世論も出るでしょう。そして何より、日米同盟を絶対的な存在とした下で論じる大手メディアの大前提を崩すために、「裁判員制度の存在は絶対的大前提」との報道姿勢を徹底する大手メディアの鼻をへし折る意味でも、我々の運動が持つものは大きいのです。
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2009年11月15日(日)

個人情報管理の怖さ

 本日の讀賣新聞社説では光市事件実名本出版差し止め訴訟問題が取り上げられました。11月11日毎日新聞社説とはまるで対照的ともいえますが、この手の社説は基本的に私はマユツバもので見ているというのは本ブログで何度も示したとおりです。

 さて、お世話になっているヤメ蚊先生のブログから、恒例の橋本勝さんのマンガです。生まれた時点から「兵士」候補者を作ってしまうような、個人情報が管理される怖い社会になりかねない怖さが描かれております。アメリカの場合では家族年収などの情報が兵士スカウトに使われるケースが実際にあるそうですが、日本でも以前に地方で自衛隊員スカウトが行われたというケースもありました。
 日本の場合は、さらに住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)という強力な個人情報管理システムが加わるのでより危険性が大きいともいえます。社会保障カードの導入論議もいわれておりますが、住基ネットと結ぶつくのは確実ですから、どのように個人情報が管理されるか怖い面があります。社会保障カードに書き込まれる情報次第では、情報管理の上で「兵士候補者」がピックアップされているかもしれないのです。
 裁判員制度も番号による国民管理と結びついたら恐ろしいものがあります。これは、高山俊吉弁護士著「裁判員制度はいらない」にも、西野喜一教授著「裁判員制度の正体」でも触れられており、公正な裁判を行う大義名分の下、思想面など極めて繊細な情報まで権力が入手することができるシステムになっています。いや、むしろ思想統制を行うために裁判員制度が導入されたのでは?という疑念を持つ人さえいるのです。
 橋本さんのマンガコメントで「国民ひとりひとりをその番号のもとに情報を管理して安心社会にいたします。近い将来国が戦争する時にはその番号を兵士の認識番号にいたします」とあります。こんなブログを開いている私などはまさしく「非国民」扱いでしょう。仮に戦争をする時代にでもなれば、真っ先に弾圧の対象になりかねない、そういう恐ろしさがこのマンガにも描かれているのです。
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2009年11月14日(土)

ますます後向きになる市民の姿勢

 関西版の讀賣新聞記事からみつけましたが、こんな団体に会費を支払うのは積極的に参加したい少数派でしょう。裁判員になるリスク軽減のためにこの団体に会費を払うくらいならば、私の活動裁判員制度はいらない!大運動にカンパすることにより、裁判員制度を潰し切ってしまえば「腐れ縁」とは完全に縁を断ち切れます。

 さて、最近の裁判員裁判記者会見では、大阪では参加した全員が後向きな発言、広島立川では「被告人が怖くて質問できなかった」、大津ではついに正規裁判員全員が会見に応じない事態も起きました。また、東京では正規・補充とも選ばれた全員が女性となったために会見で「女性は情に流されやすい」という感想も出ました。この件は広島・立川の「怖くて質問できなかった」と併せて裁判の公正さにも関わる重大な問題もはらんでいます。
 裁判員裁判開始直後の初期段階ではメディアも記者クラブ主催の記者会見では裁判員経験者の前向きな姿勢を引き出そうとの努力をしていたのでしょう。推進側も経験者の前向きな姿勢を悪用することで裁判員裁判が「当たり前」になり、制度そのものが批判さえされない状況を作り出す目的を持っていたと考えられます。しかし、裁判員裁判も回を重ねるごとに市民が本音を徐々に言いやすい環境が整い出すと、案の定ボロが出てきたというのが紹介した記事に現れています。しかも、これらの事件は単一事件、単一被告人、自白事件で裁判員対象事件の中では比較的軽いものです。裁判員裁判の中で比較的軽いものでさえ市民の負担は大変なものです。これが複数犯、複数事件、否認事件、あるいは死刑求刑事件ともなれば、この種の事件に対する免疫のない市民が巻き込まれて、正常な精神状態でいられると考えるのが不自然きわまりないというしかありません。
 記者会見で裁判員経験者が虚偽の宣伝をさせられていることについても、裁判員制度はいらない!大運動が弁護士を中心に、そして私も徹底的に暴露しています。ここで、「虚偽の宣伝」についてはフィルタが二重にかけられているところが極めて悪質です。まず横浜地裁で「本音はやりたくない」裁判員経験者が記者会見で前向きな感想を述べてしまったのですが、まさに後向きな感想を述べさせないムードが存在するということです。続いて、浜松支部の裁判で経験者の大半が後向きな感想を述べたのですが、編集の段階で歪曲されて報道されるという事態も起きたのです。
 こんなことになるのも、裁判員制度というものが、実態が明らかになるにつれて市民がますます後向きになることが自然なシステムだからです。ますます市民の姿勢が後向きになるから、「裁判員制度絶対翼賛」のメディアはますます無理な報道をする、そうすると、メディアはますます市民に見放されるという悪循環に陥るのです。メディアにとっての大罪は、裁判員制度が議論される時期の段階から、オウムや和歌山カレー事件クラスのとんでもない重罪事件があることを分かっていながら、これほどのクラスの事件を裁判員制度で扱うことには完全に目をつぶり、一切批判的なことを言わなかったことです。

◎JAL・JR西日本不買運動(詳細はこちら)賛同者は以下のバナーを貼り付けてください(<>は半角に直してください)
<img src="http://www.interq.or.jp/enka/svkoya/blog/enka/xn--fcrpb68l47o056c/images/antijaljrw.gif">
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2009年11月13日(金)

ヤクザに甘い裁判員制度?

 まずは、讀賣新聞記事。現在までの裁判員裁判で検察側控訴は1件もないとのことです。被告(弁護)人控訴も相当抑えられている印象は(46件中9件、約19%)ありますが、それ以上に検察側が控訴に慎重になっているという現状ではないでしょうか?確かに讀賣記事では検察としては不服の判決もあったようですが、判決不服の感情よりも裁判員制度定着という目的が優先という姿勢はまたそれで恐ろしいものがあります。
 裁判員制度の存在は「絶対的なもの」として検察、弁護側控訴がともにできなくなるムード、すなわち、控訴審に持ち込んでも一審判決のままになる可能性が極めて高い、となれば一審はまさに絶対的な重みを持つことになります。そして、本日の毎日新聞北海道版に問題提起されていますが、「裁判員裁判では、情状弁護が奏功しづらくなっている」その結果「従来より量刑が重くなっている」という傾向が出てきています。その場合、被告人として「情状に訴えようとも自らの利益にとってまるで見込みがまるでない」ときにどんな弁護方針をとるかとなれば、「裁判員を何とかゴマカす」「裁判員に圧力をかける」ことで刑を軽くしてもらおうという姿勢が考えられるのです(もっとも、ゴマかすや圧力をかけるにしても、偽証や威迫といった犯罪行為をすればかえって心証を悪くするに決まっていますから、合法的な範囲にとどまるのは言うまでもありません)。
 先日行われた東京地裁立川支部での放火事件裁判員裁判では、裁判員が「怖くて質問できなかった。裁判員対象から外した方がいいのでは」と恐怖を語りました(共同通信)。被告人が検察官に対してさえ暴言を吐くようなこの種の事件の場合、裁判員の判断として「できる限り長く社会に放つべきではない」として重罰化に向かうか、「ヘタな判断をした場合、被告人やその関係者から自分の身に何をされるか分からない」という脅しに屈して減軽してしまうかのどちらかが考えられます。プロとしてその道を選び相応の覚悟もある裁判官に比べて、裁判に向かう覚悟などなくて当たり前の裁判員はより社会的圧力に弱いのは当然で、その結果判決に大きなブレが生じるのも裁判員裁判ならば「想定内」と法曹界のプロも決め付けています。
 しかし、そう考えると、「裁判員に減軽の脅しがきく」組織を持つ被告人の方がより有利になりかねない不公正さが生じるともいえます。冒頭掲げた讀賣記事・求刑の半分の判決が出たケースは被告人が暴力団関係者でしたし、比較的罪状に比べて軽いと思われる判決が出たケースでは暴力団関係者が被告人になっているケースが多くあります。一方で立川の放火事件では単独犯の通常の被告人だったことで求刑通りの判決でした。これは、裁判員制度が持つ構造的な問題ですので改善のしようがありません。結果的に「ヤクザにより甘く、一般被告人により厳しい」判決が出そうな裁判員裁判が果たして市民全体が支持できるのでしょうか?

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2009年11月12日(木)

海外との人権衝突に向けて(2)

 昨日市橋達也容疑者が逮捕された英国人女性死体遺棄(殺人での立件も視野)事件などに絡み、ヤメ蚊先生がこんな記事を立ち上げています。このブログ情報が本当かどうかは私も知りませんが、昨日の私のエントリーも含めて、要は日本の大手メディアに「言論・報道の自由」を語る資格なしということです。近代憲法で保障される「言論の自由」は、権力を持つ強者の暴力に対抗すべく弱者の立場から最大限使える武器として生まれたものです。それゆえ、権力側強者が「言論の自由」を弱者と同じ、いや、それ以上のレベルで濫用すれば弱者は強者に対抗する手段を完全に失うしかありません。裁判員制度の推進手法は「言論の自由」が権力者によって異常な手法で濫用されたとしか言いようがありません。
 本日、最高裁から35万人への「来年の候補者通知」が発送された裁判員制度。「送付阻止」という観点から書き込んでくださった方もおりますが、国内には2割の推進側市民がいて、彼らと権力が結びついた上で「市民が支えている制度」と宣伝する民主主義の根幹をも揺るがす異常事態がまかり通るのだから、一市民レベルではどうすることもできません。しかも、国内権力、メディア、日弁連現執行部、大財界が総与党化、とりわけ最高裁までが「言論の自由」をも濫用した(出頭率の大本営発表に代表される不公正な宣伝手法)としか言えません。これに関する人権侵害に対する国内レベルでの救済は全くできない以上、海外との人権衝突に持ち込むしか公正な評価が下せないのです。そうなると、以前にも私が述べたとおり、被告人がどのように「裁判員制度は憲法違反」と主張するかが非常に重要な問題となるのです。
 日本人の人権意識は世界的見地から非常識だ、といわれる典型例が裁判員制度の根底的思想といえますが、それも、諸外国、特に人権先進国といわれる欧米の感覚について、なかなか受け入れられてこなかった歴史的背景があると考えられます。海を隔てた地理的条件ゆえに、わが国は外国の人間をなかなか受け入れにくい思想の下で社会が成り立ってきました。排外主義的思想(特に、国民的総意という意味で格下と見ている国に対して)はどこの国でもあるにしても、世界的観点からして日本人ほど人権意識が低いと感じたケースがありました。瀋陽の日本総領事館に脱北者駆け込んだ事件で、日本領土ともいえる場所に中国の武装警察が侵入したにも関わらず十分な対応をしなかったことが世界的な意味で「非常識すぎる」と非難を浴びました。それと同時に、この事件における日本人の外国人亡命者に対する冷情さが批判の対象になりました。日本は外国からの亡命者受け入れに極めて厳しい国です。他の国ならば亡命対象になるケースでもなかなか日本では認められず、迫害を受けかねない出国元に送還することが世界的非難を浴びることもあります。そういった排外性の強い思想的背景が瀋陽事件の根底にあった可能性も考えられるのです。
 もっとも、排外主義的思想でも「入るな、出ていけ」との思想をもって目的達成して終わるのならばまだマシです。ある種の組織が(表現的には少し適切でないかもしれませんが)「不逞●●人は日本から出ていけ〜」と叫んで、●●人が出ていったならば、彼らにとってはそれで目的達成となります。しかし、問題は裁判員制度に絡んでこのような排外主義を持ち込んだ場合、困るのは我々日本人です。すなわち、本来日本で裁判員裁判にかけられるべき●●人容疑者が外国に出国した上で「裁判員裁判は憲法違反、しかも日本の最高裁が不正な手段で推進しているから公正な評価を期待できない以上、日本で裁判を受けるわけには行かない」と主張すれば、我々は●●国に対して●●人容疑者を日本に身柄を引き渡させることができなくなるのです。これは、日本人容疑者が外国に出国した場合も同様で、英国人女性事件での市橋容疑者も出国を考えていたとのことですが、市橋容疑者に限らず、外国との身柄引き渡し問題で裁判員制度が深刻な問題になりかねない事態も想定されるのです。

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2009年11月11日(水)

高山弁護士懲戒を絶対許さない

 毎日新聞の記事ですが、こんな事態が起きていたことが明らかになりました。同じ件が後追いで讀賣新聞でも小さな記事として掲載されています。高山俊吉弁護士に戒告の懲戒処分が下され、これが確定すると次期日弁連会長選挙出馬資格を失うとのことです。この問題は我々の運動にとって極めて重大な問題なので読者の皆様にも私としての意見を述べたいと思います。
 まず、弁護士も人の子ですし、まして高度な知識が必要とされる職種である以上(望ましくないことではありますが)ミスはつき物ですし、また、客観的に見て不利な事案では依頼者の希望に沿えない結果に終わることも多々あります。仮に弁護士への懲戒請求が全体的な意味で公正に行われているという条件の下で今回のレベルの事案で懲戒処分が下されるのならば、弁護士はほぼ全員懲戒対象です。まして過去の日弁連会長(整理回収機構関連での鬼追・中坊元会長のケースなど)がどんなことをやってきたか?と考えるとなおさら怒りがこみ上げます。
 今回のケース、懲戒請求人との間で和解が成立している上に請求人も懲戒請求を取り下げ、かつ懲戒委員会に「処分が下されないよう」との上申書が提出されています。こういった条件が満たされていたとしても、職務行為自体が犯罪になるようなケースや依頼者に故意に虚偽報告をするなど弁護士全体の信頼を傷つけるケースならば懲戒されるケースもあります。しかし、今回のケースでは前記のような重大な事案でないだけでなく、依頼者から「懲戒処分を求めない上申書」まで提出されているにも関わらずの処分というのが深刻な問題です。
 この戒告懲戒処分が持つ意味が何か?最も軽い戒告であろうとも、処分が確定するとそれから3年間日弁連会長選挙への立候補資格が剥奪されることにあります。そして、立候補期日を直前に控えたこの時期、しかも、高山弁護士が所属する東京弁護士会によるわずか一ヶ月余りでのスピード議決。これが何を意味するかといえば、どう考えても高山俊吉弁護士を絶対に日弁連会長選挙に立候補させないという司法改革推進側の極めて悪意のある姿勢です。前回の会長選挙では過去5回の立候補時で最高の43%の得票を獲得したことから、次回日弁連会長選挙に立候補すれば当選する可能性が高いと感じ取った司法改革推進派による暴挙というべき異常事態です。総与党化推進の権力側による「裁判員制度中心の司法改革は絶対に守り抜く」という挑戦的態度というしかありません。
 我々裁判員制度反対派市民、そして、裁判員制度反対派弁護士はこの暴挙を絶対に許さぬべく、断固闘い抜くことを誓います!!

 市橋達也容疑者がついに逮捕されました。この件に関しては本ブログではあまり詳しくは述べませんが、秋葉原事件同様両親の記者会見まで行われるのはまさしく「社会的リンチ」と言うべきではないでしょうか?市民参加司法制度を持つ諸外国の基本的な「罪を憎んで人を憎まず」の思想とは正反対の日本的思想「坊主憎ければケサまで憎い」の文化で裁判員制度を定着させようという発想は極めて危険と言うしかありません。こういった報道をするメディアに毎日新聞の牧太郎氏コラム光市事件実名本擁護社説ではないですが、報道の自由など喧伝する資格はありません。そもそもメディアは裁判員制度そのものに関しては「ウソをついても宣伝する」というのだからとんでもないものです。

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2009年11月10日(火)

被告人から見た根底的欠陥

 本日は河北新報記事、先日懲役17年判決を受けた殺人事件被告人への取材から見えた裁判員制度の問題点です。この被告人は「懲役17年」の判決自体には納得していながら、裁判員制度そのものへの強い疑問を呈しています。
 まず、裁判員裁判になれば「市民感情が入れば、刑は重くなるに決まっている」という疑問点。これがまさに検察側市民の論理で導入された裁判員制度の真の狙いだということです。重罰化を目的に市民参加を呼びかけるというのは根底的な意味で「被告人の人権を守る」刑事裁判の目的と真っ向から反する思想です。しかも、検察側論理で重罰化を達成する目的だけならば単純に刑法改正で重罰化すれば良いと考えるのが自然ですが、わざわざ市民徴用を強制的に実施するのは、刑法改正による重罰化が出来ないケースがあるからです。市民徴用システムでなければ不可能な重罰化とは何か?まさしく究極の重罰化である「無期懲役判決を死刑にする」ことです。この思想はまさしく山口・光市事件の経緯が本質をついているといえます。
 この被告人は控訴について"審理が切り離された窃盗罪の判決を待って総合的に考えるため、形式的に控訴する意向"を示したそうです。ここにも裁判員制度が抱える重大な欠陥があります。同じ河北新報でこんな記事もありました。すなわち、窃盗罪の判決を出すにおいて、裁判員裁判で裁かれた殺人罪懲役17年を踏まえて、併合の利益も考慮した上で判決を出さざるを得ないことになるだろうという見通しです。被告人にとってみれば殺人罪の判決に不満はなくとも、殺人罪の判決を踏まえた上で出された窃盗罪の量刑が不満ならば殺人罪についても控訴しなければ自らの利益を守ることができません。現時点では窃盗罪の量刑が決まっていないため、控訴期限も考えるとどうしても裁判員裁判で判決が出た殺人罪については控訴せざるを得ないとなるのです。裁判員裁判では検察は無論、被告人に対してもなるべく控訴を避けさせる動きがありますが、このような分離公判がなされたケースではどうしても別の裁判の結果によって判決に不服というケースは出るでしょう。同一被告人の複数事件が分離された場合のみならず、大津地裁の強盗致傷事件のように複数被告人が別々の裁判にかけられた場合も該当します。
 そしてもう一つ、取り調べの可視化についても反対する意見を出していることにも注目です。見られているという思いから腹を割って話せないという思いを持つ被告人もいるのです。とりわけ、日本では恥の文化が根強く残る関係上、公で見られていないところならば話せるという考え方をする人も多くいると思われるからです。刑事裁判の原則である「冤罪を絶対に出さない」観点から、確かに冤罪を争う事件では自白の任意性が問題になるため可視化すべきという世論は強いですが、刑事事件の大半が自白事件であることから、このように「可視化しないでほしい」という被告人の意向も配慮すべき問題として残るでしょう。この件については裁判員裁判であるかどうかに関わらず「被告人の選択権」とするのがベストではないでしょうか?
 いずれにせよ、これだけの記事であるにも関わらず、この被告人が刑事裁判について真剣に考えている様子がひしひしと伺えます。これほどの考え方をもって法曹関係者が真剣に議論していれば、裁判員制度が国会で簡単に全会一致で通過するなどということはなかったはずです。

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2009年11月9日(月)

海外との人権衝突に向けて(1)

本来は「赤紙」の発送をやめさせろといいたいところですが、2割の推進派市民がいる現状で「外形的」な意味だけでは制度は機能してしまうのが非常に辛いところです。「2割の推進派市民」の存在そのものを否定しては、それこそ少数意見をも認めないことになって民主主義の原理そのものを否定することにもつながりかねません。それでは、どんな形で裁判員制度を潰すのか?となれば、2割の推進派市民だけで支えられる裁判員制度が果たして公正なものか?という観点、すなわち、刑事司法は被告人の権利であるという原点に立ち返ることです。被告人が「裁判員制度は憲法違反だから絶対に受け入れられない」と強硬に主張できる環境を作ることが重要です。
 とはいえ、裁判員制度については、最高裁が違法行為をしてまで推進広報したり、民主主義の原理に真っ向から反する「経験者市民による推進プロパガンダのための記者会見」を強行したり、裁判員裁判を受けた被告人がこんな裁判がいかに不満であろうとも「市民の判断に逆らう気か」という控訴をさせないムードを作り上げたりしています。すなわち、絶対的に「お上」がガチガチにして「批判することさえも許さない」、基本的な意味で「裁判員制度を批判する日本国民は一人たりとも出すことが許されない」という姿勢を貫いているのです。なぜ一人たりとも批判が許されないのか?それは、裁判員制度をめぐって海外との人権衝突が起きた場合に国全体の統治機構が崩壊する事態にもつながりかねないからです。
 岐阜県でこんな事態がありました。チェコ人男性と日本人女性との国際結婚が破綻してチェコ人男性が母国に子供を持ち帰った件ですが、日本がハーグ条約に加盟していない関係で日本人女性側から返還を求める手がないことが問題になっています。日本の場合、四方を海に囲まれている関係で異文化の流入を水際で止めるという考え方があります。それゆえ、そもそも国際結婚自体が例外という考え方も根強く、まして日本から子供が連れ去られるケースは通常的観点からは「想定外」という意識もあるのでしょう。世界の常識的人権意識に反する考え方であっても自国の意識を尊重してきたのが日本だったのです。
 度々申し上げているように、日本国内では最高裁が違法手段を行使してまで推進している関係で、裁判員制度の憲法違反問題を公正な形で解決することはできません。推進側勢力にとって最も困るのは「裁判員制度は憲法違反」と被告人に主張されることですから、「裁判員制度は憲法違反」と言わせないムードを作るべくなるべく控訴させないような姿勢を見せています。普通の被告人は「国家に逆らうと後々の人生にも影響する」とヒルむケースも多々あるでしょう。しかし、「絶対に裁判員制度は受け入れられない」と強硬に主張するだけの人権意識のある被告人が海外との人権衝突に持ち込めれば、それこそ裁判員制度の途方もない矛盾が噴出することにつながるのです(続く)。

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2009年11月8日(日)

改めて朝鮮共和国問題を考える

 本日は中日新聞でこんな社説が掲載されました。本日放映のNHKスペシャルとあわせて、対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)問題を改めて考えたいと思います。
 NHKスペシャルでは小泉純一郎政権時2002年、2004年の日朝首脳会談の内容が明らかにされました。日本側からメンバーに名を連ねた首脳が当時の朝鮮共和国、そして金正日総書記政権の実情について感じ取ったことも明らかになりました。朝鮮共和国にとっては、確かに国力だけを考えればアメリカの脅威は大変なもので、とりわけ当時はブッシュ政権がイラク戦争を仕掛けた上でバグダッドを陥落させたこともあり、朝鮮共和国も同じようになるのではという不安が起きるのも当然といえました。当然、自国の抑圧体制に対する世界的非難というのも政権内では感じていたでしょう。だからこそ朝鮮共和国としても対話の場を望んでいたともいえます。
 しかし、一方で朝鮮共和国の巧妙さは、相手国の出方を相当深いところまで読んだ上で最大限有利な条件を勝ち取る外交術にあります。対話の場に出ることで自ら譲歩せざるを得ない状況が出来るのは不本意でも、その譲歩を最小限に抑えるテクニックがあるのです。ベルリンの壁崩壊後は「板門店(パンムンジョム)」が冷戦構造の象徴といえる最後の場所になったともいわれますが、中華人民共和国やロシアといった後ろ盾としての伝統的友好国かつ大国の存在が朝鮮共和国にとっては大変有利な条件になっています。中国にとっても、アメリカ寄りの大韓民国イデオロギーが直接中国に入らないための緩衝地帯として朝鮮共和国が必要な事情もあります。ですから、アメリカは朝鮮共和国にはヘタに戦争を仕掛けるなどできない(=戦争を仕掛けるものなら中国やロシアを直接敵に回す)ということを朝鮮共和国は読みきっているといえるのです。
 NHKスペシャルでは2004年の日朝首脳会談から2009年の日米政権交代までの道筋はまるで放映されませんでした。ところが、この時期こそが対朝鮮共和国の外交を考える上で非常に重要な問題が存在します。すなわち、自国の政権が不安定だと相手国に付け込まれるという教訓で、現実に、朝鮮共和国に足元を見られて中途半端な核凍結の見返りにエネルギー・食糧援助を強いられたのがブッシュ政権末期のアメリカでした。そして、日本も2006年以降1年おきに総理大臣がたらい回しにされる異常事態が起き、対朝鮮共和国交渉は暗礁に乗り上げてしまいました。
 中日新聞社説では「いま、焦っているのは北朝鮮」と述べています。ですから、「核放棄への具体的道筋を示すまでは援助をしない」と周辺国が厳しい態度で臨むべきだという意見は当然で、朝鮮共和国内自体が国際的援助を必要とするほどの異常事態では核開発などする余裕などあるはずもありません。「現体制を維持強化するような支援はもってのほか」というのは日本ならずとも世界の世論として自然でしょう。しかし、周辺国が「核放棄への具体的道筋を示すまでは援助をしない」と強気に出るための条件が満たされるには、なんといっても自国の政権安定が第一です。
 本来ならば、発足直後ほどではないといっても支持率の高い鳩山政権ならば、自国の混乱で困っている朝鮮共和国から交渉に乗り出しても不思議ではない情勢といえるでしょう。ところが、簡単にそうはならない現状については、朝鮮共和国側から「鳩山政権もすぐに崩壊する」と見られている可能性があります。裁判員制度問題も実はその一端を担うかもしれません。というのも、裁判員制度が崩壊することになれば、国会、司法権力、法務行政、メディア、日弁連執行部、大財界みんな賛成した国家統治の根幹に関わる政策がひっくり返るからです。日本も自民党の自滅により鳩山由紀夫民主党政権ができましたが、外交、安全保障面などで政権内の意向不一致問題、さらに総理大臣自身の献金問題もあります。結局国内で足の引っ張り合いをした挙句、与野党みんながダメだという結論になった上で、日本国民全体が予想もしなかった政権が誕生するような事態も空疎なシナリオではありません。むしろ、異常な国家的論理をひっくり返す方がわが国、そして対朝鮮共和国の外交にとってはプラスになるとさえもいえるのです。

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2009年11月7日(土)

JAL・JR西日本不買運動を展開します

 皆様のご存知の通り、JALやJR西日本が国民を無視した傲慢経営を行っております。我々はこの件に怒りの声を挙げるべく、「なるべく」の不買運動を展開することといたします。ここで「なるべく」と断りをいれるのは、公共交通機関である以上、利用しないわけには行かないという環境があるからです。現実に、私も夏の平和活動のルートでJALやJR西日本を利用せざるを得ないところがありました。不買運動に関してはページを別に設けます



・「企業そのものが天下り」JAL・JR西日本の体質が生んだ傲慢経営
 皆様もご存知の通り、経営不振のJAL(日本航空)公的支援が民主党政権を揺るがしかねない大問題になっています。一方、JR西日本は尼崎大量死傷事故をめぐって当時の経営陣が当時の事故調査委員会の委員に接触する不祥事がありました。これらの問題はJALやJRグループがもともと国が母体となっていた、すなわち、企業の存在自体が「天下り」であることに大きな要因があります。それゆえ国との癒着関係が生まれやすい構図、まさしく「親方日の丸」ピンチになれば国が助けてくれるという体質こそが最大の問題です。JALは公的支援の要請を何度も行い、JR西日本はあれほどの重大事故を起こした企業であるという自覚なしに国に介入要請をしてしまいました。とりわけ、公共交通機関である両社が真っ先に誰のほうを向いて経営を行っているのでしょうか?
 一方でJALの場合、年金減額などの特別立法を条件に公的支援を認めようとする動きもありますが、この立法姿勢はいわば実質的な破綻処理でありながら、法的評価としての破綻を免れようとする偽装でしかありません。また、JR西日本については大半の歴代社長に対して国家権力である検察も起訴を見送る姿勢を示し、そんな姿勢に不信感を持った事故被害者が検察審査会に再捜査を申し立て、市民が「起訴相当」の議決をしました。企業も企業ならば、この種の特殊企業ならば擁護しようとする国家権力も国家権力と言うしかありません。

・「なるべく」JAL・JR西日本を使わないようにしよう!!
 国による企業支援への市民の反発が企業を破綻に追い込んだケースも現実にありました。大手百貨店「そごう」は私企業に国民の税金を投入する気か?との市民の反発により結果的に民事再生法申請に追い込まれました(もっとも、そごうのケースは国が積極的に関与する意図はなかったといわれていますが、結果的に私企業に国民の税金を投入する構図ができてしまったことが背景にありました。その理由はここを参照)。そごうと同様、市民が直接的に購買する機会の多い企業だけに、市民による「国と悪い意味で癒着するJALやJR西日本は使わない」という毅然とした姿勢が重要になります。
 ただし、比較的「利用を控える」ことが容易なそごうと違い、JALやJR西日本は「利用しないわけに行かない」ケースも意外に多くあると考えられます。JAL系しか運航していない路線があったり、北陸・中国地区ではJR西日本しか鉄道会社がないという地域事情もあるでしょう。実際、私も、この夏に各地での平和活動に向かう際、JALやJR西日本を使わざるを得なかったルートもありました。ですから、あくまで「絶対的に利用しないように」ではなく、「できる限り利用しない」呼びかけといたします。関西圏ならば平行私鉄をなるべく使う、他の航空会社が使えるルートならばなるべくANA他の航空会社を使うなどです。

・裁判員制度反対運動にも無縁ではない
 JAL・JR西日本不買運動は我々の裁判員制度反対運動にも無縁ではありません。それは、裁判員制度も「親方日の丸」政策だからです。親方日の丸だから国が助けてくれる、一方でもともと国が興したものだから徹底的に擁護するという相互癒着姿勢について、市民が許さないという毅然とした態度を突きつけることに意義があるのです。とりわけ裁判員制度は国家三権(立法府は全会一致、検察、裁判所も推進)、メディア、弁護士、大財界といった国内権威が総与党化した上で法律自体が動き出し、かつ現実に裁判員裁判が行われてしまったにも関わらず、市民やや日弁連反執行部派は疑念をいまだに強く持っており、廃止せよの声はとどまるところを知りません。
 そんな中でJAL・JR西日本といった「親方日の丸不祥事体質」企業への不買運動で企業へのダメージを与える効力を発揮すれば、私企業に限らずこの国全体に蔓延する「親方日の丸」 体質一掃に大いに役立つと考えられ、ひいては裁判員制度の一掃にもつながることは間違いありません。

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2009年11月6日(金)

ベルリンの壁崩壊から20年

 ベルリンの壁崩壊の(通説)1989年11月9日からまもなく20年になろうとしています。本日は日経と愛媛新聞で社説が展開され、日経はベルリンの壁崩壊以降の流れを歓迎し、一方で愛媛は批判的な論調でした。いわゆる「西側」イデオロギーが「東側」を解放したとの評価が多いですが、一方でアメリカ、英国のような新自由主義政策による国内不安定化、あるいは開発途上国に対する「解放」と称した戦争政策にもつながった評価も忘れてはなりません。
 ベルリンの壁崩壊以降、西側イデオロギー体制に旧東側諸国が取り込まれて行くと同時に、人権先進国といわれる西側諸国の「暴走」も進んでいきます。サダム・フセイン体制からの人民解放と称したイラク戦争でフセイン体制を打倒することはできても、その後のイラクはますます混迷の色を深めているともいわれます。外部から見る分には「危険に見える体制」であっても、その国にとっては現実的な意味で「まだマシ」なケースもあるのです。アメリカに関していえば、日本への占領政策の成功経験からその後もベトナム、イラク、アフガニスタンでも同じ政策をしてきたといわれています。しかし、ベトナムもイラクもまるで成功したとは言えず、アフガンも同じような危惧が叫ばれています。先進国といわれる「西側」諸国の人権感覚やイデオロギーを持ち込むことが世界各国で通用するとは限らないのです。
 そんな意味で、日本における裁判員制度がどんな役割を果たすかも考えます。裁判員制度の宣伝において推進側が盛んに「民主主義の政策」、「司法への市民参加は世界の常識」と口走っていますが、それとは対照的に最も重要でかつ世界の人権常識である「刑事裁判における被告人の人権保障」という点からは真っ向から反するものです。一方で、新自由主義政策の推進が貧困層(日本では15.7%という数値が出され、それが社会の不安定度の高さにつながっているという評価も最近多くありました)を多く生み出し、まともに食えなくなった挙句凶悪犯罪を起こして生き延びようとするケースが多くなっています。この際、日本では社会のストレスがより弱いものに向けられる傾向があり、秋葉原事件も新自由主義的政策の犠牲者が「より弱いもの」にストレスを向けた結果起きたという評価が非常に多くなっています。さらには日本人の「上にへつらい、下に厳しい」性格的傾向も重要な役割を果たします。すなわち、日本の裁判員制度は、社会全体の怒りを新自由主義的政策の悪さに正しく向けさせるのではなく、凶悪犯罪を起こした個人に向けさせた上で、権力にとっての自己防衛を目的としたもので、まさに世界の人権常識からかけ離れたものと言うしかありません。
 そして、裁判員制度が国家権力・メディア・弁護士といった国内権威が総与党化で推し進める国家統治の根幹に関わる政策であることも重要です。となると、裁判員制度を潰し切れば、それこそ国家の権威、体制全体をひっくり返すことにも成功するのです。これは、「裁判員制度はアメリカが押し付けた政策」との批判も存在することから、西側イデオロギーの否定にもつながるでしょう。仮に我々の体制がひっくり返れば当然のことながら朝鮮半島に波及するのは確実です。まして、世界的な影響の大きい日本という国で政変が起きるとなれば、世界全体の秩序がひっくり返ることも考えられるのです。思えば、朝鮮戦争も西側イデオロギーと東側イデオロギーとの衝突によって起きました。我々日本は西側イデオロギーの最前線として特に経済的な意味で戦争に加担し、いわば朝鮮半島を犠牲にする形で戦後復興を遂げたともいえるのです。こんな事態を招いた「元凶」はアメリカと言っても過言ではありません。その意味でもベルリンの壁崩壊から20年、今度は日本から我々が板門店(パンムンジョム)の「壁」を崩壊させましょう!!

(残念なお知らせをしなければなりません。11月12日のオバマ大統領来日抗議集会、仕事の都合でいけなくなりました。読者の皆様には申し訳ございません)
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2009年11月5日(木)

被告人が受け入れねば破綻する

 札幌地裁では2つの裁判員裁判で追加呼出かと思えば、山形地裁初の裁判員裁判でも追加呼出になってしまいました。冬季の北日本における交通事情を十分考えずに初期段階での人数を決めた地裁の責任は極めて重大でしょうが、このような追加呼出は裁判員裁判が行われる限りは次々に出てくるでしょうし、ますます数が多くなることも十分想定されます。

 さて、権力・権威総与党化で何が何でも絶対的に翼賛推進される裁判員制度。強権的なやり方で押し付けるような姿勢により市民の反発が強くなるのは当然といえば当然ですが、百歩譲って仮に市民が「仕方なく」受け入れたところで裁判員制度が社会に定着するとは限りません。それは、被告人が絶対に受け入れないという態度を取ればたちどころに破綻するからです。
 現段階で推進側が行っているのは市民へのさらなる広報は当然といえば当然ですが、同時に被告人への裁判員裁判受け入れ強制です。被告人サイドからの「裁判員裁判そのものが不満」という声が何度も聞かれるのですが、結果的に控訴断念に追い込まれた例も多くあります。それもそのはず、被告人の控訴率が従前より高くなれば、「どうせ控訴されるならば我々がいる意味あるのか?」という裁判員裁判そのものへのへの不信が「裁く側の」市民レベルから噴出することが容易に予想できるからです。そんな意味で被告人にどんな圧力、あるいは懐柔策をもってしても「控訴だけは断念させる」姿勢を強めるのは制度推進側の姿勢としては当然そうなるでしょう。こんな役割を本来被告人の人権を守るべき弁護人から行われているケースも聞きます。
 日本人は「権力に逆らうことを良しとしない」人種ですから、被告人としても「国民の判断をないがしろにする気か?」と圧力をかけられればひるんでしまうケースも多々あるかと思います。中には無期懲役判決が確定した例もありましたし、そのような圧力に反してでも「控訴」を決断できるかとなれば、出所後の再出発を考えた場合に「圧力に屈する」ケースが多くなるのは自然としたものです。しかし、中には自らの利益のためには何でもやるような「圧力」に決して屈しない日本人もいます。このような姿勢を貫ける性格の被告人こそ、裁判員制度を決定的に破綻させるために重要な存在にもなりうるのです。
 ちなみに「押尾事件」、いまだに裁判員裁判にかけられる可能性が残っているといわれています。押尾さんに限らず、重罪事件の疑いが持たれ、「どんなことをしてでも」裁判員裁判にかけられたくないと考えるならば、海外に出国する手があります。日本国内では最高裁が不正を弄してまで宣伝する裁判員裁判についてはかけられることにそのものに関する公正な人権回復が不可能ですから、海外との人権衝突に持ち込む意味でも重要だと考えております。
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Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年11月4日(水)

裁判員制度に見下される日本国民

 本日もヤメ蚊先生のブログから。日本の裁判員制度を考える上で重要な問題が提起されております。
 裁判員制度に対する日本の識者のスタンスは「存在そのものの批判を許さない」。すなわち、権威や権力が総与党化して推進している姿勢で、一部識者に批判する勢力がいたとしても、権威や権力がその影響力を徹底的に排除する手法を取っています。言ってしまえば、識者(権威から排除された一部の反体制識者を除く)全体が「裁判員制度」の存在から上から目線で見下ろされている立場をとった上で、一般市民全体に「裁判員制度の存在については絶対的に擁護する立場を取れ」という姿勢です。実は、裁判員制度施行前に最高裁長官が天皇陛下に対して裁判員制度の説明を行ったという経緯があります。すなわち、天皇制(菊)批判はタブー視されているこの国において、裁判員制度が天皇と同じ立場に立った=裁判員制度批判は天皇批判と同じだ、という意味を持ってしまうわけです。
 私も裁判員制度批判をブログで続けているとはいえ、本当の意味で制度についてよく考え、存在そのものからしておかしいと具体的な意味で述べられる市民はそんなに多くないというのが現状でしょう。多くの市民は「自分には関係ない」あるいは、「もう制度が動き出した以上、当ってしまったら仕方ないし協力しよう」というムードに落ち込んでしまっていると考えられます。権力・権威に従順な日本市民の悪い意味での特徴をよく現しているといえますが、「長いものには巻かれろ」とばかり権力には逆らわず、そのストレスはより弱いものに対して向けられる、という連鎖が起きれば、それは日本国内の最下層にいる者にとって、最後のストレスの向け先が外国になれば戦争にもつながりかねないのです。そういえば、私は、同時期に起きた日本の秋葉原連続殺傷事件と韓国のBSE騒動を比較したこともありました。まさしく日本と韓国の民度の違いを表しているといえます。日本は怒りの矛先がより弱い者に向けられ、韓国は怒りの矛先は真の原因である権力側に向かった象徴といえます。
 こういった日本市民の民度を考えた場合、裁判員制度は二重の意味で危険さをはらんでいるといわざるを得ません。すなわち、裁判員制度の存在自体は「絶対的権威」として「決まったものだから仕方ない」という従順な姿勢に丸められることが一つ、そして、格差不安定社会の原因を作った権力側に怒りの矛先が正しく向かわず、秋葉原事件を起こしたとして起訴された立場のような被告人を「裁判員制度で死刑にしろ」という社会ムードを作り出し、さらなる格差社会の固定に結びつくことです。
Posted at 14:55 | εURL | (0) | Trackback(2)
Category:[ 裁判員制度徹底糾弾 ]

2009年11月3日(火)

ブッシュ前大統領にも抗議を!!

 本日は、ヤメ蚊先生のブログから、本日東京ドームで行われる日本シリーズ・讀賣ジャイアンツ?北海道日本ハムファイターズ戦で始球式を担当するブッシュ前大統領への抗議イベントです(残念ながら、私は都合により参加できないことをお詫び申し上げます)。

■■抗議イベントの紹介■■(情報源はこちら

国際法となった「ニュールンベルグ原則」の第三,第六原則には,次のようにある.
 日本語 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/peace/nurnbergprincipleJ.html
 英語 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/peace/nurnberg.html

第三原則
国家の元首または責任ある公務員にして、国際法により犯罪を構成する行為をおこなった者は、国際法上の責任を免れない。

第六原則
左に掲げる犯罪は、国際法による犯罪として罰することができる。
a 平和に対する罪
(i) 国際条約、協定または保証に違反する侵略戦争または戦争の計画、準備、開始、遂行

ブッシュの行状がこれらに該当することは明白だ.また,b項(戦争犯罪),c項(人道に対する罪)も同様だ.

日本の司法当局には,ブッシュが入国したら速やかに彼を逮捕するよう要請する.国際刑事裁判所(ICC)加盟国としての当然の義務でもある.しかし,もしも司法当局がその責任を果たさないときは,いわゆる「私人による逮捕」も正当と思われる.

 私人による逮捕までできなくとも次の抗議活動に参加を!
:::::::::::::::
戦犯ブッシュを裁く! 11.3緊急アクション
11月3日(火・休)
16時 水道橋駅西口出口集合 街頭宣伝
17時 「西神田公園」集合(千代田区西神田2?3?11 神保町・水道橋駅から徒歩5分 地図:http://www.enjoytokyo.jp/NT002Map.html?SPOT_ID=l_00020698)
17時45分 デモ出発→水道橋駅横→東京ドーム前→礫川公園
★プラカード、楽器、靴などの持ち寄り大歓迎。
主催:「戦犯ブッシュを裁く! 11.3緊急アクション」実行委員会

【連絡先】
反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉09・実行委員会
メール:war_resisters_fes09(at)yahoo.co.jp
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階 フリーター全般労働組合
電話/FAX:03?3373?0180
---------------------------------
   賢介、ブッシュを撃て!
戦犯を逃がすな。ブッシュをとらえろ!
---------------------------------
11月3日にジョージ・W・ブッシュが来日し、東京ドームでの日本シリーズ第3戦の始球式に参加するそうだ。ジョージ・W・ブッシュ元合衆国大統領はアフガン・イラク戦争を指揮し、軍民合わせて数十万人を虐殺した。またその後もアフガン・イラクへの派兵を継続し、アフガン・イラクの人々の生活基盤を破壊し続けた。
ありもしない「大量破壊兵器」を開戦理由にでっち上げ、イラク中部のファルージャでは殲滅攻撃で数え切れない死者を出し、アブグレイブ・グアンタナモでの人権侵害も明らかになった。一方日本もイラク戦争にいち早く支持を与えてジョージ・W・ブッシュによる虐殺を政治的に支援するとともに、自衛隊をイラクに派兵し、物理的にも虐殺と破壊を助けた。そしてアフガン・イラクは今も未曾有の混乱状態だ。
 ジョージ・W・ブッシュはその与えられた政治的権限を人々を生かす道のために用いるのではなく、数多の人命を失わせ、人の歴史が営々と積み上げてきた暮らしを破壊することに用いたのである。この責任をジョージ・W・ブッシュは問われなければならない。
いまなおかの地で人が安心して夜を迎えることがないのに、どうして虐殺と破壊の責任者であるブッシュが安眠を得られてよいのだろうか。易々と他国に入国し続け、厚顔無恥にも始球式を行うことを私たちは認めない。ブッシュに戦争の責任を問うことは、人としての私たちの使命でもある。 
戦犯ブッシュを逮捕しよう! 戦争犯罪に時効はない!
(『賢介』とは始球式の打席に立つ日本ハムの一番バッター田中賢介選手のこと)

■■以上抗議イベントの紹介■■ 

 ブッシュがブッシュならばオバマもオバマ。11月12日に東京ドーム近くの文京区民センターで抗議集会・デモが行われます。こちらに詳細画像があります。

(ヤメ蚊先生は今回の東京ドームで「靴ならぬブーイングを浴びせかけよう」との呼びかけですが、
どうせならば、プロ野球で裁判員制度PRイベントが何度かあったとき、ブーイング呼びかけが広く伝わっていたらなぁ、と思うこの頃です)
Posted at 13:42 | εURL | (0) | Trackback(1)
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2009年11月2日(月)

焦りから強硬姿勢に出るアメリカ

 まずは横浜地検がこのような判断をしたそうです。裁判員制度が強行されてから、従来なら強盗傷害罪で起訴されていたものを窃盗プラス傷害で起訴するなど、裁判員対象から外せそうな事件について検察がいわゆる「起訴落し」をしていると思われる事件が多数存在します。従来普通殺人罪で起訴されていたと考えられるものが承諾殺人または嘱託殺人罪で起訴された例も今回の横浜地検のケース以外にありました。現場でいかに裁判員制度が嫌われているかの証左ともいえます。

 昨日の労働者総決起集会の熱気も覚めやらぬ中、11月12日のオバマ米大統領来日に抗議すべく同日に東京・文京区民センターで集会・デモ(詳しくはこの画像)を開きます。我々としてはオバマ大統領、そしてアメリカの主張がいかに欺瞞であるかを徹底的に追及いたします。
 鳩山由紀夫総理大臣が日米関係の包括的再検討を考えている件についてアメリカが神経を尖らせています。それは、日本のこんな態度がアメリカの国益にとっても危機だという裏返しだからです。それもそのはず、経済大国としての日本がアメリカの国益にとっても重要な意味を持っていたのみならず、日本の米軍基地がアメリカのアジア戦略を考える上で重要な拠点だったからです。仮にでも日本が反米姿勢に転換しようものならば、大韓民国にとっても韓米関係が日本によって地理的に分断される事態になります。東アジアの重要拠点である日本と韓国を同時に失うことにでもなれば、それはアメリカにとって世界的地位が揺らぐことも意味するので、黙っているわけがないのは当然ともいえましょう。すなわち、そんなアメリカの焦りが対日本の強硬な態度になっているのです。
 アメリカはともかくも日本の「転向」はなんとしても避けるべく強硬な態度を貫いていますが、それもアメリカ自身の国益にも反することもそうですが、日本の政治情勢が不安定なことが分かっているからでしょう。鳩山民主党政権の支持率はいまだに高い割合をキープしていますが、鳩山首相自身の「東アジア重視」姿勢からしても日米同盟維持にとっては極めて不安定な政権ともいえます。現に日米同盟の存在を前提とした報道スタンスを貫いてきた保守系メディアからの政権揺さぶりもありますし、リベラル系メディアも日米同盟の存在については大前提とした上で政権を支持するような報道姿勢です。そうなると、内閣支持率に支えられている鳩山政権も、内外の不安定情勢が支持率以上に安定度を左右する事態に陥ることも考えられるのです。
 そんな中で11月12日の抗議集会・デモは大きな意味を持ちます。オバマ氏の大統領としての初来日への大規模抗議が行われることのアピールとしても大きいですが、鳩山民主党政権への「所詮本当の民意を反映できる政権ではない」という烙印を押すアピールもできるからです。その証拠に、市民のほとんどが支持しない「国家統治の根幹に関わる」裁判員制度などは象徴的で、結局は国家体制を守るためだけに非人道的政策であろうとも推進しているだけの話です。所詮日本の民主党政権もダメだというアピールをすることで、アメリカ本国にも大ダメージを与えることにもつなげられるのです。
Posted at 23:57 | εURL | (0) | Trackback(0)
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2009年11月1日(日)

11・1大集会お疲れ様でした

 ただいま、よっぱらい状態で打ち込んでおります。本日は簡単ですが、報告までといたします。
 本日の「労働者総決起集会」、大盛況のうち幕を閉じました。結果的に1万人とは行かなかったものの、昨年を上回る約6000人の参加があり、日比谷野外音楽堂はほぼ満席となりました。約6000人(主催者発表は5850人)という主催者発表数字自体に、私としては意外に少なかった印象があったくらいの盛り上がりがありました。
 昨年と違ったのは、この集会への反対派の活動が多かったことです。右翼団体が至るところで妨害街宣を行ったり、権力側の監視人数が多かった印象がありました。やはり、我々、特に裁判員制度はいらない!大運動の全国展開が相当の実力をつけたことの証左だといえましょう。
Posted at 22:24 | εURL | (0) | Trackback(1)
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