昨日にも紹介しましたが、3月15日(月)→16日(火)に私は新潟地裁前と長野地裁松本支部前で裁判員裁判抗議活動を行います。
このページに詳細を掲載いたしました。私とともに行動してくださる方も募集しております(随時内容更新しますので、最新情報をご利用ください)。
さて、中華人民共和国をめぐる情勢が最近いろいろ波紋を広げています。まずは、南京大虐殺についての日中共同研究について触れたいと思います。南京大虐殺の共同研究では、中国側は死者30万人レベル、日本側は死者20万人を最大にその存在を否定する説まで含めて諸説あるとの立場を持っています。このような認識の行き違いは、当事者である加害国と被害国の立場である限り、なかなか溝は埋まらないとしたもので、その意味では、本来ならば第三者国からの調査による評価が最も公正な形でできるものです。
過去の過ちを認めない日本の体質については、ドイツがナチス時代を肯定する行為を犯罪とするくらいナチス時代を反省するのとは対照的です。南京大虐殺の認識については、死者が20万人であろうと30万人であろうとも、大虐殺の存在があり、かつ10万人単位の死者を出したということを認めることが最も重要なことだと考えております。死者10万であろうとも30万であろうとも、第三者国から見れば歴史の中でとんでもない犯罪という評価しかありえないからです。問題なのは、南京大虐殺は存在しなかったという説もあるということを主張する、権威を持つ勢力がわが国に一定数いることで、こういった認識を平気で主張できる層がいることは、まさしく過去の過ちから完全決別したドイツの姿勢とは対極にあるものです。だからこそ、大日本帝国軍の末裔が現自衛隊だ、という元航空幕僚長が出てきたりするのです。
となると、我々が裁判員制度廃止運動を進めていく際に、潰すことに成功したとして潰した行為がどんな評価をされるかまで考える必要があります。日本の歴史において愚かな政策として真の姿を本当に語り継いでくれるのか?南京大虐殺は被害国である中国がいて、大戦争につながった政策という見地からは諸外国からの評価もされ得ます。しかし、裁判員制度はあくまで国内政策である以上、この愚策が潰れた場合に、権力や推進側は「責任はあくまで末端の市民や被告人に押し付けることにして、我々は責任を取らないことにしよう」という姿勢を取りかねないことです。そうした場合、海外からこの愚策についていかに批判的な評価がされようとも、国内レベルではその批判を完全無視して、歴史の1ページから抹殺することも考えられるのです。
ですから、我々として必要なのは単に裁判員制度を潰すことだけではありません。裁判員制度を潰したとして、しっかりとその愚策の意味を後世に伝えていくことも重要なテーマです。単なる一政策がつぶれるというレベルでは後世に伝わるわけはありません。国家統治の根幹に関わる政策であり、権力や権威が総与党化して翼賛推進したこと、しかも、市民全員をダマしてまで強権的に押し進めたことを正確に後世に伝えていくこと、これが我々にとっての重要な課題になります。これは南京大虐殺問題にも通じるテーマといえるのです。
近藤剛郎氏の身柄を日本に引き渡さないよう国際刑事警察機構、逃亡先のタイ政府に要請いたします。
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