本日はテレビ朝日サンデープロジェクト特集「行政訴訟こそ裁判員制度を!」を見ました。示唆に富む内容でしたが、この件に関しては後日ということで、昨日に引き続いて
保坂展人議員のブログ記事から。
保坂氏の記事では、驚くべきことに”裁判員制度に関わってきた関係者からは、「何、今ごろゴタゴタ言ってるの。アメリカの陪審制でも同様の制度があるし、04年の立法当時にもそう議論にならなかったじゃないか」と、「驚いている人たちが出てきたことに驚く」という反応があるらしい”とあります。それは、”この法律は04年の国会で全会一致で成立している。しかし、この裁判長の質問の具体的な内容と、検察官の「忌避」と不選任の流れが、明確に語られることはなかった。国会審議の議事録で具体的に掘り下げた議論の形跡はない。たしかに「被告人」「弁護士」にも「忌避」の権利が同等にあるじゃないかという指摘もあるだろう。裁判員法は「公平な裁判をするかどうか」で国民を選別しようとしているが、私たちは「裁判所が公平な裁判をするかどうか」を問うているのである。「公判前整理手続き」という名で「裁判迅速化」が進み、「厳罰主義」の風潮の中で「被告人」「弁護士」は、検察官と対等に選任手続きに臨めるだろうか。たぶん、昨日のブログで紹介した「質問案」を見て、私は背筋が寒くなって鳥肌が立ってしまった。それは「直観的」「感覚的」なものかもしれないが、公権力が国民をくじで呼び出しておいて、「警察を信じるか」「死刑についてどうか」と思想・信条、内面の関わる質問をしようとしていることに拒否感が強いのだ”とあるように、権力者や有識者が(国民の大反発が容易に予測できたためか)国民的議論にせずに彼らの論理だけで「結論先にありき」で議論してしまったためです。
アメリカ陪審制度との比較にしても、アメリカの場合は、
権力者の恣意的裁判から国民を守るという意味で陪審制度ができその文化が根付いているからこそ受け入れられるもの、ゆえに憲法でも陪審制度が明記されているのです。だから陪審適格者かどうかの思想質問が憲法問題になること自体がありえない話です。日本の場合は裁判員制度は憲法に明記されていません。
思想調査的質問は当然、憲法問題に発展することが容易に想像できます。
保坂氏は”幸いあと2年の時が残されている。今、きちんと議論をし徹底的に制度を検証しておかないと、取り返しがつかなくなってしまうと私は考える”と締めくくります。裁判員制度の実体が起動するのは2008年末(2009年候補者名簿作り、通知)。その直後に
違憲訴訟噴出など国民的反発行動が起これば、権力者はどう対処するのでしょうか?